ふわっちゃー=DW

結芽月

プロローグ

「どうやら私は記憶がないよう、ぽん」

 背中の四本の羽を動かし、彼女は言った。

「ここはどこか、私はだれか、そしていったい何じゃらぽい。どうするべき?ぽん」

 背は小さい。というか、全体的に大きくない。

 頭身は三頭身程度で、背丈は80センチ強といったところだ。

 そんな彼女は、自分の体をまず見下ろす。

「…ふーむ。恰好は言い表しにくい。ぽん」

 縦に二対の翼を生やした体を包むのは、幼稚園児のスモッグのように、膨らみのある衣装だ。

 特に腰回りと二の腕当たりの膨らみが強く、それ以外は僅かにある程度。無地の胴の生地の上には、二等辺三角形の布が左右につけられている。

 そして、そんなクリーム色の衣装は、どことなく実用性に欠ける感がある。脱ぎづらそうであるし、着づらそうでもあるからだ。

 まるで、最初から着せてそのままにしておくことが前提のようである。

「…ふーむ。こんな格好の私はいったい…記憶がない。ぽん」

 記憶を遡ろうと、彼女は頭を回していく。

 だが、どれだけ頑張っても、過去の明確な記憶は出てこない。

 出てくるのは、つい先ほど同じように考えたという行為のみ、である。

 自身の名前も、年齢も、立場も、どのような存在なのかも、全てが思い出せない。

(…なんかイメージはある…けども)

 ただ、ぼんやりとした感覚はあった。

 何に関連しているのか、いつのものなのか。そういうはっきりとしたものは一切含まない、抽象的で、掴みどころのないもの。

 大きくて高い何かのイメージだけが、彼女の頭にはある。

 そしてそれは、何か重要なことの気がするのだった。…同時に、非常に嫌なもののようにも。

「……なんか思い出そうとすると嫌な気持ちがする。やめ!そのうちどうになかなる!ぽん」

 記憶を探るのはやめ、彼女は顔を上げて周囲を見渡す。

 あるのは、ツタと石で構成された薄暗い路地裏の空間だ。

 人一人として見当たらない、その狭い空間で、彼女は先ほど目覚めたのである。

「…道は一本。行くべきは二方向。片方は真っ暗で、もう片方は明るい…。ぽん」

 彼女は道の続く二方向を何度か見た後、明かりの漏れてくる方へ向く。

「まずは明るいとこに行く!そしたらきっとなんとかなる!ぽん!」

 思考している様子がなく、危機感の薄い声で言って彼女は駆けだそうとする。

 しかし。

「わっ!?ぽん!?」

 足が思うように動かせず、彼女はつんのめって地面に倒れこんでしまう。

 その際放り出された足は、妙に細い。長さも身長に対してどこ足りておらず、ただ立っているぐらいどうにか支えられるだろうが、歩行は難しいそうだ。当然、走るのもそうなるだろう。

「…これはいったい?これじゃ動けない…。そうだ、こーんなときは葡萄前進!ぽん」

 言って、彼女は動こうとする。

「…あれ?動けない。私の腕力が全く足りないという致命的問題が判明!?ぽん!」

 体の重量がありすぎるのではなく、腕力が相当ないようだ。

 彼女は一分ほど頑張って匍匐前進を試みたが、ついに諦めて地面で脱力する。

「…ふーむぅ…。困った。動けない…ぽん」

 どうしようもなくなり、彼女はぼうっと前へと視線を向ける。

 その先には、ぼんやりと青色のものが見えた。

「…まぁ、放っておいたらどうにかなる!…ならない?ぽん」

 少しだけ不安そうに言って、彼女は口からも力を抜いてしまう。

 …と、その視線の中に、あるものが映りこむ。

「…?これは何?羽?ぽん?」

 彼女の背中の上翅だ。どうやら脱力したことをきっかけに、前に広がったようである。

「私、羽をもってる?ぽん?」

 言って、彼女は自分の背中の四本羽を見る。

 ガラスから切り取ったような透き通ったそれらは、蝶に近い形で彼女の背中に生えている。

 彼女はそれに触れて、感覚があることに驚く。

 そして、どうやら自分の体の一部らしいことを理解する。

「これで飛べたり?ぽん」

 試しに、彼女は腕を動かすようなイメージで、背中へ力を入れてみる。

 すると、四枚の羽根はふわりと動き、彼女の体を地面から一メートル半ぐらいのところまで連れていく。

「やったぁ!全くよくわかんないけど、行く!ぽん!」

 言葉と共に、再び羽がふわりと動き、彼女を明かりの先へと連れていき始める。

「…なにが、ある?ぽん」

 言いながら、彼女はやや安定性に欠ける動きで、路地をふわふわと進み、ついには路地の出口へと辿り着く。

「さぁ、飛び出してみる!ぽん」

 まぶしい明かりを受けながら、彼女は再度羽を動かし、勢いよく路地から飛び出す。

「……こ、これは!?ぽん」

 繋がっていた坂から見下ろすことのできる光景。それを見た驚きで、彼女は目を見開く。

「……町!ファンタスティックな町!ぽん!?」

 その眼下、広がっていたのは中世の西洋を想起させる港町だ。

 石造りの道があり、それを囲うように木を中心に組まれた家々が立ち並ぶ。

 正面に存在する海岸には、石と木材で作られた港があり、その周囲には大きな気が何本もそびえ立っている。

 ……そんな町ではあるが、そこには違和感があった。

 主に、家や住人だ。

 前者は、現実のものとするには、その色合いがおかしい。まるで、クレパスで描いたかのような質感を持っており、現実的な立体感が薄い。

 まるで、絵本の中の家のようで、周囲の家の全てがそうであった。

 一方、後者の住人はと言うと、だ。

 道を往く誰もが、背丈が妙に小さく、三、四頭身の者が多いのだ。付け加えるのなら、二頭身の者も、ある程度いる。

 そんな体のバランスをやや欠いたように思える者たちが、闊歩しているのである。

「……まるで、絵本の世界のよう…ぽん」

 四枚羽の少女は、視界一杯に広がる街を見下ろし、素直に感想を言う。

「…!」

 ふと、彼女の目の前を和風の給仕服の女の子が通り過ぎる。

 その際、四枚羽の彼女は、あることに気づく。

「縫い目…?ぽん」

 通り過ぎた女の子の腕や、首筋などに、縦に走る縫い目のようなものがあったのだ。

 まるで人形のような、である。

 彼女の、他の住人と同じような等身も低さも相まって、その印象は強まる。

「……ぽん」

 四枚羽の彼女は、なんとなく、自分の腕も見る。

「縫い目…」

 そこには、先ほどの女の子と似た、一本の縫い目が確認できた。

「ということは…ぽん」

 彼女はその考えに、直感的に至り、呟く。

「……ここは絵本の中の人形の世界。ぽん」

 人形溢れる、不思議な世界。目の前に広がるそれを見た彼女は、それをきっかけとし、なぜか急に、嬉しい気持ちと興奮に満たされる。

「なんだか。すごく…どうして。ぽん」

 その急な心の動きのせいか、脳裏にぼやけた記憶の断片がよぎる。

 一瞬姿を現すそれは、自信に妙な不快感を与えてくる。だが、目の前のものは違う。

 気づけば非常に魅力的に見えるそれは、彼女の心に二つのプラスの感情を並々と注いでくれる。

「こんなに、私は?ぽん」

 四枚羽の彼女は、自身の胸に手を当て、内側の二つの感情の存在を確かめる。

「ここにいるのが嬉しくて、この光景が、目の前にあるのに興奮して…」

 そうして言葉に出したことで感情は整理され、少し落ち着いてくる。

 すると浮かんでくるのは、ある願望だ。

「…ずっと、ここにいたい。気ままに暮らしたい」

 思わぬ呟きによるそれによって、頭の中で、願望はより確かな形をとる。

 それは、まるで長きにわたって望んでいたものかのように強固で、大きいものだ。

 四枚羽の彼女は、心の底から湧いてきたそれに対して頷き、言う。

「そうする。ぽん」

 そうすることが、とても幸せな気がするから。だから彼女は決める。一切思考することはなく、ただ気持ちのみで、その決定を下す。

 …かつての自分とは違って。

「…私はここで。気ままに、生きる!ぽん」

 僅かに残る、原因不明の不快感を払しょくするため、宙で舞いながら彼女は続ける。

「楽しく!純粋に!ぽん」

 笑顔で、ハイテンションで言う。不の感情を誘発する、不確かな記憶のことは放置して。

「…さて。そうと決まったはいいとして。これからどうする?ぽん」

 四枚羽の彼女は周囲を見渡しながら言う。

「…ここがどういうとこか、見て回る?それとも自分の名前でも…」

 あたりを見たことで改めて嬉しい気持ちになった彼女は、笑みを浮かべながら、思いつくままに呟く。

 …そんな彼女を見るものが、物陰にいた。

「………」

 隠れて彼女を見つめているのは、四枚羽の彼女とよく似た格好をした人形だ。

 服の色が水色で、スカート付き、飛んでいないという三点だけ違う彼女は、物陰から機会を窺っている。

 確実に、相手を拘束できるタイミングを。

「…今です…!」

 自身と逆の方向を、四枚羽の彼女が向いたとき、水色の人形は踏み出そうとして…こける。

 …それと同時である。

「上を見ろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」

「へ?ぽん」

 突如、路地の近くにいた青年が叫ぶ。

 その声につられ、四枚羽の彼女は空を見上げた。

 直後、彼女の視界にある物が映る。

「…こ。こ。これっはぁ!?ぽん」

 一応人型であるそれは、周囲の風景とはあまりにも場違いな存在だ。

 それを見た住人の幾らかが、驚きの声を上げる。

「なんだあのマゼンダは!?」

 迫る。金属で構成された巨体は、日の光を受け、重厚感の輝きを放つ。

 赤よりのマゼンダに塗装された装甲が、空を見上げるものたちの視界を照らす。

「…巨大、巨大なりぃ」

 周囲の者が言って見上げる機械の巨体。

 その十メートル程の背には、大きく長いバインダーを確認することができ、それは機体の全長に達する。

 それに対して短めの腕には、何かを発生させるための、細長い装置。その下方、脚部のつま先は下に向かって伸び、その上と同化している。

 胴体は後ろに長く、その上のバイザーとモノアイを持つ上下の順で持つ頭部は、小さめである。

「…あれは!?」

 こけたっきり、その体の構造上起き上がることもできず、歯がゆそうな表情を浮かべていた水色の人形が、機体を見て言う。

「…どうして、あんなものが」

 彼女がそんなことを呟く中、マゼンダの鉄の巨人は今、四枚羽の彼女らの元へと、勢いよく降ってくる。

 接触まで、十秒とない。

「…。ぽん」

 四枚羽の彼女は、それを呆然と見つめる。

 機体の落下は超高速。避けたくても、避けられるようなものではない。

 例え、四枚羽の彼女が飛行可能であっても、その現実は変えようがなかった。…ちなみに、水色の人形は飛べないし、起き上がれもしないのでよりひどい状況である。

「…逃げられない。けれど。ぽん」

 巨体が迫る。彼女の眼前に今、狙いすましたかのように落ちてくる。

 そんな状況下で、四枚羽の彼女は、場違いなほど明るい表情かつ雰囲気で、口を開いた。

「…多分なんとかなる!根拠はないけれど!ぽん!」

 能天気、危機管理意識の欠如。それが如実に表れたその言葉を放ち、四枚羽の彼女は笑顔を浮かべる。

 瞬間。

「なんとかなるって信じてるぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぽんっ!」

 マゼンダの巨体が、路地前に落下した。

 轟音と、衝撃ととともに。



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