第60話 二度目とはいえ、軍人とはいえ

『梓』は知識も記憶もないので、裏の庭もジョンソン卿も知らない。

 はっきり言って。不案内な青年に連れられるなど、いつかのシロナみたいになりはしないか。

 と思わなくもなかったが。


「ねぇ、道合ってる?」

「あっ、いやぁ。まぁ」

「えー」


 ボカージュ迷路をうろつくばかり。裏の庭がどこのどう裏かは知らないが。

 ジョンソン『卿』なる人物が待つには入り組みすぎである。


 変な密談持ちかけられたりしないでしょうね?


 あり得ない話ではない。

 元より悪役令嬢ともなれば、ワル仲間の交友関係もあろう。

 そのうえ今や皇族追放された(実質)、『悪の種子』に関わろうなどと。


 少し警戒すると、細かいことが気になってくる。


「道は合っているのか」と聞いた時、青年の返事は「あっ、いやぁ。まぁ」。

 もしこのボカージュ迷路の先にジョンソン卿が待っているなら、そうはならない。

 胸を張って「大丈夫です」と答えるはずである。

 とすれば、彼はやはり道に迷っているのだろうか。


「や、おかしい……」

「えっ?」


 青年が振り返る。が、シルビアはお構いなし。

 だって、おかしいのだ。


 彼は最初、ボカージュ迷路を抜けてきたのだ。

 なら迷わずここまでたどり着けたはずである。行きに迷ったなら、帰り道には選ばないはずなのだから。

 そりゃもちろん、行きと帰りじゃ景色が違うとか、暗くなったとか……


 いや、違う。


 そもそもボカージュを通ってくる理由があるか?

 普通に正面から来ればいい。

 あぁ、招待されていなければ、遣いも入ってこれないか。


 そうだけど、そこじゃない。

 まずもってこのタイミング。他所のパーティーに出ているところを呼び出さなくても。


 どれも説明を付けようと思えば可能かもしれない。

 が、ちょっとした引っ掛かりから、半信半疑でも。

 思わず立ち止まって、相手を観察していると。


「どうかしましたか?」


 心配そうな顔で、空いた距離の分近付いてくる青年。



 その、緊張で握った左手と、開いて腰の近くから動かさない右手。



 あれはいつか、エポナの元帥府で……



「リータがっ!」



 教えてくれた少女の名を叫ぶや否や。シルビアが弾けるように跳び下がると。



「ちっ!」



 舌打ちと同時、くうを切った、抜き打ちのナイフ。



 デジャヴのような展開。リータがいないことを除けば。

 自身も腰へ手をやるシルビアだが、


 ないっ!

 そうだったわ! 宮殿内に持ち込めないから、守衛に預けて……!


 拳銃もナイフもない。最初の襲撃だったり、オプスでのジャンカルラとの邂逅だったり。

 必要な時にない装備だこと。


 シルビアが軽くいるうちに、向こうはナイフを構えなおす。

 振り被らずに腕を引くあたり、


 突いてくるつもりね! それなら!


 あえて一度足を止める。そのうえで、いつでも跳べるようにかかとは浮かせておく。

 青年はというと。丸腰ながら逃げない姿勢に、少し戸惑うような。

 しばし窺うように爪先をにじり寄らせていたが、


 やがて彼女の正中線をなぞるようにきっさきを震わせると、



「ぇいっ!!」



 そのまま体当たりするのかというような勢いで踏み込み、ナイフを突き出す。

 合わせてシルビアも、勢いに任せて横っ跳び。


「うおっ!」

「くっ!」


 結果、うまく着地できずにすっ転ぶ。下は芝生だが、それでも肘や膝に打ちつけた痛みが走る。どこか擦り剥いたかもしれない。

 何より、すぐに次の動きへ移れない。

 素早く逃げられないし、モタモタ寝転んでいたら馬乗りで刺されてしまう。


 が、今は問題ない。


「ぐうっ!」


 苦悶の表情で右腕を引く青年。

 それに合わせて、ボカージュがガサガサと悲鳴を上げる。


 シルビアがあえて狙いを付けさせ回避したことで。

 勢い余って突っ込んだのだ。


 おそらく小枝か何かが刺さったり、引っ掛けられたりしたのだろう。

 彼はターゲットのことも忘れて、自分の右手を確かめている。


 それだけ隙があれば、シルビアもじゅうぶん体勢を立て直し、逃げられる。


「あっ! 待てっ! わっ!」


 気付いた青年が追ってこようとすれば、リータ直伝顔面靴投げ

 はブーツがすぐには脱げないので、代わりに軍帽を投げ付ける。


 あとはもう一も二もなく逃げるだけ。

 とにかく背を向けても走り去るシルビアだが。






「はっ、はっ……」


 ボカージュ迷路というのは見通しの悪い空間で、隠れるのには都合がいい。

 が、逆に土地勘がゼロの『梓』には。


「ここは、どこ……」


 走っても走っても、出口がどこか分からない。一向に見えてくる気配がない。

 どこをどう走ったのやら皆目見当も付かないし、何よりマズいのは、


「ちっ!」


 声が近い!


 相手の姿は見えないが、直線距離にしてそう離れてはいないこと。

 こうなると、いち早く距離を取りたいものだが。

 繰り返しになるがここは迷路。入り組み曲がり、行ったり来たり。

 下手に動けばむしろ、曲がり角で運命の出会いをしてしまうかもしれない。


 動けないなら、動けないなりに今できることをするしかない。


 ま、まずは誰かに連絡を!


 無線、は無理がある。この距離で声を出したら、向こうに気づかれる。

 携帯端末も夜の闇では光るので同様。

 パキッと割れば母艦へ救難信号エマージェンシーが届くタグは……

 都だからと油断して、ホテルに置いてきた。作戦行動以外で鳴らしても怒られることが多いし。


 どうしよう、どうしよう……!


 迷っているあいだにも、パキパキガサガサとボカージュが鳴く。

 まさかあの男、木や枝をナイフで薙ぎ倒しているのだろうか。

 その音や気配が近付いているような、遠ざかっているような。


 もうシルビアが何もできず、口元を抑えてひたすら息を殺していると、



「!!」



 ガッ!!


 と、肩がつかまれる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る