第97話 自己憐憫は似合わない

ー 世田谷 ー


このとんでもなく広範囲なエリアは、

カオル、佐々乃武臣、そして鷲谷茂範が担当していた。



「茂さん!武さん!北沢地域の討伐完了しました!お待たせしてすみません!」



カオルが合流したときには、既に武臣と茂範はいたため、やはり凄いと感心してしまった。



カオルは世田谷区の中でもまだ面積の小さい北沢のみ任されていたのだ。


対して武臣はその倍の鳥山と砧エリア、茂範はメインの世田谷と更に玉川のエリア。

にも関わらず自分よりも早く対処してしまうとは流石だ。

しかも倍以上歳を食っているのに。




「ともかく2人とも無事でよかった」



報告をし合い、やはり人口の多い人気エリアの世田谷区は、あまりの影の多さにどの場所も被害が大きかったと分かった。


「予想以上に死者数を出してしまいましたね…」


「あぁ…私の責任だ。

完全に奴らの計画を見誤っていた」


「違います茂さん…

ガゼルのリーダーである私が、玲二くんのことを完全に信用してしまっていて…」


「いいえ!お二人のせいでは決して!そもそもこれは、日頃の管理を任されている僕とカイトとカミラの責任です!」


シンと静まり返り、気まずい空気が流れる。



「すまない2人とも……

意味の無い争いはやめよう。

戦いは始まったばかりだ。」



茂範は情けなさで胸が苦しくなっていた。


こんなに犠牲者を出して、私は一体何をしていたんだろうな……

これじゃ、ただ歳だけを重ねてきた無能な年寄りじゃないか。


そしてそろそろ必ず現れるはずだ。



「カオル、武さん」


「「はいっ」」


「ここはもういいから、他の者たちの方へ手伝いに行ってくれ」


「えっ、茂さんは……?」


「私は、奴を捜しに行く」


「ならば僕たちも行きますよ!

そのためにいるんでしょう?!」



茂範は何を考えているのか分からない無表情だ。



「茂さんが強いことは重々承知です。しかし……今回の相手は侮れない。茂さん相手にどんな手段に出てくるか……何を用意しているのかも分かりませんし」


「武さんの言う通りです。

足でまといにだけはならないようにしますから、僕たちも連れていってくれませんか。」



茂範は数秒黙り込んでいたかと思えば、



「いや……」



静かにそれを断った。



「私は一人で大丈夫だ。

そもそも、そういう意味で言ったのではない。

他の者たちの生存率を少しでも上げたいだけだ。若者たちの未来は、誰にも奪わせたくない」



その頑固たる意思が伝わり、カオルと武臣は諦めた。



「信じてますよ茂さん…」


2人は最後にそう言った。



「頼んだぞ2人とも……」



1人になった茂範はシュッと消えて瞬間的に場所を移動した。


そこは広い廃車場のような場所。




「ご無沙汰しております茂さん」



その声に、茂範はゆっくりと振り向いた。



「伊央里……」



アクシア・天艸伊央里が頭を下げた。

ついている杖と、顔半分だけ隠すようにしている仮面を見て、茂範は口を開いた。



「具合はどうだ」



「…この期に及んでもまだ私の体調のご心配ですか。お借りした雫さんのお陰でだいぶ……ありがとうございました。」



「……。お前の意思は変わらんのか」



伊央里は薄らと笑って目を伏せた。



「……はい。才能は人類の悪の源泉そのもの。

根本を変えなければ、この世は今までと同じ歴史を繰り返す。強者は弱者を虐げ、また弱者は強者を受け入れる。私は決して諦めません。この短い命が燃え尽きるまで…」



ハハッと突然聞こえた笑い声に2人は瞬時に視線を移す。


「相変わらず愚かな奴だな。

何も変わっていないようで逆に安心した」



「亜斗里……」

「兄さん……」



アダマスのマントを着ている亜斗里は、日が暮れてきているオレンジ色の空と、殺風景なこの地によって更に不気味に映る。



「強者が弱者を虐げない世界?

強者は弱者を虐げて強者になれたのだ。

だから秩序というものが生まれ、国家が創り上げられ、人類は生き延びた。

これは全て強者の力なのだ。」



伊央里はそんな亜斗里を真剣に睨んでいる。



「違います。兄さんは力に固執するばかりで何も分かってない。根本的な問題から目を背けているんです」



「この私に向かってかなり言うようになったな伊央里よ。

まだ私に勝てると勘違いしているようだ」



目を見開いて口角を上げる亜斗里のオーラに、伊央里はグッと奥歯を噛んだ。



「相変わらず足りないその頭でよく考えろ。

お前はいつも、平和などという幻想を履き違えて解釈している。」



亜斗里は人差し指を伊央里に向け、鋭い視線を突き刺した。



「いいかよく聞け。

才能があるから強者なのではない。

才能を正しく使いこなす者が強者なのだ。」



その言葉に、伊央里は必死で訴えかける表情で口を開いた。


「その才能の使い方を間違えているから私は何度も止めようとしているんですよ兄さん!平和を履き違えているのはあなたの方だ!」


茂範は2人の間に黙り込んだままだ。



「見えますかこの惨状が!

これが平和だと、本当に胸を張って言えるんですか!」



「真の平和というものは、数々の犠牲の上から成り立つものだ。

何の犠牲も無く万人の願いを叶えるなど不可能。それこそ甘い幻想。まさにお前の毒されているその脳が考えている偽善だ」



「犠牲が免れられないことは私にも分かっています。

しかし兄さんのしていることは、平和のための犠牲ではなく、ただの殺戮だ!」



「話が全く噛み合わないな伊央里。

聞くに耐えん。

お前のくだらん戯言に付き合っている暇はない。

好きにしろ。それこそ無意味な犠牲を増やすだけだが」



くるりと背を向けて歩き出す亜斗里。



「待ってください兄さんっ!」



「私のことを兄さんなどと呼ぶな穢らわしい!」


鋭い視線が突き刺さり、ビクッと止まった。



「お前の口からその言葉が出るたび虫唾が走る……

いや…お前の存在自体が私を穢す……

私はお前のことを弟と思ったことなど1度もない!」



「それは、妹のこともか、亜斗里」


初めて茂範が口を開いた。



「妹のことも、お前の言う平和へ捧げる犠牲者だったのか亜斗里」



亜斗里の眉がぴくりと動いた。



「本当は知っていたんだろう?あそこに美乃里がいたことを。」



亜斗里は黙っている。

その後ろ姿からでは、何を考えているのか全く分からない。



「答えてください…兄さん……」



伊央里が掠れた声でそう言った。



「知らなかったって……

そう、言ってください……」



静寂に包まれている緊迫した空気の中、伊央里は拳を握り締め、真っ直ぐと亜斗里を見つめる。



「だって兄さんは……美乃里のことを、私なんかのことよりも大事に想っていたはずです……」



出来損ないの醜い私とは違って、優秀で美しい美乃里のことは……大切にしていた。

離れ離れになってしまってからも……

そもそも兄さんは美乃里を助け出すためにSKJを……国を……



「兄さんは妹を殺す指示は出してない……

そうじゃないと私は……あなたのことをっ……」



「そうだ」



ようやく亜斗里が口を開き、ゆっくりと振り返った。



「美乃里を殺したのは、私だよ」



冷酷で無機質な表情。


そんな亜斗里を、伊央里は目を見開いて絶望したように見ていた。



「そうさ...あれも必要な犠牲。

答えが知れて満足か?」



「よせ伊央里っっ!!」



ズバー……!!!



伊央里が杖から放った攻撃と、それを素手で止めている亜斗里、そしてそこに割って入るように技を出している茂範。


今、3つのスキルが凄まじい光を放って力比べをしていた。



「はっ!愚か者が!!

これだからお前はいつまでも弱者のままなのだ!!」



「双方とも静まらんか!今ここで我々がやり合ってもなんの解決にもならん!」



「私はあなたを死んでも許さない!!

今この瞬間から、あなたは私の兄ではない!!」




ジリリリリリリー……



「お前を……殺す!!

この命に代えてもっ!!」



ますます強くなる伊央里の力に、亜斗里は薄らと笑みを浮かべたままだ。



「死に損ないの化け物である自分自身に殺されるのはお前だ伊央里。せいぜい足掻いてみせろよ……」



突然亜斗里は目にも止まらぬ早さで回転しだし、2人を勢いよく跳ね返したかと思えばそのまま消えた。



「…っ……なんという力だ……

大丈夫か、伊央里」


「…………。」


茂範が差し伸べた手を取らず、伊央里は膝をつき、地面を見つめたままだ。



「……。伊央里……

お前が生まれた時、私はお前の姿を見て、ガッカリしたよ」



「……っ」



伊央里は傷ついたように土を握った。



「人ならざる者…化け物が生まれたから見に来てくれと、亜斗里に言われたんだ」



茂範は静かに続ける。



「私は昂揚していた。一体どんな凄いものを見せてくれるのか、大人げなくワクワクしていたんだ。

人から羽が生えた者が生まれたのか…はたまた鱗のできた者が生まれたのか…ツノか、牙か、毛皮か……」



伊央里は聞きたくないとばかりにギュッと目を瞑った。



「しかし……目の前にいたのはただの赤ん坊……

可愛い声で泣き、美しい瞳で見つめてくる、どこからどう見ても人間の……普通の赤ん坊だった」



伊央里の見開いた目から、大粒の涙が溢れ出した。

ポタポタと土に染み込んでいくそれを見つめながら、茂範はもう一度手を差し出した。



「伊央里、お前に自己憐憫は似合わない。立て。」



苦しそうに泣いている伊央里の体が揺れている。



「私が最後まで、兄弟喧嘩に付き合ってやる」



懸命に声を押し殺して涙を零し続ける伊央里が、ゆっくりとその手を取った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る