第8話 記憶(2)
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頂上について、スパンたちは愕然とした。
「これは!」
スパンの脳は、知識の引き出しを引っ掻き回して中身をばら撒いている。それでも、いま目の前にあるものを理解する答えは見つからなかった。
頂上は思ったより広い野原のようになっていた。東はスパンたちが上がってきた雑木林、北は高い岩山がそびえている。南は崖のように切り立って、マリアスの大地が一望できた。西は大きな車でもらくらく走行できそうなほどの道路がふもとへと伸びていた。頂上の広い部分には、コンテナハウスや、大きなテーブル。その他見たこともないような機材が雑然と、そして、規則的に並んでいる。…ここまではスパンが西の国側のマーリス山のふもとで見たものを元に想像していたことと大差はなかった。
今、スパンたちの頭を混乱させいるのは二つあった。
一つは、誰かがここで暮らしている?
生活の痕跡が、雑然とその野原のような広場に繰りひろげられている。
もう一つは、これが一番の驚愕かもしれなかったが。
その様々な機材やコンテナの向こう側に、見たことも想像した事もない物があった。
それは、細長い円形の形をしていた。高さはおよそ40m。横幅は100m以上はあるように見えた。それ以上かもしれない。奥行きもかなりありそうだった。
その物体は、黒く、鈍く、銀黒色に輝いている。
「これは、飛行船なのか、神話にでてくる、あの、祖先がのってきた飛行船…そうなのか?」
スパンのこころのなかで、何かが叫んでいる。
(僕たちが乗ってきた飛行船だ)
気がついたら飛行船に向かって走りだしていた。
飛行船のそばまで近づくと、枯れたつる草と苔に覆われているのがわかった。が、一部は誰かの手で剥ぎ取られたようになっている。
スパンは飛行船の周りを回ってみた。裏側に、ドアが、開いていた。
頭のなかで、自分のマリアス創世記に関する記憶と、もうひとつ、自分では知らない記憶が、せめぎあっていた。
眉間がひどく痛む。
スパンは、痛みをがまんしてそのドアから内部を覗き込もうとした。
「君は…」
後ろから、声をかけられた。スパンは飛び上がるほどに驚いた。
― 老人が、といっても40代後半か…?東の国の平均寿命は52歳。もう老人といわれる歳にみえる。西の国は平均寿命は62歳というから、もしこの老人が西の人なら、まだ働き盛りの歳になる ― 老人が立っていた。
スパンたちは互いに、呆然と立ちすくんでいた。走り出したスパンのあとをトーイが追ってきた。
「スパン…」
トーイもその老人をみて、立ち尽くしてしまった。そして、イブとエヴァも。
やっとのことで老人が口を開いた
「まだ、人がいたのか…」
いつのまにきたのか、老人の後ろに、少年のようにも見える幼い顔をした若者が立っていた。彼もあんぐりと口を開け、手にもっている、芋を落とした。
突然、イブが緊張が解けたのか、それとも緊張が極限に達したのか、ヒステリックにしゃべりだした。
「もう。いったいなんなの。やっと頂上についたと思ったら、こ、こんな変なものがあるし。スパンは突然、私を突き飛ばして走り出すし、やっと追っかけてきたら、人がいるし。いったいこの状況はなんなの。だれか説明してよ。!」
そういいながら、飛行船をバンバンと叩く。
その格好が可笑しかった。特段、可笑しい行動ではないのだが無性に可笑しく見えた。スパンは笑い出してしまった。つられてみんな笑いだした。
老人の名は「ヤン」ここであの飛行船の調査をしている、西の研究者だそうだ。
若者は「カーミラ」という。カーミラはヤン博士の助手だった。
ヤン博士とカーミラはマーリスの頂上で、伝説とされてきた飛行船の調査をしているらしい。博士は、スパンたちに出会えたことを大変よろこび、ご馳走を用意してくれた。
「君たちの姿をみていると、きっと長い間食事らしい食事はしていないのじゃないか?」
博士はそういった。
カーミラはスパンたちの体を考えてか、食べやすい食事を用意してくれた。野菜をすりつぶしたスープと焼きたてパン。シリアル系の食品や缶詰ばかり食べていたスパンたちは、無我夢中で食べた。温かいスープなんて久しぶりだった。ときどき、ひどくむせてしまう。胃が、せっかくありついた食料を吐き出そうとする。スパンたちみんな、絶対吐き出さない、必死で胃が拒否して、食べたものを競りあげてくる動作と戦いながら、スープとパンを食べ尽くした。
体が受け付けようが受け付けまいが、絶対食べてやる。
体が生き返るような、力がみなぎってくる。
美味かった。久しぶりにくつろいだ気分になった。食事のあと、カーミラはハーブティーを入れてくれた。博士はスパンたちの食べっぷりをニコニコと微笑みながら見ていた。
「さて、スパン君たちやっと一息ついたようだね。」
スパンは、あまりにもがっついた姿を見せてしまったことで、少し赤くなった。
「君たちに東の国のことをもっと詳しく聞きたいが、それは明日にしよう。」
そういうと博士は、スパンとトーイにイブとエヴァの方を見るように目配せする。二人はもたれあうようにうとうととしている。スパンとトーイも思わず微笑んでしまった。気持ちが緩んだのだろう。スパンたちは博士に促されるまま、カーミラが用意してくれたコンテナのひとつで横になった。
久しぶりに温かいベットで眠れる。
頭はとても興奮して眠れそうもなかったが、いつのまにか深い眠りに陥っていた。
眠りの中でスパンは博士と、宇宙船と、スパンの知らないスパンの思い出が浮かんでは消えていった。
あの飛行船はマリア、イブ、ゼス、マーリスと子供たちが母性からこのマリアスへと飛来したときの飛行船だった。
博士は今はカーミラと二人で調査をしているが、もともとは西の国でかなり大規模な調査団だった。砂が出現するまでは。
宇宙船の中のあやふやな記憶がよみがえっては消えていく。
子供たちの笑い声。
見知らぬ老人。
白く濁った惑星。
これが母性なのか…漠然とした記憶が流れていく…
“季節は変わらない。永遠にこのままだ”
見知らぬ老人の声が聞こえた。
夜明け前にスパンは目を覚ました。妙に頭がさえている。
スパンは外にでた。空には夜明け前に最後の光を放つ星がまたたいている。スパンは大きく息を吐き出す。寒い。雑木林の小枝の隙間から光が差し始めた。夜明けだ。
カーミラが起きてきた。
「スパンさん、早いですね、ちょっと待っててください。」
そういうと、宇宙船に入っていた。しばらくして洗面器に水を入れて戻ってきた。
「顔、洗いますか?」
スパンは貴重な水をそんなふうには使えないと、首をふった。
「大丈夫ですよ。宇宙船から、どういう仕組みか俺にはわかりませんが、水が出るんです。おかげで、ここの暮らしは快適です。」
地上のことさえ考えなければ…そう小さくカーミラはつぶやく。
「いま、お湯を沸かしますね。」
「何か手伝うことは?」
と聞いたが、カーミラは
「これは俺の仕事なんです。気を使わずにゆっくりしていてください。」
そういって、にっこりと笑う。カーミラが一人で朝食の準備をはじめた。その手際のよさに自分が手伝うと邪魔になるだけだとスパンは思った。
スパンは南の崖にいき、そこからマリアスを見渡した。南の崖からはマリアスの大地が一望できた。月はとうに沈み、夜明け前の藍色に染まった大地は美しかった。空には消える前のいくつかの星が瞬いていた。
きゅっ…とスパンの胸が痛んだ。このまま夜が明けなければいい。そうすれば美しいままでいられるのに。赤い砂に覆われた大地など見たくはなかった。
東から太陽が昇る。
赤い砂はキラキラと輝き、スパンは見たくはないのに目を閉じることも、そらすこともできなかった。赤い砂のきらめきは美しかった。スパンはそれを美しいと感じた。
ふっと、世界がゆがんだ。
たっぷり水をたたえた渓谷、その先は大きな海へ続き、またそこへ続く道はなく深い樹海に覆われている。夕日を浴びたその景色は希望とも哀惜ともとれた。
“哀しい”スパンはその景色を見てそう思った。
スパンはめまいを感じ、傍の岩にもたれかかった。
みんながボツボツと起きだしてきた。カーミラは食事の用意のあい間に、お湯の入った洗面器と乾いたタオルを準備していた。
イブとエヴァは久しぶりに顔を洗えて喜んでいる。
「シャワーの使えますよ。使いますか?」
その言葉にスパンたちは驚いた。イブとエヴァは顔を輝かせて「使いたい」といったが、エヴァが急にお腹を押さえると顔を赤く染めて言った。
「朝ご飯食べてからでもいい?」
「もちろんですよ」
とカーミラは笑った。
昨日、ご馳走が乗っていたテーブルには、すでのいいにおいのする朝食が並んでいた。
朝食は野菜スープとパンにハム、フルーツサラダ。そして、クランベリーティー。みんな貪るように食べた。スパンたちの食べっぷりに博士もカーミラも言葉を失ったようだ。
カーミラが楽しそうに笑いながら、スパンのカップにクランベリーティーを継ぎ足してくれた。
「スープもパンももう少し余裕があります。お代わりしますか?」
イブが口いっぱいに頬張ったまま、手をあげて、お代わりを頼んだ。
「そんなに喜んでもらえると嬉しいですね。ずっと、博士と2人きりだったので、久しぶり腕をふるった甲斐がありました。」
嬉しそうに笑っているカーミラの横で博士は満足そうに頷いている。
食事も終わり、やっとみんながひとごこちついたころ、ヤン博士が言った。
「さて、西の状況と今の現状を話す前に、君たち東の国の話を聞かせてもらえるだろうか。」
スパンらは東の状況を説明した。
多分スパンたちが最後の東の人間だろうと言うと。ヤン博士もカーミラも小さくため息をついてうなづいた。スパンはサマーズを旅発つ決心をした時のことをどう説明しよう。エヴァの妊娠を告げることに、この老博士と若い助手はどんな反応をするのだろうか。スパンは答えを求めるようにトーイ・エヴァ・イブと視線を合わせた。
エヴァはスパンに強い視線を返してきた。そして、ゆっくりと目を伏せる。
息を吸い込みながらゆっくりっと目をあける。エヴァが口を開こうとしたとき、ヤン博士が話しだした。
「西はねぇ、東より砂が覆うのが早かったんだ。大統領の声明の同時発表のとき、もう西ではほとんど誰も聞いていなかったよ。そのころにはもう、目の前で人々が砂になっていく。東のようにゆっくりではなかったから人々は砂の恐ろしさをしっていた。科学の力でね、この砂を消滅させようと、もしくは、無害にしようと、そうできると信じてたんだよ。
東の君たちは、そのときのこと、大統領の発表のあとのことを話してくれるかい?」
スパンは博士が何を知りたいのか、言葉の意味を理解しそこねた…スパンはとまどいながらも、当時の記憶を思い起こした。
「僕はあの日、妻のコニータと一緒にいました。西では軍隊と呼ばれる人たちと食料や水をめぐっての押し問答があって、そして、若い兵士が銃を撃ったんだ。みんな恐怖で怯えてしまった。今まで僕たちは人が人を殺すなんて考えたこともなかった。もう誰も逆らうことはできなかったし、恐怖と不安で心が凍りついてしまったんだ。
その後、僕たちはただ政府の連絡をまちました。何がどうなっているのか、考えることができなかったし、そのうち政府がなんとかしてくれるんじゃないかって…。
でも、何もしてくれなかった。僕たちも何もしなかった。
そのうち、変な噂が流れてきました。政府が僕たち市民を見殺しにして食品や飲料水などを自分たちの私物化しているって。それで、人々は荒れました。人を殺して食料や水を奪ったり、食糧貯蔵庫を襲たりとかあったんですが、結局みんな殺されたり砂になったりしました。僕たちは…いや、僕はただ怖くて、何も…何も見ない振りをして、いつもと変わらない暮らしをしようとした。僕は情けない人間です。」
「そんなことない。スパン。」
トーイが強くいった。
「俺たちは、何もできなかった。方法がわからなかったんです。決してスパンはそんな人間ではありません。」
博士は軽く髪をかきあげると、
「いや、いや、そんな風には思わないよ。誰も何もできなかった。我々も同じだよ。こんな状況で情けないとか卑怯とか、そんなものに何の意味があるんだね。
私の質問の仕方が悪かったようだね。誤解しないでくれ。責めたり、批難しているのでもない。私たちにはそんな資格はない。ただ、みんないなくなってしまった。私はもっと君たちの経験したことを聞きたいだけなんだ。」
スパンはとまどった。博士が知りたいのは、何の話のことだろう。夢の話し?なぜ僕たちがここへ来たのか?赤い砂漠のなかで、コニータが話したそのことだろうか?スパンはその話をすることは躊躇してしまった。でも博士が知りたいのはきっとその話なのかもしれない。スパンは自分の胸をつかんだ。
(砂とは戦わなかった。誰とも争わなかった。ただ愛する人たちが砂になるのを、ただ、眺めていた…)
そのとき、そっとイブが手を上げた。
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