椿の下には(09)
その晩、私はまたあの家の夢を見た。
白い壁の古い家。立派な椿が咲き誇る庭に、彼が佇んでいる。辺り一面真っ白な雪景色。彼は黒い着物を着て、煙管を咥えている。美しいを通り越して、なんだか怖い。妖しい美しさだ。
無数の光が彼を取り巻く。漂うように、いや、戯れるように光が彼の周りを浮遊していた。
ひとつの光が、彼の手のひらにぴたりと寄り添った。そして、ひとつ、またひとつと、空へと浮かんで消えていく。
冬に蛍なんてありえないけれど、蛍のような光が高く空の彼方へと昇っていく。
彼は、光がすべて見えなくなるまで空を仰ぎ見ていた。その視線はまるで恋でもしているようだった。
目が覚めると、ブルブルと手の中のスマホが小刻みに振動していた。上司の酒井さんからだ。慌ててスマホを耳に押し当てる。
「おはようございます」
「おう、おはよう」
酒井さんはもうすでに駅にいるようだった。駅の時刻アナウンスがはっきり聞こえる。
「大声では言えないんだけどな、たぶん、会社ダメだわ」
「え、きのうの件ですか?」
私は重たい身体を起こした。
「援助交際だとか、児童買春の容疑がかかってるらしいよ。他にも、会社の金を横領してたとか」
「へぇ?」
思わず、上司に向かって間抜けな声を出してしまった。
「いや、俺も同じ意見だわ。馬鹿だよな。奥さんも娘さんもいるのに」
会社が潰れた場合、どう行動をしていいのかさっぱりわからない。倒産となると社員の扱いはどうなるのだろう。解雇だろうか。自分が勤める会社が倒産するなんて、誰が考えるだろう。この先の行動のとり方がわからない。誰か教えてほしい。切実に。
「知り合いに弁護士がいるから、ちょっと相談してみる。地域情報誌の会社の社長が援交なんて、あっという間に噂が広がってダメになるだろうな」
地域との密着が何よりも大切で、しっかりと地元の人たちと信頼関係を築くべし。社長がいつも言う口癖だ。自分が一番信頼関係をぶち壊したじゃないか。どうしてくれるんだ。
「佐々木は、大丈夫か?」
大丈夫か? 大丈夫なはずがない。
でも、酒井さんだって同じだろう。最近家を買ったと聞いていた。奥さんは二人目を妊娠中。その点、私は独り身だ。返済の長いローンもないし、最悪実家に帰りさえすれば暮らす場所にも困らない。
「大丈夫です」
「そうか。何か困ったら、いつでも相談しろよ」
私にとって一番怖い上司だったが、一番頼れる上司だったのかもしれない。こんな事態にならなければ、酒井さんの本当の人柄を知る機会はなかった。契約がなかなか取れない私にやたら厳しい、ウザい上司だと愚痴っていただろう。
そう、すべては必然。そうだ。流れに身を任せていれば、金が流れて来るときもある。濁流に飲まれるときだってある。残念ながら人生は平等ではない。富や才能に恵まれて生まれてくる人はいる。どんなものも、きっちり平等になんて分け与えられない。それでも私たちは人生という川を流れて行く。そういう定め、運命なんだ。
寒さをかき消すように、力を込めて立ち上がりカーテンを開けた。寒いけれど、いい天気だ。雪がうっすら積もっている。
ちょうど三日前が給料日だったので、約一ヵ月はなんとか生きていける額が残っている。大丈夫。大丈夫だ。
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