「ごめんね?」
彼の耳にその声が響いたのと彼の目が謎の閃光い焼かれたのはほとんど同時だった。
「はい、ちーず……でいいんでしたっけ?」
などと言いながら、鏡のようなものを掲げる理事長が膝の猫に尋ねた。
ザッコの脳の混乱が深まる。
この女は何をしているのだ?一体、あのガラス板は言ったい?あの閃光は?
わからない、わからないことだらけだ。
ガラス板の上で指をさまよわせた理事長が一つうなずく。
それが、スカラーの技術によってつくられた写し絵を写し取る装置――すなわち、切時鏡であると知っているのはこれを扱っている本人と膝の上の猫だけだ。
理事長が思わせぶりな目くばせをした。
後ろから伸びたその手が、困ったような微笑でもう一度ザッコに謝りながら混乱のただなかにいるザッコの手から校章――いや、変遷の護符がもぎ取られる。
背中から聞こえた声。
自分の味方のはずの声。
絶対に裏切らぬしもべ。
『―――セレエ?』
動かぬ口から息が漏れ、言葉にならぬ声が響いた。
呪縛の邪視だ!
遅ればせながら現実を理解した脳が叫んだ。
混乱している――何が起きた?
なぜ裏切るなどできるはずのない護符の虜が自分を拘束している?
『まさか、ドリンのやつ――』
裏切ったのだ。
とっさにそう考えた。
あの卑怯な裏切り者は自分を手伝わせる名目で彼女を自分のもとに送り込み、このタイミングで裏切らせたのだ。
だとすれば狙いは――
『理事長!あいつ……まさか、自分が公認チームに!!』
臍を噛んだ。
最初は警戒していたはずだが、テンプスを殺せた喜びで頭から抜け落ちていた。
内心で毒づきながら、しかし、ザッコは反撃の糸口をつかんでいた。
『っくそ……いや、でも、問題ない。護符はプレイヤーにしか使えないんだし、理事長を操るつもりならドリンのやつが来る。来たら仕込んであった『隠し玉』で不意打ちを――』
そう考えるザッコをしり目に、セレエはつかつかと理事長に歩み寄る。
『――馬鹿め、あの時教えただろ!そいつは僕らにしか使えな――』
まさか、あの道具を使うつもりなのかと鼻でわらうザッコの目の前で、セレエはその校章を――
「はい、これ。」
――理事長に渡した。
『……はっ?』
思考が止まる。
完全に予想外の行動だった。
てっきり、裏切ったドリンのやつに手渡すのだろうとばかり覆っていた自分の切り札は、なぜだか、理事長の手の内に在った。
「ん、ご苦労様です、やっぱり使いましたか、さすがは先輩の予測ですね。」
校章を受け取った理事長がしげしげと校章を眺めながらそうつぶやく。
「うん、すごいね……ここまでうまく行くなんて思わなかったよ。」
「ま、先輩ですからね……ああ、そうそう、ちゃんと叱っておきましたよ、もうやらせないとしょぼくれてましたので大丈夫でしょう。」
「あ、ありがとう!何でもするとは言ったけど、あれはもう嫌だからねー……変なこと言ってくる子も結構いたし……っていうか、ここ、一応英雄とかを輩出するのが目的の学園でしょ?あんな生徒ばっかりでいいの?」
「さぁ?私は気に入りませんが……この学園の方針ですからね、学園側が勝手にすればよろしい。」
「……?」
疑問が浮かんだ――こいつらは何の話をしている?
理事長は学園の最高責任者だ。
一応、表向きの責任者として学長が存在するが、そんなものはただのおためごかしにすぎない。
この学園の全権を握り、支配しているのは間違いなく理事長であるはず……だというのに、なぜこの女はこうも他人事なのだ?
まるで――
「――別人のようだとでも?ええ、正解ですよ。」
まるで、心を覗いたかのように理事長の口が動く。
次の瞬間、彼の目の前で起こったのは、驚くべきことだった。
『――――はぁ?』
理事長が溶けた。
いや、溶けたというよりも、毛糸がほどけるようにほどけていった。
ひゅるひゅると見えない手で巻き取られるようにほどけていく姿はまるで編み物をほどいて遊ぶ子供のようだ。
顔がなくなり、体が消え、靴すらほどけて――最後に残ったのは見覚えのある少女。
『―――まぎ、あ?』
「ええ、私です――ほんとに顔に出やすいですねあなた。」
あきれたように、白銀の美貌が顔をしかめた。
原作のメインヒロイン、いずれ自分のものになるはずの女――マギア・カレンダがそこにいた。
『なんで……』
何が起きた?なぜ、理事長がマギアに代わる?何をされた?
「なんです、間抜けずらして……変身の魔術ってやつですよ。ご存じでしょう?」
嘲笑交じりにマギアが告げる、彼女からすれば、自分の能力を知っていて対処を行わないのが問題だった。
「な、なんだその魔術……知らない!そんなのインチキだ!」
「……ほう?」
興味深そうに眉が曲がる――想定外の答えだった。
名声の魔女との戦闘でも使った『
だというのに知らない?
『……これ、予想よりも私の事ばれてないのかもしれませんね。』
内心で、相手の脅威度を修正する。
ドリンの精神をもう少し漁っておくべきだったかと舌打ちした。
「……まあ、知らないならそれで結構。あなたに関心はありません、それよりもあなたの使おうとしたこれについて――」
そういって、一瞬だけ視線が校章に向かう。
ザッコの体が動き出したのはほとんど同時だった。
閃光の魔術を起動、強い発行で邪視をつぶし、マギアの視線を遮る。瞬間的に体を動かし、隠し玉を起動して呪縛から逃れる。
『自由の指輪』
彼が作れるものの中で最も要求される能力の高いその道具は、あらゆる戒めから彼を解き放つ作用を持つ。
それはセレエの邪視とて例外ではない。
邪視の魔力から逃れ、ザッコは一目散に駆け出した。
向かう先は扉だ――逃げるつもりだった。
自分が背にしていた扉は十歩もかからぬ位置にある。後ろにいたセレエもいない以上、彼を阻むものはない。
魔術にせよ、邪視にせよ、視線が通らなければ使えない。逃げ切れるはずだ!
何が起きているのかは全く理解できていないが、彼の想定外の――いや、すべての転生者にとって想定外のことが起きている。
逃げなければ……!逃げて、ほかの連中に伝えるのだ。
そうすれば、全員の力でこの状況を打開できるかも――
そう考えた彼の真横を、何か黒い影が瞬時に通り抜けた。
虫か?一瞬、鎌首をもたげた疑問を無視する――扉まであと二歩だ。
扉に飛びつく。
ドアノブをひねって、扉を開け放――
「――あかない!」
――てない。
なぜかはわからないが扉が開かないのだ。
押しても引いてもびくともしない――まるで、扉全体が一枚の岩になったのか、さもなければ、巨人にでも押さえつけられているかのようにびくともしない。
『な、なんで!かぎ?かぎが……いや、かかってなかった!じゃあ、なんで!?』
疑問が脳を支配する。何が起きているのかわからない――
そこで、彼は自分のわきに突き立っている黒い何かに気が付いた。
それは黒い帯のように見える何かだった。
まるで鋭い剣のようにドアに突き立つその帯はしなやかで、艶めいている。
そこにあることが当然であると主張するようにかすかに揺らめくその帯は自分の後ろから伸びている。
視線が、とっさに帯を追った。
進む先は自分の後ろ。理事長の机の上――
「ね、こ?」
そこにいたのは理事長の膝の上で眠っていた猫だ。
黒い、艶やかな毛を持つアメジストの瞳の猫。
その猫の尻尾が、扉に突き刺さっている。
まるで睥睨するようにこちらを見つめる猫の視線で、彼は気が付いた。
この猫が、扉が開かないように尾で突き刺した扉を押さえているのだ。
あの細い帯のような尻尾に見合わぬ力で、扉の動きを完全に抑え込んでいるのだ。
「なんなんだ、なんなんだよお前!」
ザッコが叫ぶ――こんな化け物は知らない。
ゲームに登場するモンスターではない。こんな……こんな生き物は知らない。
「――ん?ああ、この子の事か?」
この場のだれのものでもない声が響いた。
男の声だ、この場にいない男の声。
その声は――猫の口から響いていた。
「……!」
驚愕に目を見開くザッコを見つめながら、猫が声を放つ。
「何、と言われても困るが……そうだな名乗っておくか――どうも、可変型流動性エクトプラズム誘導実体S-OA-001……もしくは、単にキャスと呼んでくれ。」
猫から、聞こえるはずのない男の声が響いた。
死んだはずの男、自分が殺した――
「――テン、プス?」
恐る恐る声に出す。聞かずにはいられなかった。
「え、ああ、まだ気づいてないのか……そうだよ、僕だ。君に殺された――ことになってるテンプス・グベルマーレだ。」
そういって、しずしずと頭を下げる猫をザッコは茫然と見つめた。
その顔は、まるで亡霊にあったように色を失っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます