第62話 彼こそは大樹

 冷静に考えれば、『見付けたぞ!』なんて宣言する必要はまったくない。

 むしろ人に聞かれる可能性を考えれば、黙っていなければならない。

 だというのに、あまつさえ大声で。

 青年は相当な興奮状態にあるのだろう。


「ひっ!」


 背後から、最後尾のクロエの悲鳴がする。

 結局向こうが暗殺者か強姦魔かは分からない。シルビア狙いか誰でもいいのかは分からない。

 が、あの荒れ具合なら。


 どっちみちクロエは、ロクな目に遭わないだろう。


「くっ!」


 友情か、正義感か、軍人としての使命感か。それは分からない。

 シルビアが振り返り、彼女を庇うように跳び出したのは、咄嗟のことだった。


「シルビアさん!!」


 まるでその声がトリガーかのように、ナイフが大きく振りかぶられる。

 前に出たはいいが、今の彼女は丸腰。どうすることもできない。

 軍人になってから格闘術の訓練もしたが、たった数ヶ月。『無知ではない』程度の存在でしかない。

 それを、性差があって、武器の差もあって、下手したら相手はプロかもしれなくて。


 シルビアにどうすることができようか。


 後悔先に立たず。クロエやケイの悲鳴が遠く聞こえるなか、



「ギャアッ!!」



 ナイフが左目を捉える。



「えっ?」



 シルビアのではない。

 



「何をしているっ! 何者だ貴様っ!!」


 大喝する低い男の声。

 呆然としていたところから、ハッと彼女の意識が戻る。


「このっ!」


 一気に踏み込んでハイキック。

 青年が苦しんでいるうちに、手からナイフを弾き飛ばすと、


「くそっ!」


 彼はナイフが刺さったまま、暗闇の中へ姿をくらませた。


 大声の主も、あえてそれを追い掛けようとは思わないらしい。


「大丈夫か」


 先ほどとは一転。威厳はあれど優しい声で、こちらへゆっくり近付いてくる。


「はい、大丈夫です。おかげさまで」


 まだ恐慌状態。運動量より精神的疲労から肩で息をするシルビアが振り返ると、


「あ、あなたは」

「む。君は」


 そこにいたのは、白人にしてもゲームの世界にしても雄偉な体躯。翻るマントの、金の裏地。



「コズロフ閣下!」

「バーナード大佐ではないか」



 一昨日ぶりの、元帥閣下だった。


「あれはいったい、どうしたことだ」

「私にもさっぱり……。申し訳ありません」

「いや、いい。そうか、分からんか」


 彼はシルビアが謝るのを手で制すると、自身のあごに手を添える。


「まぁ、本人に直接聞けばいいだろう。昨日今日に片目を負傷した男など、そう隠れてはいられるまい。すぐにでも捕まるだろう。消されなければ」

「御意」

「しかし、なんにしても刃物を持った人間の侵入を許すとは。祭りとは言え、だな。近衛このえを締め上げねばならん」


 淡々と。なんだか今までで一番、というか初めて軍人らしい軍人に会った気もするシルビアだが。


「刃物とおっしゃるなら、先ほどの閣下のは」


 今は割りとどうでもいいことかもしれない。それでも思わず突っ込むと。

 コズロフは一瞬『鳩が豆鉄砲』な顔をしたが、すぐに微笑んだ。


「あぁ、あれはただのソムリエナイフだ。パーティー会場から失敬したのだ。それを投げさせてもらった。昔はよく、艦内のナイフ投げ大会で優勝したものでな」


 彼が左手を掲げると、明るい緑の白ワインの瓶が握られていた。

 しかし、彼がやってきた方向。少なくとも近くには、会場がある様子はない。


「なぜ、そのようなものをお持ちでボカージュなんかに?」

「それは、なんだ、察せ」

「は、はぁ?」

「それより! けいは以前も似たような形で狙われたことがあったのだったな! 今回のことも、その雨のあとの山霞やまがすみかもしれん。あぁいや、関係ないかもしれん。まぁ、なんだ、うむ。そうだ、このことにはオレよりバーンズワースの方が詳しいからな。それに、卿の上司は『半笑い』だったな。連中をまじえて話をせんとな! それにしても今日はもう遅い。あぁ、いや、19時にもなっていないのか。まぁとにかく、ここにいても仕方ないし、危険かもしれん。帰った方がいいだろう! 『半笑い』はホテルに詰めているのだったな。連絡して、迎えを寄越してもらいなさい」

「????」


 急に歯切れ悪くなったかと思えば饒舌な閣下に、首を傾げていると。


「おねえちゃ〜ん!!」

「ごぶじですかぁ〜!?」

「あら」


 ケイとクロエが、泣きながらヨタヨタ歩いてきた。

 今になってようやく、緊張から解放されたのだろう。


「大丈夫よ。このとおり、コズロフ閣下がお助けくださったわ」

「うぅ〜!」

「ありがとうございますぅ〜!」

「お、おい!」


 シルビアがコズロフを手で指すと、二人は大樹のような体に抱き付いた。

 恐怖が大きかったので、少し幼児退行を起こしているのかもしれない。

 焦る彼の微笑ましい様子を眺めていると、彼女も若干釣られはじめる。

 そこに、


「ま、まぁ、何はともあれ。姫君ひめぎみたちをお守りしてくれたのだな。感謝する。は立派だな」

「わたし……?」


 渋い声で優しく労われて。抜けた感じで返事をするて。



「う、うぐ……、うえぇ〜ん……!」

「ど、どうした! おい! しっかりせんか! 軍人だろう! 誇り高き皇国宇宙軍士官だろう!」



 弛緩したシルビアも完全に決壊、コズロフに抱き付く。


「むぅ……。どうしたものか」


 困り果てた彼のところへ、


「イワンさま! お待たせしまし……、まぁ!?」

「ち、違うんだ、これは!」

「声がすると思ったら、女の子を3人も! ひ、ひどいですっ!!」

「ああああああ」


 逢引き相手が登場。修羅場第二ラウンドとなった。

 どうりでボカージュなんかに酒持ってくるわけである。

 人目を忍びたいのは、青年も閣下も同じらしい。

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