てつがく部!

清原 紫

第1話 見えないものは無いと同じ? ver.1.2

「さみーこんな日は焼きそばパンに限るなぁ。それとコンポタ。コンポタが染みるんだよ」


 親父臭い独り言である。それが誰もいない部室に響き渡ったかのように思ったが、窓際から声が返ってきた。


優乃ゆうの、焼きそばパンは炭水化物オン炭水化物だがいいのか? お好み焼き定食に文句言ってただろ」


 声の主は一ツ橋雪希ひとつばしゆきという。艶のある真っ黒な髪はストレートで、ショートヘアスタイルである。シルバーの下縁眼鏡を掛けたその目は一重で細い。まるで顔の皮膚をナイフで裂いたような鋭さに満ちていた。背は比較的、低い。


「雪希いたの?! 電気もストーブもつけないでまたいつもの分厚い本を読んでた的な? マジ怖いからやめてよね」


 そう言ったのは中山優乃なかやまゆうのという。


 雪希とは対照的で、髪はブリーチで脱色されている。軽いウェーブがかかっていてピンクのインナーカラーが特徴的だ。背は雪希よりも高い。


 セーラー服の上からイーストボーイのロゴが入ったピンクのカーディガンを羽織って、袖から水玉模様のジェルネイルをした指先だけが覗いている。


 彼女は部室の角に置いてあるガスストーブのスイッチを入れた。チチチと音がし、部屋にガス臭が漂う。そのストーブの上にコーンポタージュ缶をそっと乗せた。そして、学生鞄からサランラップに包まれた焼きそばパンを取り出す。


 雪希は読み途中だった、ジョージ・バークリ『人知原理論』に栞挟んで言い返す。


「誰にも迷惑をかけていないのだからいいだろう。だが優乃が来て助かった。正直寒くて本をめくれないくらいに凍えてたんだ」


 本を読み始めると周りが見えなくなるタイプのようだ。


「いまさ、雪希が声かけてきたから気がついたけど、もし声かけられなかったら気がつかなかったよね」


「それがどうした?」


「それちょっと怖ない?」


 優乃はそう言いながら焼きそばパンにかぶりついた。


「何が怖いんですの? 怪談話でもしているんですか?」


 亜麻色の髪をふんわりとハーフアップにした少女が部室のドアを開けて入ってくる。少し太めの眉と、ゆるく垂れ下がった目尻が印象的だ。背は3人のなかで一番高い。


 バーバリーのロゴが入った地味なカーディガンのボタンをキッチリと留めている。彼女の名前は葛城くずしろゆめという。


 優乃が応える。


「ウチが部室に入ってきた時に、もし雪希が声をかけてくれなかったら気がつかなかったなって話」


 ゆめは指を頬に当てて首をかしげながらうんうんと頷いた。


「優乃さんが雪希さんに気がつかないで、全裸になって歌い出したりしたら怖いですね〜」


 雪希が相づちを打つ。


「優乃、そんな趣味があったのか、人は見かけによらず怖いな……」


「いやいやなんでウチが露出狂みたいな扱いなの? 悲しみの極み乙女なんですけどぉ……そうじゃなくて! ウチが言いたかったのは、そんなことないと思うけどお互いにお互いの存在に気がつかないでここで過ごして帰ったら、その日はお互いに誰も居なかったって思うわけでしょ? 怖くない??」


「つまるところ、我々の世界は認識によって存在していると言いたいのか?」


「世界とか、認識とか、存在とか難しいですわ。もっと分かりやすい例えをしてみてくださいませんか?」


「いや、今のは例えではなくてむしろ抽象度を……いや、おほん。例えばいま私たちは部室にいて外の状態を知らないよな?」


「そうですね」


「優乃の言う怖さとは、私たちが部室の中にいると隣の部屋が無いのと同じだということだ」


「ゲームのステージ生成みたいな感じで、見えないところはない的な」


 優乃が補う。


「隣の部屋はありますよ? だってわたくしさっき間違えて隣の部屋に入ってしまいましたもん?」


「ゆめは相変わらずドジだなぁ!」


 ははははと優乃は笑ってから焼きそばパンの最後の一口を食べきって質問した。


「じゃあ今も隣の部屋はあると思う系?」


「あるに決まってますわ! 撮影の美術セットじゃないんですから、さっきの今でなくなるはずがありませんわ」


「それが常識ってもんだな。でも目が届かないものは確認できない。それができない状態ではないも同じじゃないか? というのが優乃が言った怖さだ」


 ゆめはまた指を頬にあて首を左右に振りながら考えている。


「わかりましたわ! わたくし今日のお弁当はスパゲッティだったのですがそれを忘れてしまったら食べなかったも同じということですのね。それは怖いですわ!」


「それは別の意味で怖いが……」


 雪希は眼鏡を直しながら言う。


「そんなことを言ってたらわたくしお腹が空いてきましたわ。もしかしたらお昼を食べてないのかも知れませんわ……なんか香ばしい匂いが……」


「そういえば……」


 3人が部室のなかをキョロキョロする。


「やべっ! コンポタ缶が焦げてる!」


 慌ててストーブで温めていたコンポタ缶を取ろうとするが、熱くて手に取れない。カーディガンの袖を伸ばして、指先に巻き付けてなんとか取り上げる。


 ゆめが右手を挙手して言う。


「あの、さっきの話なんですけど、コンポタ缶は認識しなくてもそこにありましたわ」


 3人が目を見合わせた。

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