夜道の一幕

「――つまり、その理事長とやらが私の家族とセレエさんをだしにあなたにスカラーの技術を使わせようとしていると?」


「そうなる。」


「……っち、偽造書類じゃなく頭いじっとくべきだったか……」


 空中にぶら下げられながらテンプスは不満を隠さぬ舌打ちを聞いていた。


 体にはひどく緩いが抜け出すことのかなわない不可思議な鎖――闘技場でマギアがあの汚泥に使っていたあれだ――が体を覆い、空中に浮かされて運ばれている。


 目覚めたとき、テンプスはすでにこの状態だった。


「歩くのもやっとなぐらいふらふらだったらしいんですから、黙って運ばれてください。」


 とは、マギアの言だ。


 実際、体に力が入らないのは事実だったので、そこに関しては不満はない。


『……それにしても……』


 珍しい夢だった。


 思い返すのは先ほど見ていた夢だ。


 今見れば、マギアは銀の髪のままだし、自分のことを膝枕していたりもしない。


 気を使ってはいるがどこか雑な、いつもの後輩だ。


『……よかった、カッコ悪いとこ、見られないで。』


 どこか、戻りきっていない仮面越しにそう思う。


 ――テンプスの知る由もない話だが、当然、先ほどの一幕は夢ではない。


 マギアはテンプスのことを目覚めるまで待っていたし、言葉の通り、可能な限り脳の復旧を行っていた。


 そんな彼女が、テンプスのことをす巻きにして運んでいるのには理由がある。


 のだ。


 彼の脳に受けたダメージとも変質ともつかない変動を、マギアは治しきれない。


 故に、自分を超える治癒の魔術を扱う――最も、1200年前の話ではあるが――妹の手を借りなければ、彼の脳に手出しできないと判断したがゆえだ。


 何?髪の毛の色を戻した理由?恥ずかしくなったからだ、それ以外の理由などない。


 そんなことを知る由もないテンプスは、あのうれしかった夢を思い出す。


 自分の夢があのように幸福に満ちていることはまれだ、仲の良い人が自分を救ってくれる夢など今まで見た記憶がない。


 何時だって、自分が他者を夢に見るときは――


「――先輩?」


「んぁ?ああ、ごめん。何?」


「……ほんとに大丈夫なんでしょうね……まずそうなら寝てても――「平気だよ、で?」――受けたんですか?」


「ん、まあ、別にその程度ならいいかなと。時計とフェーズシフターができて、僕にも多少余裕出てきたし、それに……彼らや君らにはなんか渡してもいいかなと思ってはいたんだ。」


 それは彼の本心だった。


 スカラーの技術を扱えるのが自分だけなら、自分はその知性を誰かに還元してやるべきだ――自分のような体質の人間のために。


「……いいんですか?言ったらなんですけど……先輩の数少ない優位性でしょう。」


 眉を下げて、マギアが問いかける。


 別段、技術的優位がなくなったとしても彼の人間的な価値をいささかも損なうことはないが、それでも彼の不利になるのは事実だ。


 それはテンプスも把握している、だからこそ気に病んでいるのだろう、自分の家族がテンプスの足を引っ張ったように見えて。


 気にしないでいいのに……と、苦笑するテンプスはしかし、自分がマギアにサンケイの指導を頼んでいることを気に病んでいることを忘れていた。


「いいんだよ――問題ない技術だけ見せるから。」


「ほう?そんなものが、興味深い話ですね、詳しく。」


「ん……スカラーの技術には二種類あってな。秘密暴きの技が使える人間と使えない人間用に分かれてるんだよ。」


 『神秘機構』と呼称されるスカラーの技術群にはもともとはスカラーの民でないが、恭順したり、あるいは単純に国土を安定させるために誰でも使えるように作られた『普及版』とでも呼ぶべきものがある。


 彼は、こちらを学園側に流すつもりだった。というか、どっちみちそれしか使えないのだ。


「ほうほう。」


「魔力が原動力でないこと以外は魔術の道具とそれほど差がないが……それぐらいは我慢してもらおう。」


「ふむ、まあ、そうでしょうね。オーラとやらの絡みですか。」


「もある、が、どっちかっていうと、パターンが見えてないのがまずい。」


「ふーむ……?」


「あー……魔術師的に言うと……習ってない複雑な魔術を補佐なしで使う感じ?」


「自殺志願ですか?」


「似たようなもんだよ――少なくとも、僕以外がまともに使えるもんじゃない。」


 実際、彼と祖父の二人が刻んできた数十年の研究成果で体を改良し、ようやく扱える代物ばかりなのだ、そうやすやすと他人に使えるようにはできない。


「その、理事長がでしたか?その女も気になりますね、単なる権力欲の塊だというのならいいですが……」


「まあ、調べた方がいいかなとは思うね。ソリシッド増やそうか。」


「お、いいですね、アラネアも喜びますよ。」


 月明かりが柔らかく落ちる道を、二人で歩く――歩く?――穏やかな時間。


 マギアが意を決したように口を開いたのはテンプスの家もほど近くなった時だった。


「――体調のことを話すつもりはないんですね。」


 その言葉に心臓が跳ねる。


 真実を語るわけにはいかない――できない。


 のだ。


「……ただの体調不良だよ。」


「普通の人は、ただの体調不良で廊下の真ん中で意識を失ったりしませんよ。」


「……」


 全くあのおしゃべりめ……


 自分を救った小柄な先輩に内心で毒づく、これではごまかしようがない。


「――信じて、ほんとに、ただの体調不良なんだよ、その……ちょっとひどいけど、だれかに何かされたとかじゃない。」


 だから、情に訴えてみることにした――回らない頭ではこれが限界だった。


 そんな彼を、マギアはどこか疑念と……悲しみのようなものの残る目で見つめて告げた。


「一つ、答えてください。」


「ん?」


「なおるん、ですよね?」


 すがるような声。


 ありありと声に乗る恐怖は、彼がこのまま、治らないことにおびえていた。


「……たぶんね。この異常が僕の予想してる通りの影響で、僕が予想してる通りの経過をたどるなら……治るよ。」


「……そう、ですか。なら、いいです。」


 そういって前を向くマギアを見ながらテンプス内心で謝った。


 二つ話していないことがあった。


 一つはこの事態がスカラーの文献に載っていないこと。そのせいで、この事態をどう納めればいいのかわからないこと。


 彼の知性は、彼の状況が決して死に直結しないことを割り出していた。


 癒すこともできる、できるが――それを癒すのにどれほど時間が必要かはわからない。


 『……問題は、想念の戦士だ。』


 あの力が想定の通りに働き、自分の体に恩恵をもたらせば自分は回復できる。


 ゆっくりと、力は体に適応してきている……ただ、望む効果を発揮するのに、どれほど時間がかかるのかはわからない。


 その事実を、テンプスはマギアに語らなかった。


 そして、マギアもまた、ある事実を語らなかった。


 実は、彼が目覚める前に、を。

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