第10話 北の森の魔法使い

 バルコニーから、息子に継がせた城の方角を仰ぐ。山の稜線で星空が途切れている。


 今は遠い城に想いを馳せると、記憶がよみがえってきた。



「北の森の魔法使いと申します。姫の恋心をいただきに参りました」

 アンドリューが消えた夜。

 私室の開いた窓の下、月の光を背に受けた人物がひざまずいていた。黒いフードを被った男だった。


 私は愛しい人の無事を祈っているところだった。床に伸びる不気味な影から後ずさりする。


「どういうこと? 

 まさか、彼が消えたのもあなたのせい?」

「いいえ、彼は無事ですよ。というかね、これはあの若者の依頼なんです。金と、魂を少しもらいました」

 男はにやりと笑う。


「彼はこう言いました。養父に恩を返すため、姫様と駆け落ちすることはできない。だが命令されたら逆らえない。ついては姫様の恋心を――盗んでもらえないかと」

「嘘……」


 心が、ガラスのように砕ける音が聞こえた気がした。


 頭は「護衛を呼べ」と叫ぶ。でも私の中の乙女心は、信じられない思いでいっぱいで、足が動かなかった。


 彼が、私の恋心を盗むよう依頼した?

 それほど、私のことが嫌だったの?


 魔法使いは私の反応を見ている。こんな得体の知れない者に王族の狼狽を見せるわけにはいかないと、姿勢を正した。


「なぜ私の許可がいるのです。勝手に奪えばいいでしょう」

「無理やり奪うと心が壊れてしまいます。王族になにかあれば私は追われる身だ」

 今だって危ない橋を渡っているのです、と彼は言った。


「お許しをいただければ、恋心は私が安全に取り出しましょう。この宝石に込めて彼に渡します」

 彼の手のひらに、ハート型のピンクの宝石がみえた。綺麗だが、今の私には凶器だった。


「お立場からしたら、もう手放さなくてはならないものだと、わかっているでしょう?」 


 半笑いで諭すような口調。頬がかあっと熱くなる。


 理性が彼の言い分を認め、乙女の私は嫌だと叫ぶ。ぐるぐると渦を巻く感情に身を焼かれるようでうまく息ができない。

 苦しい、と思った時、療養所に横たわる民の顔が浮かんだ。あちこちから聞こえる乾いた咳の音。兄たちの葬儀。

 

 心が、決まった。

 

「その必要はありません。あなたはなにもしなくていい。彼には確かに恋心を盗んだと伝えなさい」

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