第10話 世界の変転(2)
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イブとヨダがサマーズに到着したとき、スパンたちにどこから来たのかたずねられ、「トーソン」とだけ答えていた。
ヨダはひどい怪我をしていて、スパンたちの介護の甲斐なく死んでしまった。ヨダは赤い砂漠に埋められ、いずれ腐っていくのだろうか。ヨダの遺体は砂にはならなかった。
イブは、スパンたちには何も話さなかった。イブとヨダの関係も、またそこで何があったのかも。
長い長い話だった。イブは少し疲れたように笑った。そしてスパン、トーイ、エヴァを見て口元だけで笑った。
「私、みんなに感謝しているの。誰も私たちのことを聞かなかった。ヨダの怪我のことも。何も聞かずに受け入れてくれて…とっても感謝してる。ありがとう」
スパンはその当時のことを思い出した。ヨダはひどい怪我をしていた。左肩から背中の中心にかけて鋭利な刃物で切られた痕があった。傷は開いたままだったがその中に赤い砂が詰まって血を止めていた。いや、吸い込んでいたのかもしれない。スパンたちはなけなしの医療道具つかってヨダを介抱したが、2日後にヨダは死んだ。そのときヨダは砂にならなかったのを、スパンはまるで珍しいものでも見るような思いで見つめた。人は死でも砂にはならない。それを思い起こさせられたのだった。
そしてイブは話を続けた。
ヨダとイブは赤い砂漠で出会った。そのときヨダはひどい怪我を負ってはいたが、必死でなにかから逃れようとしていた。
イブがヨダを見かけて声をかけたが、ヨダは逃げ出した。ふらふらになっているヨダに追いつくのはそんなに大変なことではなかった。弱っているという点ではおそらくそう大差なかったのだろうが、ヨダは怪我をしていた。
イブはヨダの腕を掴んだ。ヨダは怯えて暴れ、叫んだ。
「お願い!お願い!嫌だ。食べられるのは嫌だぁ」
びっくりして思わず怯んでしまった。その瞬間ヨダの手がイブの顔を思いっきりはりたおした。イブはそれでちょっとだけ頭に血が上ってしまい、思いっきりヨダを押さえつけた。
「痛いじゃないの!」
「嫌だ、嫌だ。」
「おとなしくしなさい」
「僕を食べないで。お願いぃぃぃ!」
ヨダは体をよじり、イブの手から逃げようとした。弱っている体のどこにこんな力があるのかというほどの強い力だった。
イブはヨダをぶった。
ぶたれてもヨダは怯え、泣き叫けび暴れた。
イブはヨダをしっかり両腕で抱え込むと、怒鳴りつけた。
「あんたなんか食べないわよ!」
ヨダの目はイブをみた。目の焦点がふっとイブの姿を捉え、ヨダは弱弱しい声で聞いた。
「ほんと?」
「ほんとよ。人を食べる趣味はないわ」
ヨダはまだ迷った目をしていた。イブはじっとヨダの目を見つめて、ゆっくりもう一度言った。
「人を食べる趣味はないの」
ふっとヨダの目の光が消えた。ヨダは気を失った。
ヨダはまだ13歳の少年だった。傷は思ったより深くて、その周りには赤い砂がびっしり張り付いて、キラキラ光ってた。まるで生きているみたいに。
イブはヨダが目覚めるまで、その場で二日待った。昼間はシーツで日を避け、夜は一緒にシーツに包まって眠った。二日目の夕方ヨダがやっと目を覚ました。ヨダは気のみ気のままだった。イブはヨダに水を飲ませた。ヨダは無我夢中で水を飲み、またバタリと眠ってしまった。
イブは少しだけヨダの傷口を洗ってみたが、赤い砂はその水をあっという間に吸い込んでしまった。イブはヨダの寝息を感じながら一緒に眠った。規則ただし鼓動。小さな寝息。久しぶりの人の肌にイブはうれしくなった。イブはちょっと笑った。
翌朝、ヨダは目覚めた。イブは「どこから来てどこへ行くのか」聞かなかった。ヨダも聞かなかった。
ただヨダは水のお礼を言うと
「僕、いかなくちゃ」
と立ち上がった。
「お姉さん、ありがとう」
「私、イブっていうの。」
ヨダは恥ずかしそうに笑うと
「僕はヨダ」
そう言うと歩き始めた。
イブはヨダの後をついていった。ヨダはときどき後ろを振り返ってイブを見ていたが、とうとう困った顔をして聞いた。
「お姉さん、やっぱりお腹すいてるの?」
「え?」
「僕を食べようと思ってるんだよね。僕が死んだら食べようと思ってるんだよね」
イブは大きく首を横に振って
「私は人を食べる趣味は無いっていったでしょう」
と言った。
「いいよ。僕が死んだ後なら、それでもいいよ」
イブは心底びっくりした。いったいヨダはどんな体験をしたのだろうか。イブは想像が付かなかったし、想像してみようとしてあのマーリスの木の下の死体たちを思い出した。
思わずうつむいて吐いてしまった。
ヨダはひどくびっくりしていた。
「私はあてが無いのよ」
イブはちょっと投げやりに言った。
「町を飛び出したのはいいけどどこへ行ったらいいのか、わからないの。だからヨダの後を付いていけばどっかに行けるのかなって…そう思っただけよ。怖がらしてごめんね」
ヨダは意外な顔をしたあと、ゆっくり首を左右に振った。
「僕は父さんに言われたんだ。西…サマーズに行くようにって」
「サマーズ?」
「うん。西の方にあるリゾート地。海が近いんだ。」
「海…」
イブは目を細めた。イブは残念ながら海に行ったことが無かった。トーソンの町から出たことが無かったのだ。理由はなかった。ただ、町からでる機会にめぐまれなかっただけのことだった。
イブとヨダは二人でサマーズを目指して旅をすることになった。
ヨダは、サマーズには幼いころに行ったきりで、道は知らなかった。また知っていたとしても地形が変わってしまった今では昔の道の記憶などあてにはならなかった。ただヨダは
「父さんが、太陽についていけって。太陽が沈む方向にサマーズがあるからって言ったんだ。」
それから数日後二人はサマーズに到着する。
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ヨダは旅の途中で、町の話をしてくれた。
ヨダが住んでいた街は、グリースという。サマーズより北の端に位置し、他の街からもずいぶんと離れている。そのせいか、あまり他の地域と交流はない。西の国から訪れる人もあまりいない。そのせいか西の文化よりは東独自の文化、技術が栄えた町でもある。特にガーデニングが盛んだった。街中が花で囲まれた綺麗な街だと、グリースへ行ったことのある友人が言っていたのを、スパンはイブの話をききながら、ふっと思い出した。
ヨダの父はグリースでは名前の知れた植木職人だった。彼はずいぶん以前にサマーズに新しい公園を作るために来たことがあった。1季節かかってサマーズの中央公園を設計し監督した。まだ幼かったヨダと彼の妻は一緒にサマーズに滞在していた。幼いヨダの記憶の中のサマーズは“大きな海”だった。その海を求めてヨダはサマーズを目指し、イブもまたサマーズを目指したのだった。
イブはヨダからグリースの町の最後を聞いた。ヨダの育った町、グリースの現実は悲惨だった。
グリースの町はずれに食品貯蔵庫があった。食料の配給は2日に1回の割合だった。グリースのように辺境にある地で小さな町では、それほど沢山の食料が貯蔵されてはなかった。人々は口々に不満を漏らしてはいたが、どうにもならないことであった。
そんな状況に耐え切れなくなった人は町を捨て、サマーズを目指した。サマーズのような大きな町なら自分たちの分くらいの食料を分けてもらえるのではないかと考えた末の決断だった。だが、その頃には赤い砂はあちらこちらの町を襲い、大地は赤い砂漠と化していた。あの赤い砂漠を越えられたのだろうか…サマーズに向かった人たちが無事に到着したかどうかは分からなかった。ヨダの両親も一度は町を捨てようとしたことがあったが、遠い空を赤い砂が真っ赤に染めているのを、力のない表情でただ眺めていた。そして町に残ることを選んだ。
「どこも同じようなもんさ。しかたないよ」
と、あきらめたような顔をしてヨダの父はつぶやいた。
ある日赤い砂が突然、津波のように貯蔵庫に押し寄せ、何もかも飲み尽くしてしまった。貯蔵庫には交代で見張りがいたが逃げる間もなかった。あとは赤い砂の砂漠が、ただずっと地平線まで広がっていた。
その砂の中から辛うじて這い出してきたブンという若者がいた。彼は町にもどり砂が襲ってきたことを伝えた。そして町の人々が見ている目の前でパッァと砂になった。まるで霧になってしまったみたいに。
食料も水も残りわずかになり、町の周囲は赤い砂漠となってしまった。
町はパニックに陥った。ただ悪戯に怯える人々に、町の有力者でありスクールの校長でもあるジャック先生が言った。
「あわててはいけない。町の外にでてどうなる。外は砂漠だ。それも赤い砂のな。」
そういうと、人々をジロリと見た。
「サマーズの町にいったところで入れてなどもらえるものか。食料は配給制だ。住民登録のない我らに誰が食料や水を分けてくれる。そうだろ。町に入れてもらえるかどうかもわからない。噂じゃサマーズでは銃を持った人間がほかの人間を殺して食料を奪っているということだ。そんなところに行って我々の暮らすところがあると思うか。」
また、人々をジロリと見た。
その目に睨まれると誰も何もいえなかった。まるで蛇ににらまれたかえるのように、人々は息を潜め話に聞き入った。
「町から出て行くより、ここで余生を過ごそうじゃないか。ここにいて砂がそのうち消えるのをまとう。砂が町を襲うということは無いかもしれない。その証拠にまだ砂は町には入ってきていないではないか。どうだね。そう思わんかね。サマーズに行っても門前払いをくらうだけだ。町に残って静かに暮らそう。」
ジャック先生にそう言われたら町の人々は、もう何も言えなかった。人々は諦めてしまったのかもしれなかった。
しかし、食料は配給制であったために貯蔵庫にすべて蓄えていた。一部個人的に食料を節約し蓄えていた人もいたが、それもすぐに食べつくしてしまった。
絶望して赤い砂の海にふらふらと飛び込んでしまう人もいた。
ヨダの姉のスフレもその一人だった。来る日も来る日も、スフレはヨダと二人で町外れに行き、赤い砂漠を見ていた。時折二人の横を幽霊のように町に人が赤い砂漠に入っていった。砂漠は喜んでその人を赤い砂の中に飲み込んだ。その日もいつものようにヨダとスフレは町外れの壊れた石塀に腰掛けて赤い砂漠を見ていた。すっとスフレは立ち上がるとヨダを見てにっこりほほえんだ。
「ヨダ。みててね」
そう言うとゆっくりと砂漠に入っていった。砂がずるっと動いてスフレを飲み込んだ。ヨダはただ黙ってその赤い砂を見ていた。
両親はスフレの行動を悲しんだが、町の人々は誰もスフレのことなど気にしなかった。スフレのことだけではなかった。誰が砂に飛び込んだとしても、町から消えてしまったとしても誰一人気にしなかった。大人たちは子供たちより、ずっとおかしくなっていたのかもしれない…すべてあきらめて…。
ヨダはひとりで砂漠を彷徨っていながら思った。きっと大人たちは-普通の顔して、なんにもない振りして-狂っていたんだ。食料もなく、飲み物もなく、逃げる手立てもい。ないないづくしだ。無いものはどうにもならない。子供でも理解できるようなことを大人たちは理解していなかった。いや、心が受け付けなかったのだろう。
大人たちは知った顔してこれからのことを話し合っていた。話す内容は薄っぺらで堂々巡りではあったし、答えはみつからなかったが、それでも話し合っているという行動が大人たちに正常をたもたせていたのだろう。
大人たちは毎日毎日、意味の無い話し合いをしていた。
「どうしよう」
「これからどうしよう」
「どうしよう」
そうこうしている間に子供たちは飢えて死んでいった。子供たちは動くことも困難なほどに弱って、教室の片隅に寄り添って座っていた。固まって
そんな話し合いに業を煮やすものもいた。一番年の若いキョウが言った。
「どうしよう、どうしようって、そればっかりじゃないか。このままここで飢え死にするか、砂になるかのどちらかしか選択しがないのか?他の町に行くという選択肢はないのか?こんなとこでじっと待ったってなんも解決しないじゃないか!」
みんなの冷たい視線が動いた。
「それより、町をでてサマーズに助けを求めよう。大勢で行けば、誰かはたどり着くさ。な、そうしよう。もうここにいるのは沢山だ」
「サマーズまで歩いて何日かかると思ってんの、あんたは考えが甘いのよ。」
「仮に行くとしてもだ。その間の食料はどうするんだ。あの赤い砂漠を食料も水もなしでどうやって進むんだ。」
「まんいち、サマーズについてそこがもう砂に覆われてたらどうするんだ。」
「俺はこんなところで、飢え死になんていやだ。「そうだ、貯蔵庫を掘り返しに行こう!」
「ばか!なに考えてんだ。砂に飛び込んでいくようなもんだろ」
「俺は行かないぞ、砂になってしまうなんて絶対いやだからな!」
「じゃあ、飢え死にの方がいいのかよ」
「ばかもの!」
ジャック先生が怒鳴った。皆がシンとなってしまった。今ではジャック先生は絶対的な権力を誇っていた。
「私は砂にもならん、飢え死にもせん!」
そういうと、ジャック先生はキョウの襟首を掴み外へと引きずりだした。年はいっているが力は強かった。キョウを引きずって町外れまで来るとジャック先生はキョウを抱え上げ赤い砂漠へとほうり投げた。皆、ただ呆然と見ていた。みんなの見ている前でキョウは砂に飲まれ、人々は恐れた。町の人たちの方を振り向いたジャック先生は、声高らかに笑っていった。
「私は砂にはならん、飢え死にもせん!」
逆らえばキョウのようになる。皆が心で思ったときだった。こぶしを振り上げていたジャック先生がパァッと砂になった。そして霧のように広がって、風に飛ばされていった。
大人たちはあわてて教室に戻った。そして何事もなかったように話し合いを始めた。延々と続く同じ内容。
だが、いずれ人々は飢え、どうにもならなくなった。なにもかも、すべてが人間としての限界を超えようとしていた。
「もう、これまでだな…」
そう誰かがつぶやいた。ぼんやりとした瞳で思い思いに床に寝転がっていた人たちの中でその声に返事をするものはいなかった。
ただ一人、その言葉に答えるようにゆっくりと頭を持ち上げた者がいた。
彼はふらつく足取りで立ち上がると、傍の机にもたれかかり、寝転がっている人々、教室の隅で丸くなってぐったりしている子供たちを見た。
彼はゆっくり歩き出すと子供たちの一人に近づいた。
「食い物だ…」
彼はそう呟くと、一人の子供に触れた。子供はうっすらと目をあけた。
「ジャスミン…」
「まだ、生きてるな。今、飯を食わせてやる。待ってろ」
その言葉に反応するように、他の大人たちがゆらゆらと立ち上がった。
「ジャスミン、食い物があるのか?」
ジャスミンはゆっくり、顔を上げた。その目は狂気に満ちていた。口の端を少し歪めて笑うと子供たちの中から一番小さな子供―エマを抱き上げた。
エマの両親はすでに砂になっていた。両親が死んでからエマはただそこにいただけだった。食料が残り少なくなり、家族単位で食料は割り振られた。家族の数が多いほど分配は減るという仕組みだった。一人ぽっちになったエマを家族として受け入れる人はいなかった。それだけ自分たちの取り分が減るからだった。
エマを抱き上げたジャスミンはみんなに見せていった。
「食料だ」
人々は顔を見合わせた。
翌日には、ジョンが連れて行かれ、その翌日にはリンがいなくなった。
そして教室のいる人々には得たいの知れないものではあるが、食料が配られた。
ヨダの両親はエマが連れて行かれた直後に、ヨダを連れて自宅に戻っていた。自宅に戻ったところで食料も何もなかったが、それでも人を食べることはできなかった。
その後、スクールでなにが起こったかはわからなかった。
ガンッ ガンッ ガンッ
何かをたたく音がする。その音に合わせるように人が動く気配がする。
ヨダは目を開けた。どれくらい眠っていたのだろうか。ぼんやりと回りを見回すと、同じように寝転がっている両親がいる。両親はその音でのろのろと体を起こした。
「父さん、何の音?」
「外が何か騒がしいな。みんなスクールから出てきたのか?」
父のジークはそっと窓に近づきカーテンの隙間から外をうかがった。
カーテンの隙間から、明るい日の光が差し込んだ。今は真昼のようだった。薄暗く蒸し暑い家の中とは違い外は日の季節の太陽のような強い日差しがあるようだった。久しぶりに見る日の光に父は思わず目をつぶり、ヨダも母カリンもその光に引かれるように窓から外をうかがった。
窓の外には小さな庭があっり、その先に通りがある。以前はジークが手を掛けた美しい庭だった。塀のかわりに背の低い潅木が家を取り巻き、木の根元には花が咲きみだれていた。ところどころに可愛い動物の形をした置物があり、その間を縫うように小川が流れていた。ジークの造る庭は美しかった。家の裏に行くと小さな森と花畑があった。この裏庭の植物を使って、サマーズや他の町へ公園や庭を造りにいくのがジークの仕事だった。しかし、今では庭はすでに枯れはてており、草一本も生えてはいなかった。
赤茶けた乾いた風景。干からびて埃っぽい地面に光が反射し、奇妙な明るさを放っていた。
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