佐藤さんの精一杯
土曜日の午後、僕は一人きり電車に揺られていた。
二本乗り継いだ先には空港がある。佐藤さんが待ち合わせをしているはずの空港だった。
もう日の傾きかけた時刻、散歩がてらと言い訳するにはあまりにも無理があった。電車乗り継いで、隣の県にある空港を目指してる時点で、散歩なんて言っても誰にも信用されないだろう。
幸いにも車中では顔見知りに会うこともなく、僕は電車の隅で、思案に耽っていられた。
実を言えば、まだ気持ちが決まっていなかった。
焦れる思いで過ごした昼下がり、結局追い立てられるように電車に乗り込んだものの、空港へ辿り着いたところで何ができるってわけでもない。むしろストーカーまがいの行動だと自覚していた。
腕時計に目を落とす。
午後五時、十五分前。
佐藤さんはもう空港にいるだろう。遅刻はしない彼女のことだから、何時間も前から空港で待っているのかもしれない。向こうが何時の便でやってくるのかは知らないし、来るかどうかもわからないけど。
不安はまだあった。僕は初めから不安だった。保健室での一件もそう、彼女から打ち明けられた話を聞いたって、およそ安心なんかできやしなかった。ただ僕は冷静な判断ができない状態でもある。だからその不安を佐藤さんに話さずにいようと思っていた。
佐藤さんが傷つかなきゃいい。まずは、そう思う。
この不安が杞憂に終わって、まるで的外れなものであることを確かめる為に、僕は空港へ向かおうとしていた。
だけど佐藤さんが幸せそうにしているのを目の当たりにするのも、恐らくとても辛いだろう。心の底では佐藤さんの幸せなんて願っていないくせに、こうして空港へ向かうのは、打ち消せない不安の他に、消しようのない想いがあるからだ。
佐藤さんが好きだ。
考えれば考えるほど自覚して、身に染みるほどわかって、がんじがらめにされていく。焦る気持ちだけが募り、僕を動かしているのに、僕の気持ちはまだどんな形にもなっていない。一体、僕はどうしたいんだろう。本音も建前も電車に揺られているうちにごちゃ混ぜになって、何が何だかわからなくなる。
唯一はっきりしているのは、僕はこんな日でも、こんな時でも、佐藤さんに会いたいんだということだ。
佐藤さんが待っているのは他の奴だ、僕じゃない。
だとしても僕は――いや、だからこそ僕は、佐藤さんに会いたくて堪らなかった。
佐藤さんが僕の方を見てくれたらいいと思う。僕の方へ振り向かせられたらいいと思う。実際にそれだけの行動を取る資格があるわけでもないのに、思いだけは強く、絡まり合って解けない。
佐藤さんが見ているのは、見つめているのは、僕ではない他の奴のことなのに。
それでも彼女のところへ向かおうとする、僕は頑迷なわからず屋だった。現実も見えてないくせに、どこへ行くつもりなんだろう。辿り着いた先で何をする気でいるのかも考え出せていないのに、どうする気なんだろう。
答えの出ないまま、僕の心は複雑に入り組んだままで運ばれていく。
午後五時を過ぎた頃、空港に到着した。
明日が日曜日だからか、中は割と混み合っていた。人波に流されるようにエスカレーターに乗り、ロビーへと向かう。
彼女がどこにいるのかは知らない。そう大きな空港でもないから、十分に探せるだろうと思った。
もし、まだいればの話だ。いない可能性だってある。当然、『あの人』が来ていれば佐藤さんはここにはいない、かもしれない。たった今、対面したばかりかもしれない。ロビーに到着したら、抱き合う二人の姿があるかもしれない――だが幸いと言うべきか、エスカレーターの先にはそれらしい姿は見当たらなかった。
照り返しのきついロビーをふらふらと歩きながら、僕は彼女の姿を探す。
ロビーはたくさんの人がいた。家族連れ、友人同士のグループ、スーツ姿のビジネスマン、それから仲の良さそうなカップル。
だけど視線を巡らせても、あの一つ結びの髪の、垢抜けない佐藤さんの姿を見つけることはできなかった。
私服姿も見たことがある。だから見かけたら、間違いなくわかるだろうと思っていた。
なのに見当たらない。
搭乗口にはちょうど、長い列ができていた。飛行機が出る時刻なんだろう。ロビーにたむろする人の姿も増えつつある。人混みをすり抜けるようにして、僕はロビーを彷徨う。
佐藤さんはどこだろう。
もう空港から出て行ってしまったんだろうか。行き違いになったのか。僕が空港に辿り着いた頃、『あの人』とめぐり会って、そのまま空港を出て行ってしまったのか。隅から隅まで探して、この目で確かめるまでは、何もかもが信じられなかった。
見つけたらどうする。そんなことは考えてもいなかった。
今は彼女に会えたら、彼女を確かめられたらそれでいい。
もし彼女が、『あの人』と一緒にいたら? 僕は声をかけるわけにはいかないだろう。その時は回れ右をして空港から立ち去る覚悟があるか。
もしも彼女が待ちぼうけていたら? 僕は、声をかけていいんだろうか。佐藤さんならいくらでも待つと言うだろう。その時は一体、どうすればいい?
何よりも焦がれる感情をどうすればいい? もう伝えていいタイミングじゃない。伝えずにいるのは辛い。だけど受け入れてもらえないとわかっているのに伝えても、彼女を困らせるだけだ。ここまで追い駆けてきてしまったことも、そうだろう。なのに歩き回り、探し続けて、僕はその先どうする気でいるんだろう。
混み合うロビーに視線をぐるりと走らせる。
広すぎて、人が多くて探しにくい。いろんな人がいる。搭乗口に列を作って並ぶ人、ロビーにあるお土産物屋を眺めている人、ロビーで話し込んでいる人、電光掲示板と腕時計を見比べている人――僕はその間を潜り抜け、ひたすら歩き回る。探し続ける。
ふと、目が留まった。
搭乗口からはずっと離れたロビーの隅、吸い寄せられるように気がついた。見慣れた横顔をようやく見つける。
一つ結びの髪は相変わらずだ。制服姿じゃない彼女を見るのは久し振りだった。デニムのスカートと地味な長袖のTシャツを着ている。足元はスニーカー。案の定、垢抜けなくて野暮ったかった。だけどこれでも精一杯のおしゃれのつもりなのかもしれない。
表情はここからでもわかる。硬く強張っている。じっと一点を見つめている。手は胸の前で合わされていて、その中に携帯電話が握られているのも見えた。
数メートル離れたところで僕は立ち止まる。
ようやく見つけた佐藤さんは、精一杯の表情をしていた。そしてまだ、一人きりだった。
僕は時計を確かめる。午後五時半を回ったところだ。
それから彼女に視線を戻し、溜息をついた。
迷いながらもここまで辿り着いた、僕にも決断の時が訪れようとしていた。
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