第88話 今度こそ黒幕

 瞬間、シルビアの身体中から汗が噴き出す。

 酔いが吹き飛ぶ。同時に酔っていたことに後悔する。


 でも、蝋どめが、あ、いや、デザインさえ知ってれば偽造くらい?

 え? じゃあこれは?

 どちらかがケイのフリをした人の手紙ってこと?

 誰が、なんのために?

 なんのためって言ったら、


 先ほどまで読んでいた手紙に視線を落とす。


 こんな他愛もない話をするのに、他人をかたる必要はない。

 とすれば、偽物なのは当然……


「これはっ!」


 椅子から立ち上がるシルビア。急いで船の出口へ向かう。

 そこにはケイを探しに行ったはずの男が、一人で懐中時計を開いていた。


「やっぱり!」

「あっ! シルビア殿下!」

「どきなさい!」


 彼は慌てて、体で出口を覆うように立ち塞がってくる。


「どこへ行かれるというのですか! ケイ殿下が来られます! もうすぐお待ちを!」

「あんたたちが偽物なのは、もう分かってんのよ!」


 思わず叫んだ瞬間、相手の顔色も変わる。

 もはや取り繕う気など欠片もないというような。


「チッ!」


 腕を伸ばして、無理矢理船内へ押し戻そうとしてくる。


「おとなしくしろっ!」

「何よっ!」


 シルビアもつかみ返して応戦するが、


「きゃっ!」


 向こうもカタギではないのだろう。そうなるともう、単純な性差で勝てない。

 突き飛ばされ、船内に尻餅を突いてしまう。

 それと同時に、ドアが勢いよく閉められ、


『もういい! 今すぐ出せっ!』

「このっ! 出しなさっ、あわぁっ!」


 強い衝撃が船内を揺らす。


「まさかっ!?」


 慌てて窓から外を見ると、先ほどまで連結していたドックの連絡橋が遠くなっていく。


「嘘でしょっ!?」


 非常にマズい予感、というかもう

 さっきまで元帥たちに会っていたので、銃もナイフもない。またもや大事な時にない。

 咄嗟にキッチンへ戻り、包丁を回収。それを唯一の装備にコクピットへ向かう。


「船をドックへ戻しなさい!」


 しかしドアの向こうは無人。


「自動操縦!?」


 操作盤に飛び付くシルビア。最悪レバーがガムテープで直進に固定とかなら、なんとかできるかもしれない。

 が、隣に映る周辺のマップ。そこには点線の矢印が表示されている。

 行き先がプログラミングされているのだ。


「こんな! 解除方法は!?」


 軍に入って勉強を重ねた彼女も、さすがに民間船の扱いは知らない。

 用意周到に、マニュアルのたぐいも残されていない。


「くっ!」


 緊急時の無線も、


「このぉっ!!」


 シルビアは受話器を操作盤へ投げつける。船の備品は切られているし、手持ちのものも繋がらない。

 おそらくジャミング装置が積まれているのだろう。


「何か、何か手段はないの!?」


 もしかしたら脱出装置があるかもしれない。せめて宇宙服くらいあれば、今なら引き返せるかもしれない。

 とにかく、どうしたらいいか分からないコクピットにいてもしょうがない。

 来た道を戻ると。ドックから離れて無重力となったからだろう、銀色の物体が浮いている。


「これは」


 思わず手に取ってみると、それは懐中時計だった。スーツの男が持っていたものだ。

 おそらく揉み合いになった時、相手を突き飛ばした拍子で落としたのだろう。


「あの野郎! もっと役立つものを落としなさいよね!」


 怒りのあまり、これも投げ飛ばそうかと鷲掴みにしたシルビアだが。

 手のひらに彫り込みの凹凸を感じて思いとどまる。

 ハッとしてそのデザインを確認すると、


「これは……!」



『額にSを焼印されたヤギ』



「ショーン・サイモン……バーナード……!」



 瞬間、彼女の脳内で全てが繋がる。

 年末に命を狙われたパーティーも、元はと言えば彼に誘われて参加したものだった。

 それだけではない。



 皇国宰相ニコラウス・ティル・ゲオルク・シーガー卿。

 彼ほどの立場の男が、シルビアの暗殺を狙って失脚したというのに。

 それでも「自分は大丈夫」と彼女の暗殺にトライできる、いや、


 なんなら彼をトカゲの尻尾切りできる身分の人間など。



 そもそも最初のシルビアの追放も、陛下ご自身の意思ならともかく。


 もしそうでなかった場合。

 皇帝に『自分の娘を戦場へ追放しろ』と進言できる者など。



「全部おまえの仕業だったのかッ!!!!!」



 天を仰いだ彼女の叫びは、当然ジャミングによって届くことはなかった。






 宇宙には朝も夜もない。

 が、確実に何日かは経過したことだろう。

 正確な数値は、途中から時計を見ていないので分からない。

 睡眠の回数も、寝付けなかったり小刻みに意識がなかったり。推しはかれない。



 結局脱出の手段は見つからなかった。

 あのままシルビアは、郵便船に乗ったまま宇宙を彷徨っている。

 不幸中の幸いはクルー用の非常食や水の備蓄があったこと。食欲などないなりに、飲まず食わずは避けられている。

 何日保つかは知らないが。先に尽きるのは酸素かもしれないが。


 とにかく、今の彼女にはできることがない。

 せいぜいクルーが持ち込んだのだろうテレビゲームや映画・アニメくらい。

 他には何もないし、エネルギーを消耗しないためにもしている方がいい。


 これからどうなるのかしら。

 いえ、ロクなことになる展望はないけど。

 こんなの気が狂う、いえ、もう狂ってるのかも分からない……


 言葉も長らく、心の中だけで回している気がする。

 キッチン兼団欒フロアで、無重力に身を任せ漂うばかり。

 広大な宇宙に意識を溶かしそうになっているその時、


 昇降口の方から、ゴン、と鈍い音がした。


 流れ星でも当たったかしら?


 半ば投げやりで気力もないシルビアは、確かめる気も起きない。

 そのまま浮いていると、


 今度はゴリゴリと、何か削るような音がする。


 さっきのでドアが破損したのかしら? 怖いわね。


 そこから船内の空気が漏れたりしたら危険である。

 向こうのフロアと今いるフロアの戸を閉め、応急的な隔離措置を取ると、



 ドアが船内へ弾き飛ばされるのが、ガラスの小窓越しに見えた。



「きゃっ!?」


 久し振りに声を上げたのも束の間。



 宇宙服の集団がドカドカと上がり込んでくる。



「なっ、何!? 誰!?」


 予想だにしなかった展開に意識が回復するシルビアだが。

 向こうはガラス越しに彼女を見つけて、外に向かって何やらハンドサイン。

 窓へ目を向けると、


「ああっ!」



 知らぬ間に謎の艦艇が郵便船に横付けされている。



 腰を抜かしたような、無重力で分からないような感じでいると。

 向こうから連絡橋が伸びて、ドアがあった部分を塞ぐように連結する。

 状況に頭が追い付かない。

 増援が船内へ追加されていくのを見つめていると。

 宇宙服の一人がドアに近寄り、


『おい』


 明確に話し掛けられた。


「はっ、はい!」

『意識はあるみたいだな。他は特に大事ないか』

「はい!」

『船内の空気を送り込んだ。こっちのフロアも真空じゃなくなったから、安心してドアを開けろ』

「わ、分かりました」


 思考力が低下のうえに混乱。

 言われるままにロックを解除すると、宇宙服が室内に入ってくる。


「あの、あなたは、あなた方は?」


 シルビアの問いに、向こうは答えなかった。

 その代わり、自身の首に手をやり、


『また会ったな。つくづく変な状況下で縁がある』

「えっ」


 ヘルメットを脱ぎ去る。

 瞬間ふわりと解放される、真っ赤な髪の持ち主は、




「こんなところで何してるんだ? シルビア・バーナード」

「カーディナル提督!?」






         ──『サルガッソー攻防戦』完──

       ──『悪役令嬢と戦場の聖女たち』へ続く──

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