第4話

 だった。光と共にいきなり現れて道路の真ん中に立ち、こちらに手を伸ばして、車に轢かれそうになっていた妙な少女。

 しかしいま目の前にいるのは、もっとずっと明度の高い、人間らしい人間だった。

 可憐な声。手の込んだ人形が持つような、薄桃色の長い髪。気の遠くなるほど丹念に梳かれたのではないかと思うその髪だけでなく、舞子を見つめる大きな瞳は澄んだ湖のような明るい水色だった。


 肌は透き通るような色をしている。人形めいた繊細な美貌を裏切らぬ繊細な体には、うっすらと透ける羽織ものと、胸元までしかない薄桃のドレスが包んでいる。折れそうな首回りは金色の首飾りが彩っていた。

 現実離れした衣装を、少女は完全に着こなしている。年の頃は十四、五だろうか。


 よく見れば、少女の後ろには似たような衣装を着た壮年の男たちが控えていた。険しくおごそかな表情は、保護者のようには見えない。

 舞子はとっさに言葉をかけていた。


「あ、あの、大丈夫でしたか?」


 少女に向かって言うと、宝石のような目が見開かれた。


「大丈夫、とは?」

「その、道路の真ん中に立って轢かれそうになっていたから……。怪我がないなら、よかった。でも、どうしてあんなところにいたのかなって。あ、というかここは一体? 車が……」


 混乱がにわかにぶり返すと、隣の青年が眉をひそめた。


「――控えろ。無礼だろう」


 厳しく咎める響きに、舞子は虚を衝かれて青年を見上げた。少女のほうが、頭を振ってそれをたしなめる。


「いいのです、シリウス様。この方は、きっとわたくしを心配してくださっているのです」


 そう言って、少女は舞子に優しく微笑みかけた。


「わたくしに怪我はありません。あなたのほうは?」

「わ、わたしは大丈夫です」


 こくこく、と舞子はうなずく。少女の言動はずいぶん大人びて見え、妙に気まずい思いがする。


「奇怪な衣装の上、武道の心得があるとは思えないのですが」


 青年が不服そうにぼそりとつぶやく。

 奇怪な衣装、という言葉に舞子の頬がにわかに熱くなった。センスも何もない、いつものTシャツに薄手のカーディガン、ジーンズにスニーカーという服装を揶揄されたのかと思ったのだ。

 するとふいに、青い瞳の少女の背後から、壮年の男性が声をあげた。


「アンジュ様、この者が《聖女》もしくは《後継者》のいずれかの証を持っているか、お確かめください」

「……わかりました」


 青い瞳の少女が首肯する。そして、両手を舞子に向かってかざした。

 舞子が意表を突かれた横で、紫の目の青年も右腕を軽く持ち上げる。

 呆気に取られた隙に、舞子はふいに右の手の甲に火傷のような痛みを感じた。


「痛っ!?」


 思わず右手を跳ね上げる。だが、その自分の手が光っていることに気づいて目を剥いた。


「なに、これ……!?」


 手の甲に、白く光る刺青のようなものが浮かび上がっている。円のような、だがどこか不安定に繋がらない形。


「――《変転》の後継者のほうか」


 傍らの青年が、重苦しい声で言う。舞子は思わず振り向く。そして、苦いものを見るような目とぶつかった。


(……あ!)


 同時に、青年の右腕にもまた、袖を貫通するように白い光の紋様が浮かび上がるのが見えた。自分とは形の違う、絡み合う鎖を思わせるような形だった。


「では、《治癒の聖女》のほうは?」


 戸惑う舞子を横目に、今度は壮年の男が厳しい声で告げる。視線を動かし、紫の目の青年を一瞥し、他に何かを探すような素振りをする。

 舞子の手の甲から光が消えると、青年の腕からも同様に光が消える。

 青年が答えた。


「――少なくとも、この者の周りには見当たりませんでした」


 アンジュと呼ばれた、青い瞳に桃色の髪の少女が表情を曇らせる。


「《治癒の聖女》も確かに捉え……ました。ですがこちらに呼ぶまでには――」

「聖女のほうの召喚は、失敗したと?」


 壮年の男が眉根を寄せ、咎めるように言う。その様子は、厳格な教師にも、冷徹な上司のようにも映った。


「申し訳、ありません」

「この地に来ていないのであれば、すぐに再召喚を。――《治癒の聖女》は、勇士たちの要です」


 厳しい叱責を思わせる男の口調に、少女――アンジュは細い肩を震わせながら、はい、と従順にうなずく。

 舞子は現状をいったん忘れ、少女に対して哀れみを覚えた。

 すると、傍らから険しい青年の声がした。


「――《変転》の後継者の召喚には成功しています。アンジュ様の負担を軽視すべきではない」

「シリウス殿、貴殿こそ状況を見誤っているようだ。今は何よりも《治癒の聖女》と《変転》の後継者両方が必要とされているのですぞ。片方ではない、両方です」


 壮年の男がおごそかに、だが少しの皮肉さをまぜて言う。

 青年はますます眉を険しくし、一歩も退かないというように相手を睨んだ。

 張り詰めた空気に舞子はなんともいえない居心地の悪さを感じ、視線に迷った。


 すると、青い目の少女――アンジュがぎゅっと唇を閉じたあと、顔を上げて舞子に精一杯微笑みかけた。


「まずは、《変転》の後継者がこの地に来てくれたことを喜びましょう。後継者よ、よくぞ《スピラル》に来てくれました。――あなたを、待っていたのです」

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