エッセイ「ほとんどの上司は、イヤな奴である」

あそうぎ零(阿僧祇 零)

ほとんどの上司は、イヤな奴である

 40年間近くサラリーマン生活を送った私は、仕事というのは基本的に「苦」だと思っている。40年の間、その考えはいささかも揺るがなかった。

 人は仕事を通じて社会と繋がり、人として成長していくものであることは、もちろん否定しない。働いて給料をもらうからこそ、家庭を築いて維持し、子孫を残すという生物として基本的な役割を果たすこともできるのだ。

 しかし、そうではあっても、仕事が苦痛であることに変わりはない。

 世の中には、仕事が大好きだ、仕事が趣味だという人もいる。そういう人は、幸せ者だ。実に羨ましい。これは、皮肉めかして言っているのではなく、私の本音だ。


 私はこれまで、会社員しか経験したことがない。仮に私が別の仕事に就いたとしたら、例えば自由業であったら、仕事に対する考えもだいぶ違っていたかもしれない。

 しかし、会社員になることを選んだのは、他でもない、この私だ。それは、経済的な安定性を最重視した結果なのだ。だから、いまさら後悔などしない。

 むしろ、会社員生活を通して見たり聞いたり体験した、組織の中における人間の在り方に関する知見は、今となっては貴重な財産だとさえ思っている。


 私にとって仕事が苦痛であった原因は、いくつかある。

 朝決まった時刻に起きて通勤することから始まる他律的で反復的な生活パターン、面白味のない仕事(例えば、やたらに長いくせに中身の薄い会議)、煩わしいアフターファイブ(例えば定例的な飲み会など)、常に業績評価の対象とされていることからくるプレッシャー、などなど。

 しかし、最大の原因は何かといえば、、ずばりイヤな上司の存在だ。本エッセイでは、イヤな上司にまつわる私の体験と考えをご披露したいと思う。


 さて、会社組織は、規模の大小にかかわらず、ほとんどの場合、ピラミッドのような階層構造だ。上位者が下位者に指示・命令を出したり、何事かを承認したりする、上意下達の組織だ。そればかりでなく、上司は部下の働きぶりについて評価する権限を与えられている。この評価が、被評価者の賃金や異動・昇進に影響を及ぼす。このことは、上司のいわば権力の源泉ともなっている。

 また、会社は、国や地方自治体のような民主的組織ではない。社長を全社員の投票で選ぶ会社など、聞いたことがない。だから上司は、自分が部下からどう思われているかなど、たいして顧慮する必要がない。それより大事なのは、自分より上位の役職者から自分がどう思われ、どう評価されているかだ。

 

 こうした事情もあって、一般社員にとって、上司とは必ずしも好ましい存在ではない。いや、むしろ、イヤな上司が多い。少なくとも、私の場合はそうだった。

 40年近い会社員生活で、私はある法則を発見した。それは二つある。


■第1法則【ほとんどの上司はイヤな奴である】

■第2法則【数少ない好ましい上司は、早死にすることが多い】


 以下、これらの法則について、実例を交えて説明したい。

 初めに、第2法則から。

 「好ましい上司」とは、人柄がよく、役職を笠に着ることもなく、部下の意見をよく聞いてくれるような人だ。無理難題を吹っかけてくることもない。また、仕事上の方針や判断を明確に示してくれ、必要なアドバイスをしてくれる人だ。こういう上司の下で働けるのは、精神衛生上とても良い。

 だが、こういう人は少ない。そればかりか、なぜか短命なのだ。

 事実、私がその下で働いた「好ましい上司」3人が、早くに亡くなった。

 そのうちの2人は在職中、病に倒れ、休職・闘病の末に亡くなった。もう一人は、定年退職後、70代半ばで、やはり病気のために急死した。この人とは、家が近いこともあって、退職後もお付き合いしていた。


 40年近い会社生活で、早死にした「好ましい上司」が3人というのは、少ないと思われるかもしれない。しかし、母数となる好ましい上司そのものが少ないのだ。せいぜい5~6人といったところだ。そうすると、早死にの確率は相当高いといえるのではないだろうか。

 なぜ好ましい良い上司は早死にしやすいのだろうか?

 あくまで想像に過ぎないのだが、好ましい良い上司であり続けるために、無理をしたり、自分を押さえたり、仕事を背負い込んだりして、知らず知らずのうちに、ストレスが溜まっていたのではないだろうか。ストレスは万病の元といわれるから、その人の余命にも関わってくる可能性がある。


 ところで人というものは、「善人」しか出てこない話より、「悪人」が関わる話を聞く方が好きなのではないだろうか。だから、好ましい上司については、これくらいで切り上げることにしたい。そして、第1法則【ほとんどの上司はイヤな奴である】に移ろう。

 

 イヤな上司には、いくつかの類型があると思う。私なりに分類すると、次のとおりだ。

頂天眼ちょうてんがん

 頂天眼は、金魚の一種だ。出目金でめきんに似ているが、両目が完全に上を向いている。自分より上位の役職者や有力者の意向・動向ばかり見ていて、専らその歓心を得ることを追求する上司だ。そのためには、部下に無理な仕事やノルマを課すことも厭わない。そういう奴に限って、上からの評判が良いことが多い。「ヒラメ」と呼ばれる場合もある。

② 豚

 ブタには悪いのだが、ここでは「貪欲な奴」「意地汚い奴」という意味だ。貪欲さの対象には、いろいろある。幸い私は、金銭を不正な手段によって自分のものにするような上司には遭遇しなかった。私が経験したのは、食い物に意地汚い上司だ。とにかく会社のカネで飲み食いしようとする。あとで触れるが、会社の費用による会食の席で、他の出席者の食べ残しを食べた上司がいた。

木っ端こっぱ役人

 公務員の方が読まれると気分を害するかもしれないが、あくまで例えである。時代劇か何かに出てくる小役人をご想像いただきたい。細かいことに凄くこだわる上司である。部下に任せることができず、何事も細大漏らさず知らないと気が済まない。あるいは、上位者へのプレゼン文書などの書式や、挿入する表やグラフの見栄えなど、本筋とは無関係な極めて細かい点を気にしてあれこれ指示する。グラフ中の文字の位置について、定規を使ってミリ単位で指示した上司がいた。

④ 暴君

 4類型の中でも、これが一番始末に負えない。あらゆることについて、部下に対して自分の意向を強制する。部下に対する支配欲が異様に強い。自分の意向に反するような意見を表明すると、途端に不機嫌になる。そればかりか、怒りだすやからもいる。あるいは、自分の意向に素直に、もしくは積極的に従わない者に対して、陰湿なや報復をする。


 上記の4類型は、それぞれが完全に独立しているわけではない。人によっては、複数の類型を兼ね備えている。いや、そういうケースの方が多いような気がする。

 それぞれの類型に関して、私が実際に接したり、見聞きした例をお話ししても、煩雑で退屈なものになってしまうだろう。

 そこで、残りの紙数は、私が仕えた上司の中でも、最強(狂)・最悪の上司、いわばラスボスの紹介に費やしたいと思う。


 私が、自分が勤めていた会社の子会社に、出向していた時の話だ。まだ存命の人もいるので詳しくお話しすることはできないが、親会社はエネルギー関連企業で、その子会社は倉庫・運輸業(従業員数約1,000人)だった。

 くだんの上司をA氏、子会社をB社と呼ぶことにしよう。

 A氏は当初、親会社からB社の専務として転籍してきた。専務でいる間は、実に大人おとなしいものであった。承認書を持っていっても、ほとんど注文も付けずに印を押してくれた。


■ 毎朝社長室の前に出現する部長の行列

 1年後、社長が退任し、A氏が社長に就任した。それを機にA氏は豹変し、その本性を露わにした。専務の間は、ネコを被っていたのだ。

 社長に就任してしばらくしてからA氏が命じたのは、幹部による毎朝の職場ミーティング実施と、その内容の社長報告だった。

 これは、本社の各部長、各支社長(支社が6つほどあった)が、毎朝部下である各部・各支社の社員を集めてミーティングを行う。その後、ミーティング内容を、社長に直接報告せよというものだ。

 だから、社長室の前には、毎朝部長の列ができた。社長には、各支社長から電話によるミーティング報告もなされるから、部長の列はなかなか進まない。

 社長への報告事項は、部あるいは支社の誰がどこに出張するか、誰が休暇を取り、休暇取得の理由は何か、来客はあるか、あるとすれば誰が来るか、部としての行事はあるか、といった、実に細かいことだった。

 私も部長の一人だったから、毎朝この報告をやらされた。実に馬鹿らしいと思ったが、社長命令とあれば、従わざるを得ない。

 中でも腹が立ったのは、休暇を取得した社員の、休暇取得理由を聞かれたことだ。そもそも、普通休暇というのは労働者に与えられた権利の一つであり、就業規則等で定められた日数の範囲内であれば、取得事由は問わない。取得理由を申告する必要もないはずなのだ。

 それなのに、取得事由は把握していないというと、A社長は、管理者たる者、部下の休暇取得理由を把握していないとは何事かと、嫌味たらしく言うのであった。

 なぜA社長がこんな報告をさせるようになったのか。それは、ある部が、社長の耳に入れていなかったことを後からA社長が知って怒った出来事がきっかけだった。しかし、だからといって、毎日細かいことまで報告させるのは、馬鹿げている。その部に、今後注意するよう指示すれば済むことだ。

 だが、誰もそれを言い出せなかった。なぜなら、A社長は、自分の考えに反する意見を言う者を、口を極めて叱責したからだ。


■親会社とのやり取りはすべて社長に報告

 上記のことと類似しているのだが、A社長は、各部と親会社の関係部門とのやり取りを、すべて把握したがった。そのため、親会社からの通知、B社から親会社への連絡など、メールを含めてすべてコピーし、自分に回すよう指示した。担当者同士の単なる事務的なやり取りも含んでいたから、その作業の手間は膨大なものとなった。

 あまりに馬鹿らしいので、私の部では相当手抜きをした。どうでもいいような事務的な情報は、いちいち社長に回さなかった。


■会社のカネでの飲み食いに執心

 私は、これほど意地汚い人に出会ったことは、後にも先にもA社長を措いて思い出せない。それも、交際費を使って銀座のクラブで豪遊などといったものではなく、いたってスケールなのだ。

 例えば、週1回、経営会議と称する幹部の会議があった。役員(監査役を含む)に対して、各部の役職者がいろいろな案件を提案したり報告したりする。議長は社長である。役員はずっと出席しているが、提案や説明をする側は、順次入れ替わる。

 そのうちに、不思議なことに気が付いた。経営会議は朝9時から始まる。案件が多い時には、12時を過ぎてしまうこともある。ところが、案件が少ない時でも、社長が途中で休憩を入れ、議事が12時を過ぎるように仕向けるのだ。

 議事が12時を過ぎると、事務局に昼食のデリバリーを取るよう命じる。そして、議事の終了後、あるいは議事の合間に、役員会議室で昼食をとる。もちろん、経費は会社持ちだ。取るのは「○半」の「すき焼き弁当(特上)」など、やや高級な弁当だ。

 会議を無理に引き延ばすのは、例えば議案が11時でなくなって会議が終われば、そこで解散となり、また集まって弁当を食べる理由がなくなるからだ。ちゃんと食堂もあり、普段は役員もそこで食べている。

 もちろん、役員でもあるし、会議費で昼食をと自体は問題ないだろう。しかし、議事が少ない時も間に休憩を入れて、議事が12時を過ぎるように工作しているさまは、実にいじましい。


 これに関連して、今でも思い出すと笑ってしまうことがある。

 人事グループ主催で、本社や支社の主任を対象とした研修会を本社会議室で行った。ほぼ一日で、遠くの支社から来る人もいた。事務局が気を利かせて、受講者のために昼食に弁当を取った。それがなぜか「○半」の「すき焼き弁当」だった。ただし、「特上」ではなかっただろう。

 昼食後、湯沸かし場に、食べ終えた後の、弁当のカラ箱が積んであった。あとでゴミとして捨てるために、研修の事務局がとりあえず置いたのだろう。

 ところが、たまたま湯沸かし場の前を通りかかったA社長が、そのカラ箱を発見してしまった。あとで、人事マネージャーを呼びつけ、たかが主任の研修に、あの弁当は高級すぎるとお灸をすえたのだった。

 自分に甘く、他者には厳しい性格が、如実に現れていると思った。


 A社長の指示で、定年退職予定者を退職月に本社に出張させ、近くにあるホテルの和食レストランで、慰労昼食会を行うようになった。退職者がいない月もあるが、いても1~2名だ。慰労する側は社長と常務、そして担当部長だった。

 私がたまたま参加していた慰労会で目撃したことだ。料理の最後に、デザートととして抹茶アイスクリームが出た。退職者は、自分は甘いものが苦手だといって、抹茶アイスには手を付けなかった。すると、テーブルの向かい側にいたA社長が、一言も発せずに、その人のアイスを手に取って、なんと、食べてしまったのだ。その人の目の前でだ。

 もちろん、自分の分はすでに食べ終わっていたので、自分の分と退職者の分を取り違えることはあり得ない。

 私は、自分の目を疑った。中規模の会社とはいえ、れっきとした社長だ。人の食べ残しをかすめ取るとは、恥ずかしくはないのだろうか。

 善意に解せば、食べ物を残すのはもったいないと考えたのかもしれない。しかし、その場合であっても、一言退職者本人に断ったり、「もったいないから、だれか食べないか?」と尋ねるのが常識的な振る舞いではないだろうか。


■任意であるはずの持ち株会への加入を強制

 もともと親会社には、その社員だけを対象とした「社員持ち株会」があった。ある時、加入できる者の範囲を、子会社の社員に拡大した。

 よせばいいのに、親会社の担当部門が、子会社の加入率を一覧表にして、子会社にも配布した。子会社は相当数あった。

 B社は子会社中、真ん中くらいの加入率だった。これを見たA社長の功名心に火が付いた。

 本社の各部長と各支社長に、部下に対して加入を強力に働きかけるよう、発破をかけた。そして、担当箇所である総務部から、定期的に各部・支社別の加入率一覧を提出させ、加入率が低い部や支社の長に、もっと努力するよう自ら直接叱咤するようになった。

 しかし、そもそも持ち株会は加入者が自分の資金を使って株を買うもので、加入やはあくまで任意だ。しかも、自分が出資した元金が増えることはもちろん、元本割れしないことも、保証されない。会社が加入を強制できる性格の制度ではないのだ。

 

 それを知らないはずはないのに、A社長の加入率向上への「情熱」はますます高まった。

 役員と各部の部長などの幹部から構成される幹部会議の場で、A社長は加入率がなかなか向上しないことにいら立ちを示した。そして、未加入の部長級(ライン部長ではなく○○担当部長)2人を名指しして、なぜ加入しないのか本人たちを問い詰めた。他の出席者もいる中でだ。2人は、苦り切った表情をしつつも、加入する旨表明するしかなかった。


 さらに、持ち株会を巡って、A社長の「奮闘」は続いた。

 各支社長の賞与査定額を決める際、加入率が低い支社の支社長の査定額を減額し、その分を加入率が高い支社長の査定額に上乗せしたのだ。それは査定額の相当な部分だった。

 繰り返しになるが、社員の持株会加入については、支社長であっても社員に強制することはできない。それに、持ち株会への加入勧奨は、支社長の本来業務あるいは主要業務とは到底言えない。それにもかかわらず、各支社の加入率によって査定に差をつけるのは、社長による恣意的な査定と見なしても差し支えないだろう。

 ただ、各支社長は互いの賞与額を知らせ合うことはないし、賞与額のうちの査定額は本人には分からない。だから、A社長の査定額調整は、まったくの自己満足に過ぎなかった。


 こうしたことが、親会社にも伝わったのかは分からないが、途中から、子会社の加入率一覧表は公表されなくなった。他の子会社にも、親会社の意向を忖度して、加入率向上に情熱を燃やす社長がいたのかもしれない。

 ちなみに、その後東日本大震災が起こり、親会社の株価は暴落した。A社長の意向に素直に従って多額の資金を持株会に出資した人は、大損したはずだ。しかし、強引に加入率向上を進めたA社長が、その責任を負うことがなかったことはもちろんだ。


■監査役を裏切り者呼ばわり

 監査役は、親会社から出向で来ていた。出向者だから、原所属の親会社に出張することは多い。彼はA社長の目に余る専横ぶりに憤り、親会社の然るべき部署に知らせると言っていた。

 ある日、経営会議の冒頭で、A社長が開口一番、経営会議には場違いな発言をした。たまたま私も出席していた。

「この中に、裏切り者がいる!」

 一瞬、会議室が凍り付いた。名指しこそしなかったが、それが監査役を指していることは、出席者の誰もが理解した。

 続けてA社長は、社内のことを自分の許可なく親会社に伝えた場合は、それ相応の報いを受けるだろうと、監査役を威嚇したのである。

 あとで監査役と話す機会があったが、自分は良心に従って行動したまでだといっていた。立派だと思う。ただ、監査役といっても親会社からの出向者で、いずれ親会社に戻るはずなので、気が楽な面もあったのだろう。


 A社長の専横ぶりを親会社が察知したためか分からないが、その後A社長は退任させられた。親会社から、時節柄また経費節減のため、子会社の社長といえどもハイヤーでの通勤は取りやめるよう指示があった。にもかかわらず、A社長は退任までの約半年間、ハイヤー通勤(しかも40km余りの遠距離通勤)を止めようとしなった。親会社に対する、せめてものつら当てだったのかもしれない。


 A氏は、徹底した「頂天眼」であり、親会社の上層部から一定の評価を得ていたからこそ、子会社の社長になれたのであろう。しかし、その実態は、縷々述べたようなものだった。その代わり何か目立った業績を上げたかといえば、そうではなかった。

 このようなA氏の本性を見抜けなかった親会社の上層部も、人を見る目がなかったといえそうだ。そういう体質のためもあるのか分からないが、親会社はいまだに大震災の後遺症が癒えず呻吟している。


 A社長のイヤな上司ぶりを示す出来事は、他にも多々あった。労働組合との関係も悪化させた。しかし、これ以上話すと差し障りが出てくるかもしれないし、お読み下さっている方も退屈するだろうから、やめたいと思う。 

 私はその後、A氏と会ったことはない。風の便りによれば、今も健在らしい。私が発見した第1法則に、見事に合致しているのだろう。

 私の中でA氏は、身近に接したとても個性的でイヤな人物の一人として、鮮明に記憶に残っている。よい人生勉強をさせてもらったともいえる。


 と、ここまでA氏について述べてきて、偉そうなことを言っているお前はどうなのか?と、これを読んでおられる方はお尋ねになるかもしれない。

 私も、管理職として「上司」になったことはある。自分では、上述したイヤな上司の類型には当てはまらないと思ってはいるが、実際に部下だった人からどう思われていたのかは分からない。少なくとも、A氏ほど酷くはなかったという自信はあるのだが……。


 ちなみに、私は100歳まで生きて、時代がどう変わるか、子や孫がどうなっていくのか見届けたいと思っている。もし望みどおりになったら、上述した法則はが当てはまらないことになる。しかし、何事にも例外というものはあるのだ。


《完》

 

 

 

 

 

 

 


 


 

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