初歩の初歩
「――はぁ?僕が?そこの生徒のロッカーに?わなぁ?」
午後の授業の一発目に事件は起きた。
「そうだ!明らかにお前の仕業である!」
そう、声高に叫ぶのはこの授業の担当教官であり、その足元ではまな板の上で死を待つ魚の様に体を弓なりにしならせて痙攣している同級生の姿があった。
狭い男子更衣室で起きたこの茶番は、テンプスが更衣室に入った時に起きた。
次の時間が逮捕術実習だったテンプスは昼食後、マギアと別れてから図書館に寄り、本の返却といくつかの確認事項を済ませてから更衣室に向かい、装備を着用しようと扉を開けた――次の瞬間飛び込んできたのは、人だかりとその中央でかがみこんで何かをしている教員の姿だ。
『何してんだ?』と思いながら自分のロッカーに向かったテンプスはその騒ぎがどうやら自分のロッカーの前で行われている事。
そして、誰からしらが倒れているらしいことに近づいてから気がついた。
彼はその姿を認めた教官に詰め寄られたわけだ――ありもしない嫌疑で。
「……何が根拠で?」
呆れたようにそう聞いたテンプスに一間息を飲むように黙った教員はすぐに息を吹き返した様に叫び始めた。
「この更衣室は昼休みの間、自主的に練習を行う勤勉な学生諸君が使用していた、そして、その際には何事もなくロッカーを使用できていたのだ!」
「はぁ、なるほど、それで?」
「すなわち、この更衣室に何かを仕掛けることができるとしたら昼休みから今、この時の間だけだ!そして、そこで彼にこのような危害を加えるものとして真っ先に名前が挙がったものがお前だったからだ!」
「はぁ……動機があると?どんな?」
「貴様、先ほどうちの主将ともめたそうだな、それを根に持ったお前は――」
『――ああ、なるほど。いつもの奴か。』
今日はえらく、手が込んでるなと嘆息しながら彼は飽きれたようにあたりを見る。よくよく見て見れば彼を囲んでいるのはあの男――ジャック・ソルダムの後輩ばかりだ。
去年もやられた手だ――と言うことは地面で転がっている生徒は自業自得と言うことだろう、人の荷物になど手を出すからこういう事になるのだ。
「――ゆえに、お前は卑劣にもこの生徒をターゲットに襲撃を――」
「いや、無理でしょう、そちらの主将閣下ともめたのはつい――十五分前ですよ?そして、僕は六分前まで図書院に居ました。図書院からここに来るのにおよそ六分かかりますよ。」
「む……貴様が証言しただけならうそやも――」
「司書に聞いてください、彼女と話してましたから覚えてると思いますよ。」
「グッ……」
教官がむっつりと黙る、拙い言い訳ではどうにもならないと判断したらしい。
かなり無理のある――いや、ただの言いがかりを打ち砕きながら、彼は考える。
これはたぶん、自分のロッカーに何か仕掛けをしようとして返り討ちにあったな。と。
彼の扱う技術、『秘密暴き』の御業は細かく見ればいくらかに分類できる。
パターンを見る力、パターンを壊す力、パターンをいじって望む形にする力――そしてパターンを仕掛ける力。
様々な物、あるいは刻まれた傷などを使ってパターンの流れをくみ上げ、望む現象を発現できるようにして罠のように仕掛ける力。
時計の作成過程でようやく実用レベルにできたこの力を彼はこの半年ほど、ロッカーや自室の防衛に使っていた。
今回彼が仕掛けたパターンはひどく難解で、その分効果の高い物だ。特定の開け方をしないと電流が流れて体がしびれる。
その結果、あそこの生徒――実行犯は体が痙攣し、動けなくなっている。
教官はそれを見て慌てたのだろう、自分の計画が狂ったからだ。
そう、これは明らかにあの人品賤しき剣豪の差し金だ――そんなに負けるのが怖いのなら喧嘩など吹っ掛けなければいい物を……また、嫌がらせに精を出すことにしたらしい男にそう嘆息を吐きながら、テンプスは教官を見つめる。
「それは……術で――」
「なんの術です?魔力不適合の人間にも使える術でも開発した偉人でもいるんですか?」
「むぅぅぅう……」
教員が唸る――彼にもこの言いがかりが無理筋だと言う自覚はあるのだ、ただ、彼はこの件を自分の責任として処理したい、しなければならない。
それが彼の指示だからだ、彼の不興を買えば今最も勢いのある集団である剣術部の顧問から外されかねない。
「しかし、現に苦しんでいる生徒が出ている!それについてはどう責任を取る!」
「そう言われましてもね、僕はさっきも言いましたが他のロッカーに細工なんぞしてませんし、できませんよ。それは貴方もご存じのはずだ。そのうえで、僕がそれをやったと言うなら――そうですね、尋問科でも呼びますか?」
そう言われた教官の顔色が変わる。
テンプスが名を出したのはこの学校の自治機関の一部であり、教員と学生両方から蛇蝎のごとく嫌われている組織の名だった。
学園で起きた事件の被疑者を取り調べる権限を学園側から賦与された学生たちは、まるではるか昔の異端審問官のような容貌でもって被疑者の前に現れる。
そしてその者たちが情報を吐くまで、法で許されている数々の責め苦でもって被疑者を追い詰める――教員生徒の関係なしにだ。
「な、何もそこまで……分かった、もういい!そいつを保健室に連れていけ!」
まあ、学園側が二の足を踏むような大貴族相手ならともかく、一般教員程度ならあの連中は喜々として尋問するだろう、その責め苦に耐えられる自信は教官にはないらしい。
腕を振って倒れた生徒を追い立てるように追い出した教官は慌てた様に踵を返して歩き去る――どうやら一幕片付いたらしい。
『しっかし――』
「――飽きん奴らだな……」
呆れたように言う、これで初歩の嫌がらせだと言うのだから溜まったものではなかった。
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