第8話 聖虹武人

 この世界は陰の神と陽の神により創世された故、宗教国家の色が濃い。

 州のような領地に別れていようと、人々は互いに争うことなく、この二神を崇め、育み、信仰を重ねている。

 どのような神か、詳細を読み進めるもタブーにたどり着く。

「神の真なる名を口にしてはいけない、耳にしてはいけない。陰と陽は隣あってもいがみ合ってはいけない」

 神の真なる名を語れるのは、神に仕えし資質持つ者のみ。

 名を語るのは神に触れると同意義である故、資格無き者は口を噤み、耳を塞がねばならない。

 何故なら、神の名の重さに精神が耐えきれないからだ。

 二神ならば異なる神故、信徒同士の衝突など珍しくない。

 だが、陰とは陽であり、陽とは陰である。

 陰神を崇めるのは陽神を崇めることに繋がり、結果として同じ神を崇める故、衝突を回避している。

「資格持つ者とは白王と黒王」

 神の声を聞くことができる稀有な存在。

 地球で言う教皇や大僧正という宗教のトップに当たる者だ。

 その一人が行方不明の婚約者に瓜二つのアウラ。

 彼女は陰神の声を聞くことができる。

「なら彼女が黒王なのか、でも姫巫女って呼ばれていたけど」

 理由を探そうと生憎、本には載っていなかった。

 気を取り直して白王についての記述を見つけだす。

「一二聖家?」

 大陸東半分の一三ある領土のうち、残り一二の領土を統べる家々だ。

 白王は一二ある家の中より選定され、擁立される。

 もちろんのこと、擁立される絶対であり最低の条件は、陽神の声を聞けること、その声を他の者に届けること、そして、己の声にて人々を動かすことであった。

 ただ黒王とは真逆だった。

「白は一二もあるのに、黒は一しかないなんて」

 一二聖家は、初代白王の血筋が一二に分かたれた家々だ。

 対して黒は本家のみで分家すらない家系ときた。

 何故か、その理由を探そうと、詳細は載っていない。

 代わりに見つけたのが、地球で聖人に該当する項目であった。

聖虹武人せいこうぶじん

 一二、いや一三人の英雄たち。

 この世界において、人間同士の戦争を起こす暇などない。

 何しろドウツカ大森海から発生する魔物の脅威に日夜、晒されているからだ。

 特に脅威とされるのが、<災禍の波>と呼ばれる大規模発生。

 万単位など生温く、億、兆で来襲するなどザラ。

 過去、一六回もの災禍の波が発生するも、この世界の住人は力を合わせて撃破してきた。

 その中で一騎当千どころか、一騎当万の活躍をした武人こそ、後の聖虹武人だ。

「たった一人で、一〇〇万もの魔物を打ち倒した?」

 異世界だから俺ツエーの結果だと眉を潜めるも、彼ら聖虹武人は特異な能力を一切持たず、鍛え抜かれた武術や培われた戦略で打ち倒している。

 だからこそ、死後、その功績を称え、聖人の名を与えられた。

 僕は着目した聖虹武人たちの名を無意識のまま読み上げていく。

「イチロウ、シザー、タケル、アリサ、ヨツヒコ、トモエ、マイク、リー、ヨイチ、カール、エレック、リョクギョク、ガ――」

「スゲー、聖虹武人の本だ!」

 唐突に真横から響く子供の声が、鼓膜を揺さぶり、僕は読み上げを中断されてしまう。

 気づけば、一〇歳ほどの男女四人が、僕の広げた本を興味深そうにのぞき込んでいる。

 学校と併設されていると聞いたが、小学校だったのか。ってことはこの世界、識字率が高いことになる。

 どの子供も顔艶がよく、着込む服に統一性はなくともしっかりとした布地のものだと見て取れる。

「こら、図書館では静かにしなさい。いつも言っているでしょう?」

 教師らしき女性が、困った顔で僕の周りにいる子供たちをたしなめる。

「ごめんなさい。うちの子たちがお邪魔しちゃって」

「いえ、お構いなく、突然の声にびっくりしただけですから」

 本を破かれたわけでも、落書きされたわけでもない。

 ちょっと声に驚いただけであって実害などないから、気にしないでと付け加えておいた。

 ふと視線を戻せば、子供たちは聖虹武人のページに目を輝かせている。

 どうやらこの世界で、聖虹武人は子供たちにとって憧れのヒーローのようだ。

「聖虹武人、好きなの?」

「うん!」

「だって、無紋なのに悪い魔物バシバシとたった一人で倒しちゃうんだよ!」

「スゴいよ、なんたって天紋揃いの聖陽騎士団が束になっても勝てなかったんだ!」

 子供たちは口々に意気揚々と語る。

 だけど、僕はその口々飛び出す無紋や天紋を聞き逃さなかった。

 確か、僕が禊ぎの泉で負傷して意識を取り戻す直前に聞いた記憶が、微かにあったからだ。

無紋エンクレスト天紋テンクレスト、これか」

 読んでいた聖虹武人の本を開いたまま、子供たちに渡した僕は、天紋について記された本を手に取った。

 子供たちは目をキラキラ輝かせ、一冊の本を取り合うことなく仲良く読みふけっている。

「陰神と陽神より授けられし事象、ラノベ設定に定番の特殊能力のことだな」

 二神が人なる種に与えた事象。

 火や水を操る能力など序の口。己、相手を加速する、最遅にさせる、物体に触れずして持ち上げ操る能力など、人の数だけ事象の数があるも、注意点があった。

「誰でも必ず使える訳ではない、か」

 異世界で生まれた全住人が、能力を使えるわけではない。

 能力覚醒者あるいは覚醒予備軍の者には、身体のどこかに能力を授けられた証である紋を持つ。

 ふと、アウラの腹部にあった痣は、今思えば天紋だったと気づく。

 紋の形や位置は千差万別で、同じ形の紋はないとか、心象を紋の形や位置で表しているとの説がある。

「それが天紋」

 覚醒条件は、個々人により異なるようで、誰よりも先に行きたい願望により、己を加速させる能力を得た者もいれば、冷え性である故、暖かさを求めた結果、火を操る能力を得た、崖から滑落する際に空を飛びたいと願えば飛行能力を得たなど、その者の状況や心象、願望により決まるようだ。

 ただ、いくら強く願おうと紋が覚醒せず一生を終えるのは珍しくなく、中には身体のどこにも紋を持たぬ者もいた。

「あの時、言っていた無紋がこれか」

 いくら己を鍛えようと、望もうと、一切覚醒することのない者。

 本によれば、この大陸の人口は一〇億人ほど。

 一千万人に一人の非常に低い確率で生まれると言われている。

 無覚醒者でも紋を持つというのに、一切の紋を持たぬ故、神に見放された者、背信者など、三〇〇年前までは排斥と差別の対象になっていたようだ。

「けど、無紋=無価値ではない」

 無価値だとの概念を一蹴したのが、先の聖虹武人だ。

 誰も彼もが天紋を持たずして、覚醒者以上の功績を遺している。

 近年では、無紋だろうと裸一貫で起こした事業で富を築いた者、転生者や転移者でないにも関わらず、画期的な発明に成功した者などがいたことから、無価値・無能ではないとの認識が広がり、聖虹武人の活躍にあやかって、英雄が持つ紋、英雄紋だという説が唱えられていた。

 子供たちの目を見れば、差別や排斥ではなく、憧れの対象であることが如実に分かる。

 子供は大人の影響を受けやすいが故に。

「兄ちゃんさ、無紋なの?」

 同時、子供は時に、遠慮呵責なくドストレートに言う。

 先生が困った顔で窘めようと意味はない。

「なんで、そんなこと聞くのかな?」

「俺の兄ちゃんさ、ここに駐屯する聖陽騎士団にいるんだけど、騎士って剣とか槍の武器握るだろう? それが理由か分かんないんだけどさ、誰もが手の甲や手の平に天紋あるんだ。けど、兄ちゃんの手、豆だらけなのに、手の表や裏に天紋ないし」

 子供騙しというが、子供に子供騙しは通用しないとも言う。

 観察眼は油断ならず、子供の舌は正直が一例だろう。

 はてさて、僕は困ったように首を傾けるしかない。

「もしかしたら、足の裏や甲にあるかもしれないよ~」

「なさそうな顔してるけどな~」

 このガキ、僕は無自覚のまま頬をひきつらせていた。

「もういい加減にしなさい。本を読むのを邪魔してはいけませんよ」

 見かねた先生が子供を注意する。

「いえ、気にしてま――」

 と言い掛けた僕は、鼻先を刺激する匂いに発言を切った。

 インクと紙の匂いしかしない空間において、唐突に異臭が立ちこめてきたからだ。

「どっしたの、兄ちゃん?」

 子供たちは異臭に気づいてない。

 ならこれは鍛錬で培われた故に感じた匂い。

 重くて澱んだ暗い匂いは外から漂い、秒刻みで密度を上げながら近づいている。

「伏せろ!」

 咄嗟に叫ぼうと、先生や子供たちは事態を把握していない。

 外側から迫る異臭から守るため、僕はテーブルを力の限り押し倒せば盾とした。

「ぐうううううっ!」

 衝撃と轟音が、倒したテーブルを介してビリビリと支える僕に伝わってくる。

 まるで自動車が、コンビニにアクセル全開で突撃したような音。

 盾としたテーブルに、飛散した本や建物の破片が当たって不規則な打音を刻む。

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