愚者ノ帝国

高嶺ノ悪魔

序章

序章

 どうして、僕らはこんなにも愚かなのだろう。


 最新鋭の魔導戦特殊装備を身に着けるたび、僕はどうしようもなくそう思ってしまう。

 隠蔽、隠遁の魔法迷彩を始め、各種の呪術に対する魔法的防護の施された漆黒の戦闘法衣コンバット・ローブ。頭部を保護するのみならず、暗視や遠視といった視覚支援を提供してくれる光術バイザー機能や、遠隔交信具などが搭載されている軍用ヘルメット。如何なる地形、如何なる悪路であっても足をとられることなく走破できる魔法が込められた戦闘靴。身体じゅうのそこかしこに取り付けてあるポーチの一つひとつにも、様々な便利機能を持つ魔導具の数々が収まっている。

 これらは全て、この国の、恐らくは現時点で人類が持ち得る最高の叡智と技術を結集して作り出された魔法の品々だ。

 その目的はただ一つ。僕のような魔法を使うことのできない凡人に、魔法使いと戦えるだけの力を与える。ただそれだけのために、世界最高の頭脳と最先端の技術、そして莫大な資金を投じて生み出された殺人道具。

 その事実を再確認するたびに僕は茫然と諦観の入り混じった、途方に暮れたような気分になってしまう。

 任務の前は、いつだってそうだった。


 かつて、この世界は魔法使いたちのものだった。

 手の平に火を熾し、虚空から水を湧きださせ、風を纏って空を舞う。触れただけで傷を癒し、触れることなく傷つける。時には天候すらも自在に変化させてしまうような、そんな奇跡のわざを操る天才たち。魔法の使えない多くの人々はその奇跡の恩恵にあずかろうと彼らの下へ寄り集い、やがて国というものが出来上がると魔法使いたちはそこで王や貴族と名乗るようになっていった。

 そうして長い、長い間。この世界は魔法使いたちのものだった。

 彼らの統治は時に過酷で、時に横暴なものだったけれど。それでも魔法に頼らずして生きてゆくには、この世界の自然は過酷に過ぎた。結局、魔法の力を持たない人々は魔法使いたちの前にひれ伏し、奇跡の施しを乞うより他に生きのびる術がなかったのだ。


 けれどある時。「こんなことはもうやめよう」と言い出した人たちが現れた。

 彼らもまた魔法使いでありながら、魔法の力は神からの贈り物であり、その恩恵は全人類に等しく分け与えられるべきだと主張した。今日こんにちでは「自由平等主義の父」や「解放者たち」などと称えられる彼らは、その理想を実現すべく「魔導式」という技術を編み出した。

 それは、これまで魔法使いたちが感覚のみで行使してきた奇跡を手順化し、特殊な文字と記号によって図式化したもので、この魔導式に魔力を通すことで誰でも簡単に魔法を再現させることができるというものだった。

 魔導式の発明によって、魔法はもはや魔法使いだけのものではなくなった。


 けれど当然、時の支配者だった魔法使いたちがそんなことを許すはずがない。彼らは人々に魔導式の刻まれた道具の使用を禁じ、また解放者たちが語る自由と平等の思想を徹底的に弾圧しようとした。

 しかし、一度でも魔導具を使い、自由と平等の思想に触れた人々はもはや魔法使いの支配を受けいれようとはしなかった。当たり前といえば当たり前で、魔導式が登場する以前は火種一つ手に入れるためにも魔法使いに頭を下げ、金子を積まなければならなかったのだ。いまさら、そんな暮らしに戻りたいと思う人間は少なかったのだろう。


 だが、ただの人間では魔法使いに抗うことなどできない。魔法の力とはそれほどまでに圧倒的だった。それでもどうにかして魔法使いの圧政から逃れようとする人々が、解放者たちの下へ集結した。解放者たちはそんな人々に魔導式を使って作りだした魔法の武器を与えると、万民の支配からの解放を掲げて支配者たちに戦いを挑んだ。

 解放戦争と呼ばれる、長く辛い戦いの始まりだった。


 数えきれないほどの悲劇と、数えたくないほどの惨劇が何年にも渡って繰り返された。それでも。数多の苦難を乗り越え、同胞たちの死を積み上げて、僕らの先人は解放戦争に勝利した。


 そうやって出来たのが、僕らの国「アメティカ」だ。

 建国以来、自由と平等を掲げるこの国は解放戦争後も魔導式の技術をさらに発展させてゆき、この世界に魔導技術を根幹とする魔法文明を築き上げた。いまや、世界一の魔導技術大国になりおおせたこの国では、魔法の才能の有無に関わらず、誰もが奇跡の恩恵を享受することができる。魔導式の組み込まれた道具があれば、誰でも簡単に火を熾すことも、水を出すことも、空だって飛ぶことができるようになった。

 まさに解放者たちと、それに率いられた人々を渇望した自由と平等の理想郷が地上に実現されたというわけだ。

 だというのに。


「……い。大尉。ウィリアム・クロード大尉」

 控えのロッカールームで一人、ベンチに座って読書に熱中していた僕はその呼びかけにハッとして顔をあげた。そこにいたのは、少しばかり青白い顔をした作業服姿の術技士だった。

「大尉、間もなく作戦開始時刻です。全員、指揮所に集まるようにと大佐から」

 それに僕は分かったと頷いて、立ち上がった。読んでいた本をロッカーに放り込み、術技士に続いて部屋を出る。

「まぁた、例の小説を読み耽ってたのか? これから任務だってのに」

 通路に出たところで、同僚のアダムスが壁にもたれ掛かるようにして待っていた。くすんだ金髪を短く刈りこんだ、僕よりも一回りほど大きな体躯をした偉丈夫である。筋肉ではち切れそうな肉体を僕と同じ漆黒の戦闘法衣で包んでいた。

「これから任務だからさ」

 呆れた様子のアダムスに、僕は肩を竦めて応じる。任務前の憂鬱なひと時。胸の中にぽっかりと空いた深淵を覗き込む勇気のない僕は、どうにかしてそこから目を逸らそうと愛読書であるファンタジー小説に手を伸ばすのが常だった。

「いくら面白くてもよ。そう何度も読み返してちゃ飽きるだろ」

「いや。まったく。全然」

 角ばった顔面にやれやれという表情を浮かべたアダムスに、僕は全力で首を横に振る。

「全部で八十六巻あるから。ローテーションしている内に、また別のエピソードが読みたくなるもんだよ。それに、読み返す度に新しい発見があったりするし」

 だから、お前も一度読んでみろって。アダムスと通路を並んで歩きながら、僕はいつものように愛読書の布教を始める。


 それは、この世界とよく似た魔法の存在しない「地球」という架空の惑星を舞台にしたファンタジー小説だ。魔法の存在しない世界で、人々は魔法の代わりに「科学」という現実にはあり得ない技術を使って発展してゆく。これだけの説明ではちょっと風変わりな独自設定を使っただけの、よくあるファンタジーものだと思われてしまうかもしれないが。しかし。この「科学」という設定がちょっと、いや、かなりやり過ぎなほど考え込まれている。

 さらに、この作品が他のファンタジーと一線を画しているのは、作中の世界に自動車やテレビなど現実にもある道具が当然のように登場することだろう。もちろん、その世界に魔法は存在しない。だから、それらを動かしているあらゆる技術が魔法から科学へと置き換えられているのだ。この奇抜で複雑な設定のせいで専門用語が多くて読み難いと思われがちなのだが、決してそんなことはない。説明の仕方というか、言葉の使い方が実に巧妙なのだ。

 身近なもので例を挙げてみれば、たとえば自動車だ。僕らの世界の自動車は複数の魔導式を組み合わせた「魔導機関」を積んでいて、そこに魔力を供給することによって術式が起動して動く仕組みだが。対して、地球の自動車には「内燃機関」と呼ばれる金属でできた箱のようなものが積まれていて、その中で「ガソリン」と呼ばれる魔力の代わりとなる不思議な油を燃やすことで動くとされている。

 残念ながら、僕は車の整備士でもないので現実世界の車と地球の車の仕組みをこれ以上詳しく説明することはできないのだけど、それでも車を動かすための動力源である「魔導機関」も「内燃機関」も読み方は同じ「エンジン」だ。複雑な仕掛けが理解できなくても、名前を聞けばどんな働きをするものなのか想像しやすい。他にもテレビはテレビだし、地球人の住む家には照明もシャワーもある。

 それだけでなく、魔法が存在しないという一点を除いて、地球の地理は現実世界のそれとほとんど変わらないということも重要な要素だろうと僕は思っている。各巻の巻頭に付いている地球地図はこの世界のそれとそっくりそのままだし、作中に登場する国々も実在する国家をモデルにしているものが多い。たとえば、作中で最も頻繁に登場する国家の一つである「アメリカ」は僕らのこの国「アメティカ」をもじったものだろうし、他の国の名前も概ね似たような感じだ。少々安易な言葉遊びだと思わなくもないが、この手のファンタジー作品にありがちな妙に捻った固有名詞を出されるよりもよほど憶えやすいと僕は思う。それに国家の在り方や国民性もモデルになった国と似通っているから、登場人物たちに共感もしやすい。


 もちろん、この奇抜な設定のせいで賛否両論もあるという。発売当時には、一部のファンタジーマニアから「魔法のない世界にシャワーが存在するのはおかしい」というクレームがついたこともあったそうだ。けれど、そうして意見に対してこの作品の作者は「たとえ異なる世界、異なる技術をもとに発展しようとも、同じ人間であるなら必ずや同じような発想をし、似たようなものを作り出すはずである」と回答したらしい。この作者の考えを知った時、僕は酷く納得したことを憶えている。なるほど。たとえ生まれた世界が異なれど、同じ人間である限り、その営みに大差はないのだろう。

 このリアリティのある世界観と奥深い科学の設定に魅了された読者は多い。かくいう僕もその一人なわけだが、僕が産まれる少し前に第一巻が発売されて以来、一部のマニアたちからカルト的な人気を博しており、今ではシリーズ全体で八十六巻が刊行されているロングヒット作品なのだ。 


 大して興味も無さそうなアダムスに、愛読書の面白さを滔々と語りながら通路の突き当りまでやってきた。そこには石とも金属ともしれない不思議な光沢のある白い素材で出来たスライドドアがある。その脇の壁には赤く光るガラス板が埋め込まれていて、僕がそこに手をかざすとガラス板から手のひらに向かって赤い光が照射された。しばらくすると、ガラス板が承認を示す緑色に光り、ついでドアがアンロックされる。アストラル・スキャンという個人認証システムらしいのだが、術士でもない僕にはその理論も仕組みもさっぱり理解できない。

 ドアが開いた先にあるのは、地下に造られた巨大な空間だ。ぼんやりとした青白い魔力灯で照らされる、窓一つない薄暗い部屋の中にはそこかしこに大きな機材が置かれ、それらの間を配線が縦横無尽に走り回っている。忙しなく機材群を操作している術技士たちを横目に、僕とアダムスは部屋の中央に向かった。部屋中の機材から伸びる配線が集約しているそこは床が一段高くなっていて、上には青白く発光する塗料で魔法円が描かれている。

 うっすらと発光している魔法円の傍らには三人の男が立っていた。二人は僕らと同じ漆黒の戦闘法衣を着た兵士。残る一人は、夜空に溶け込むような群青色の制服を着た、壮年の男性だ。

「ようやく来たか」

 僕らが近づくと制服姿の男性、僕らのボスであるベックウェル大佐が口髭を蓄えた威厳たっぷりの顔をこちらへ向けた。

「任務の内容と、作戦地域の地図は頭に入っているな?」

 その問いに、僕とアダムスはそれぞれイエスを意味する仕草で答える。

「よろしい。分かっていると思うが、今回の任務も隠密だ。敵及び、現地住民に姿を見られるような真似はもちろん、君らがそこにいたという痕跡も残してはならん」

 釘をさすようにいった大佐に大真面目な態度で頷く二人の隊員とは違って、僕とアダムスは気の抜けた返事をした。僕らの任務はいつだって隠密だ。この手の忠告は耳にタコだった。


 大佐から「真面目にやらんか」とお叱りの言葉を頂いたところで、部屋の扉が開いて一人の術技士が入ってきた。

「ああ。間に合ってよかった。クロード大尉、こちらを。言われた通りに調整しておきましたよ」

 僕に近づいてきた術技士がそういって差し出したのは突撃呪杖アサルト・ワンドだ。杖と名がついているが、その見かけはとてもじゃないが杖になど見えない。自動詠唱式の攻撃呪術魔導機関が組み込まれている杖身部から突き出す杖先や握把、肩にあてやすい形に加工されている杖頭部など、その外見は例のファンタジー小説に登場するアサルトライフルという武器にそっくりだ。もちろん、似ているのは形だけじゃない。その先端から放たれるのが物理的な破壊力をもった呪いの弾か、鉛で出来た弾丸かという違い以外、機能も使い方も全く変わらない。あの作者が主張したように、人間が武器として使いやすい機能と形状を突き詰めていった結果がこの形だったということなのだろう。

 もはや杖としての機能など微塵も残されていないこの武器が、それでもなお杖と呼ばれ続けている理由はかつて、魔法使いたちが魔法を行使する際の補助具として杖を使っていたことの名残だった。

「新開発の静音術式を組み込んでみました。かなり静かですよ。ただ、その代わり射程は短いです。狙撃には向きません」

「弾種は?」

「ご希望通り、結晶弾です」

「一射当たりの魔力効率は?」

「先ほど言った静音術式のせいで、少々効率は悪くなっています。一マガジン当たり二十五発といったところでしょうか」

 術技士に質問しつつ、僕は各部にガタつきがないかをチェックしてゆく。一通りの確認を癒えたところでスリングを取り付け、杖を肩から吊った。


「大佐。斥候班より通信。簡易陣の設置完了とのことです」

 僕の準備が万端になったのを見計らったように、術技士の一人が立ち上がって報告した。大佐はそれに無言で頷くと、術技士の責任者へ目で合図を出す。

「転移陣の起動を開始します。オペレーター各員は陣の中央までお進みください」

 責任者の言葉に従って、僕らは魔法円の内側へと踏み込んだ。それから、陣の中央で背中合わせになって立つ。

「術力、供給開始」

「転移先とのパスが確立。補助術式も問題なく稼働中」

「メイン術式の起動準備、完了」

 術技士たちの淡々とした報告が響く中、僕らの足元から立ち昇る青白い魔力の輝きは次第に眩さを増してゆく。

「整いました、大佐」

 術技士の責任者が許可を求めるように大佐に言った。大佐はそれに重々しく頷いてから僕らを見る。

「行ってこい、猟犬ども」

 猟犬。大佐は部下のことをそう呼ぶ。

「敵を追い立て、追い詰めろ。何者も、運命の猟犬は欺けない」

 運命の猟犬は欺けない。それは魔法使いたちがよく使う言い回しだ。そして、任務へと発つ僕らに大佐が告げる、いつも通りの、お決まりの訓示でもあった。僕らはそんな大佐の言葉に敬礼で応じた。同時に術技師の一人がカウントダウンを始める。

「転移開始まで五秒。四、三、二――」

 そこで、全ての音が消えた。

 僕らは極光に包まれた。眩い光に目を焼かれないよう、しっかりと両目を瞑る。それでも瞼を透けてくる光が、いよいよ臨界間近であることを知らせるように一層強まった。頭のてっぺんから足の先まで、全身が焼きたてのピザに乗っている溶けたチーズのように長く、細く引き伸ばされるような感覚に襲われる。右と左が消失して、上も下もなくなった。きっと前後など初めから存在しなかったかのように。

 そうして。僕らは転移んだ。

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