短編集
ぶたひら
子供部屋
「あんたね、あたしは情けないよ。大切に育ててやったつもりだよ。どうしてこんな風に育っちゃったの。はやく出てきなさいよ。」
ドア越しに聞こえる母の声。いつものことだ。その声に僕が反応することはない。しばらくの静寂の後、「こんな奴産まなきゃよかった。」と吐き捨て、遠のいていく足音。そう、いつものこと。
耳障りな声も消え、何となく部屋を見渡した。床には食べたもののゴミが散乱していてゴミの隙間から見える子供じみた柄のカーペット。漫画がぎっしり敷き詰められた小さめの本棚。小学生になった時に両親に買ってもらった勉強机。ゴミは増え続けるものの、ずっと何も変わってない。僕の部屋。この部屋から出なくなったのはもう二十年程だろうか。いつの間にかとっくに三十を超え、今年で三十六になる。時の流れははやい。十六の時から、僕はずっとこの部屋に閉じこもっている。ときどき食べ物をとりに深夜キッチンへ行く以外、僕はこの部屋を出ない。
深夜、両親が眠りについている頃、キッチンへ向かった。毎回、自分の家にも関わらず、この瞬間、自分が泥棒になっているように感じる。カゴの中に乱雑に置かれたスナックと、棚の中にいくつか缶詰があったので頂いていくことにする。母は毎日ああは言いつつも、僕が生きれるだけの食糧は買ってきてくれる。愛情なのか、自分のせいで死なれるのが嫌なのかはわからない。
自分の部屋に戻ろうとした時、いつもはそんなことないのに、ふとリビングに置かれたテレビが気になった。僕の部屋にはテレビがなかった。死んだように生きているだけなので、毎日毎日寝て、起きてを繰り返している。僕の部屋という空間から乖離した世界が急激に気になった。暗がりの中テレビのスイッチを押すと、暗闇に目が慣れた僕の両目には痛いくらいの光が飛び込んできた。眩しくて目をぎゅっと閉じた。少しして、瞼の裏の明るさに慣れた僕は少しずつ瞼を開き、飛び込んでくる光を受け入れることができた。それは何の面白味もない通販番組。大袈裟なリアクションの男女がやたら切れ味がいいという包丁を褒め称えていた。五分ほどその茶番劇を見て、テレビを消し、僕は自分の部屋に戻った。
それ以来、深夜に食べ物をとりに行っては、少しだけテレビを眺めるようになった。チャンネルは変えない。その日母が最後に見ていたであろうチャンネルを見ることにしている。毎回何が見れるかわからないというのが面白く感じた。何もない毎日、これだけが僕の娯楽。
ある時は料理番組だった。年配の料理研究家の人が何やら小難しいことを言いながら料理をしている。
またある時はニュース番組だった。西田祐樹という殺人事件の犯人が逃げているらしい。似顔絵も公表されて懸賞金もつくらしい。僕は部屋から出ないから関係ない。
その次はよくわからないバラエティー番組。深夜に珍しい。面白いけど知らない人ばっかりだ。
そして今日はニュース番組。吉川久美ちゃんが行方不明になってから二十年が経つらしい。母親がまだ懸命に捜索しているみたいだ。
「あんたってほんとに親不孝もんだね。はやく出て行きなよ。部屋も臭いんだよ。ご近所からもこそこそ言われてんだよ。返事くらいしなよ。」
今日も今日とて、ドア越しに聞こえる母の声、僕は何も返さない。僕は部屋から出ない。
「少しでもいいからまともになってくれ。ずっとこのままでいるつもりなの。」
耳障りな声だ。僕は何も返さない。僕は部屋から出ない。
「はやく死ねばいいわあんたなんか。」
僕は何も返さない。僕は部屋から出ない。
足音が遠のいて行った。不快な時間が終わった。毎日毎日、何を言われたって、僕は何も返さない。僕は部屋から出ない。
立ち上がってずっと一緒に過ごしてきている勉強机に近づいた。机の上はゴミと汚くなった教科書。埃もかぶっている。机の下の、引き出し。一番下の引き出しだけ少し大きい。僕はその引き出しに触れた。
「僕だって君がいなかったらとっくに外に出てるさ。はやくこの部屋から出してくれよ。ねえ、久美ちゃん。」
彼女は何も返さない。
僕は部屋から出れない。
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