それは知らなかったな


「まぁ、どうしてですの?わたくしはあの子の母親なのですよ?それにこの子は妹ですわ」


 実の父親が空気なんだが……。


 しかしこやつら、本当に強いよな。

 会わせないと言われたあとだぞ?


「へぇ。母親に妹ね。それで?」


「ですからシャーロットを呼ぶようにお願いしているのでしょう?」


 あー、女の方も苛立ってきたな。

 ルーカスよ、イライラしている女を甘く見ない方がいいぞ?

 特にこの女たちは未確認生物だからな?

 何を始めるか分かったものではないんだ。


「だから会わせるわけがないよね?」


「どうしてです!意味が分かりませんわ!」


「意味ねぇ。本当に分からないよね」


 すーっと目線を動かしたルーカスは、やはり男を見た。

 いや睨んでいる。

 昨日はあぁ言ったけれど、少しくらいは躾けてから連れて来いよ、という目だ。


 自分を躾けられない男にそれは無理難題だろうよルーカス。


「ねぇ、君?今日は何をしに来たのかな?」


「ひぃいっ」


「叫ばなくていいから説明して?」


 昨日のルーカスが神に見えてきただろう。


 あれでも大分優しい対応だったんだぞ。

 今さら気付いてももう遅いけどな。


「ねぇ、お義兄さま!」


 娘。頼むから今は黙っていてくれないか。

 頭がきーんとなってな。

 ほら、全員が黙ってしまったではないか。

 え?母親も父親も耳を押さえるのかよ。

 動きが大分早かったな。訓練してきたから対策はばっちりだ?そんなことより娘を教育しろ?


 もちろんルーカスは答えなどしなかった。

 急いで耳を押さえたあとに、澄ました顔で微笑まれてもな……きまらないぞルーカス。


「ねぇ、お義兄さま!!!」


 おいおい第二砲が来たぞ。


 なんでこんな娘を連れて来たんだよ、そこの父親。

 あぁ、ルーカスが連れて来いと言ったんだったな。


「ねぇ、あれ」


 ルーカスの言葉に静かに頷いた侍従の動きは早かった。

 は?え?どこから出したんだ、それ。

 

「もごっ……△〇□×………」


 皆の耳と頭が守られて……良かったのだろうか。


 しかし立派な猿轡もあったものだな。そこに装飾は必要か?

 そこの男、『やはり牢獄』と呟かない。今は窓の外を見るな。いいな?


 そして母親よ。「静かになって良かったわね」っていいのか。娘だよな?

 え?なになに?「あら素敵な装飾ね。おいくらなのかしら?」って。

 まさか買う気ではないよな?

 それはな、家にこんな怪物がいたらいつまでも寛げないだろうし、必要かもしれないが。

 はは。まさかな。母親だよな?


「少し早まったが。これに聞くことはなさそうだから良しとしよう。それで?」


 ルーカスは珍獣一匹の観察を諦めた。

 いくら珍しくても、こちらの身に危険が迫る未確認生物だからな。

 安全な環境を整えてこその観察……可哀想に。猿轡が生涯の友になったぞ。

 ん?何々?声が出せないほどに弱らせればいい?ってルーカス。

 おそろしい声は周りに聴こえないように気を遣ってくれ。


 まだ話は続くのだろう?

 こんなに序盤から色々あったらな、こちらの身が最後まで持たないんだよ。

 知らないって?頼むから知って。もっと気を遣って。


「それでとは何かしら?」

 

 二人ともまだイライラしているようだな。

 うん、仲良く話せとは言わないが、少し落ち着こう。

 やっと大声に怯えなくて済むんだ。


「ねぇ、君?」


「はひっ!すぐに!……その、ゴニョゴニョゴニョ」


「なんですって!わたくしに謝れなんて馬鹿なことを言わないでちょうだい!」


 あのなぁ、ここで伝えることではないよな。

 そんで、ゴニョゴニョしてみたところ悪いが、目のまえにルーカスがいるんだ。

 ぜーんぶ筒抜けだからな?

 家でやれ?


「へぇ。馬鹿なことなんだ?」


「当たり前じゃないの!わたくしはあなたの義母なのよ?」


「へぇ。義母ねぇ。へぇ」


 静かに怒りを溜めていくルーカスが爆発したときが怖いな。

 そろそろ男も妻を止めてくれないものかね。


 あぁ、うん。無理なのは分かった。

 だけど今は窓を気にするところではないぞ?


 それよりな。

 猿轡を噛ませられて、そのうえいつの間にか縄にまで縛られ、床に転がった娘の心配をしたらどうだ?

 同じ家で数日内に縛られて、姉妹らしいと言えばそうか?


 あぁ、こっちの娘は転がりたいとか言っていたな。

 良かったな娘よ、夢がさっそく叶ったぞ。


 悪かった。転がろうとしないでくれ。

 ステイ、ステイだ。


「シャーロットはどうしているのかしら?早く連れて来てくださいます?」


「ねぇ、君。これはいつまでこうなのかな?」


「ははは。こういうところが妻のいいところで。よく見ると可愛らしいと思いませんか?」


 お前さん、稀に見る大物だったな。

 妻にも娘にも負けない強さがあるではないか。


 それを頼むから妻と娘にぶつけてくれ!


「こうしてすぐに顔も見せませんし。昔からのろまでぐずなところがあって、お宅でもご迷惑をお掛けしていることでしょう?結婚するまでに教育が足りていなくて申し訳ありませんけれど。今一度躾けますから、今すぐ連れて来てくださいな」


 男はどうして妻にルーカスの操縦方法を教えておかなかったんだろうな。

 ルーカス相手にこれは悪手中の悪手だぞ。

 

 嘘でもいいからここはシャーロットをべた褒めしておくところだ。

 男もな、妻の可愛さアピールより娘だ、娘。

 娘と言っても床に寝る方ではなく、シャーロットな。


 それだけでルーカスの機嫌が急上昇なことなんか昔から知っていたよな?

 そうか、物忘れが激しい男だったか。


「ふぅん。へぇ。そう?」


「あぁ、そうですわね。いっそ連れて帰りましょうか?我が家で徹底的に躾けてから、お返しいたしますわ」


 誰一人空気を読まないんだよな。

 最初から常人に読める空気もないけどな。

 

 真面な人間はこの部屋に入ったら窒息するぞ。


 つまり侍従もあれだ。

 何せ、座っているからな。

 最初からそこに椅子はあったか?やけに優雅に見え……一人だけ紅茶かよ。

 今日は客がないから?いや主人がそこに。え?主人も違う?


 そのわりにいつも素直に頷いていないか?


「新婚ですのに。その間は淋しいでしょう?ですから、うちのアメリアを置いて行きますわ」


「それは要らない」


 ルーカスよ、即答だったな。

 そして母親よ、悔しそうに顔を歪ませるな。


 実の娘をやっと手離せそうだったのに、みたいな顔をするなよ。

 せめて駄々洩れる気持ちは隠しておいてくれ。


 それから猿轡の娘。転がるな。

 今は床にまで触れたくないんだ。


「ねぇ、君?」


 さすがの男もルーカスの瞳にすでに慈悲がないことを悟ったようだ。

 だからもっと早く気付け?


「申し訳ありません。妻と娘は元々平民でして、貴族の常識には疎く……」


「まぁあなた。なんて失礼なことを言うのかしら?娘はともかく、わたくしは貴族の常識を知っていてよ?」


 そうだな。

 娘が常識を知らないことだけは間違いない。

 だって転がっているからな。それも楽しそうに見えるぞ。


 ふかふかの絨毯が珍しいか?

 確かに平民ならベッドにも使える代物だろう。でも遊ぶな?


「それに何よ、元々が平民ですって?わたくしはずっと貴族でしてよ!」


「へぇ。ずっと貴族だったんだ?」


 面白そうにルーカスは眉を顰めた。

 未知の生物を楽しんでいるなぁ。


「侯爵夫人なのよ、当然でしょう?」


「ふぅん。そう。侯爵夫人だったんだ。へぇ」


 男が急にはっとした顔をして、夫人の口を押さえた。


「申し訳ない!この通り謝罪する!」


 妻に睨まれても、男はまだ手を離さなかった。


「お前は黙っていなさい。貴族の常識など分からないのだから!」


 さすがに何か勘付いたのか、不満そうではあるが妻は口を噤む。

 それでやっと男は妻の口から手を離した。


 すると男は続いてルーカスに向けてへらっとした薄っぺらい笑顔を作り、自分の手を揉み始めたのだ。


「うちのは、元平民ですからね。ルーカス殿にも貴族として寛大な心を持って、許しくださると有難いのですが」


 まさしく、お前が言うな、である。


「ねぇ、君。ずっと気になっていたのだけれど。どうして元平民なんて言うのかな?」


「は?え?あ……」


 男の顔から急速に血の気が失われていく。

 大丈夫か?まだ生きているか?


「君は貴族の常識を知っているんだっけ?」


「それはもちろん……」


「そうなんだ。それで?」


「その……つまりですね……これは……そう、妻と娘に差を付けてはならんという、貴族としての親切心から……」


「差を付けてはならない?へぇ。君は貴族と平民の間に差があってはならないと考えているんだ?」


「それは差別はよろしくありませんし」


「そう。じゃあ、今日から君は平民でいいね」


「は?」


「これで二人との差もなくなった。良かったねぇ、君」


 男の中でぷつんと何かが切れた。

 あー、この勢いで過去に公爵家に抗議の手紙なんか出せたんだな。


「ふざけないでいただきたい!私は侯爵なのだぞ?いくら公爵の子といっても、あなたはまだ爵位も継いでいないのだから!礼儀を忘れて貰っては困る!」


 男が怒鳴っても、ルーカスはどこ吹く風だ。


「ふぅん。そう。爵位の有無で差を付けるんだね?」


「貴族なんですから当然でしょう!」


「そうなんだ。でもそうすると、これにも差を付けないといけないね?」


「二人は侯爵である私の家族ですからいいんです!」


「へぇ。知らなかったな。家族なんだ?」


「知らないわけがないでしょう!ですからもっと私共に敬意を持って……」


「契約は?」


 男の反論がぴたと止まった。


 興奮が冷めると、赤くなっていた顔はまたたちまちに白くなる。

 血流は忙しかろうな。


「あなた?どうして急に黙るのよ。公爵見習いのこの子より、侯爵であるあなたの方がずっと偉いのでしょう?」


「観察し甲斐のある生き物だねぇ。長くは見たくないけどさ」


 失礼な言葉を放つルーカスは、にんまりと微笑むとさらに言葉を足していく。


「ねぇ、君。父が長く不在にしていることは言ったよね?私が今日どんな立場にいるか、君は知っていたね?で、今日は何をしに来たのかな?」


 男はすっと立ち上がった。

 なんだ、やるのか?ついに物理的な対決か?


「申し訳ありませんでした!!!この通り謝罪いたします!どうかご無礼をお許しくださいませ!」


 土下座かよ。

 あ、娘の身体が父親にぶつかって止まったな。


 まだ転がっていたのか。



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