禁忌的アンガーマネジメント:哲学史における位置づけに基づく考察
有明 榮
目次、第一部
目次
はじめに
一.社会運動としてのアンガーマネジメント
二.AAL導入までの経緯と機能、昨今の症例について
三.人間の本性としての怒り
おわりに
参考文献
はじめに
精神医学哲学会による「世界アンガーマネジメント宣言(world declararion of anger-managemating)」からおよそ半世紀の時が過ぎたが、我々はこの宣言を一度立ち止まって見直す時期に来ているのかもしれない。昨今日本各地で頻発しているとされるAAL(Anti-Anger Leukocyte: 好怒気球)の機能不全、これに起因する瞬間的な生理反応が脳神経系および循環器系に与える影響は深刻なものである。発生する血圧の急激な上昇が脳出血と心筋梗塞を引き起こしたケースも見られ、今や怒りは日本国内で「死に至る病」として認識されつつある。本稿では深刻化する新たな「不安の概念」に対して、AALの導入背景と機能を振り返り、機能不全による症例を取り上げた後に、いくつかの哲学的視点に基づいて「宣言」の妥当性について今一度検討したい。
第一部:「死に至る病」の解剖
一.社会運動としてのアンガーマネジメント
すべての始まりは「怒り」という心的活動に対するパラダイム・シフトであった。ドイツの哲学者であり、内科医でもあったオットー・レームブルック(Otto Lehmbruck)の『怒りと理性』(原題:Wut und Vernunft)において、人間の「怒り」は医学的・哲学的観点から「理性の働きを妨げ、正常な判断を阻害する」上に「心臓をはじめとする循環器系に必要以上の負荷をかける」として「無益な機能」と断定された。このように無益でありながらも人間に感情として備わっているのは、(集団的)自衛の為である、とレームは解釈した。
我を忘れるほどの怒りは時として己を守り、またその隣に立つ人間をも守る。例えば、あなたが真面目なホワイトカラーだったとしよう。職場で同僚なり上司なりから屈辱的な誹りを受け続けたとする。あなたは内心では怒りが湧き上がるのを感じているが、理性によってその場をなんとかやり過ごすだろう。しかし一たび臨界点を超えると、あなたの怒りはあなたを侮辱した者に爆発的な勢いで向けられる。雷の如く大声で反論するのか、闇の如く静かに論理的に詰るのか、嵐の如く拳を振るうのか、それは起きるまでわからぬことである。そして怒りの波が引いた後には、あなたはその瞬間の事を覚えてはいまい。だが相手はあなたの恐ろしさを認識し、二度と理不尽な誹りはしないはずである。(p.55)
近代以降の複雑化・多様化し、加速度的に展開する社会に投企された人間は非常に矮小な存在である。そのような人間にとって、怒りは己とその周囲の平穏を守るための正当な手段である、とレームブルックはここで怒りを肯定する。しかし現代は加速度的な展開そのものが高速道路のように常態化しており、その中で求められるのは直観と理性に裏打ちされた、冷静かつ明晰で迅速な判断である。怒りという感情の発露は自衛の手段として非常に優れた性質を有するが、怒りは自己と他者が投企された「社会」の流れを一刹那とはいえ淀ませる不純物に他ならない。それゆえレームブルックによれば、怒りの発露は極力抑えられるべきであり、怒りを容易に露にするのは現代人の最大の恥と認識されるべきなのである。
彼の著書は怒りに対する実地的な解釈の面では賞賛を受けたが、その為に提案されたアンガーマネジメントの方法の面で大きな批判を受けた。薬品の投与や感情の起伏を強制的に抑制する思考訓練、外科手術法など、前世紀の精神医学が経験し、そして失敗に終わった治療法ばかりがそれはそれは立て板に水のごとく並べ立てられ、厚顔にも書かれていたのである。だが前時代的でラディカルな警句が述べられるほど、怒りの感情への対処が緊急性を孕んでいるという認識の下で、精神医学哲学会が立ち上げられることになるのである。
同学会はもともと世界精神医学会に存在する一派閥であったが、日本、ドイツ、スウェーデンの医師らが中核となり、同学会から完全に独立した組織として作られた。同学会は独立宣言を行うと同時に「世界アンガーマネジメント宣言」をインターネット上に発表し、その観点の立場を明らかにすることになる。本宣言の前文は、オットー・レームブルックに始まる「L派」の影響を受けていることが明らかであり、前述の著書に対する賛否両論から推論可能なように、組織は自ら電子の海にその思想的脆弱性をさらけ出すこととなった。冒頭にて「怒り」の感情のメカニズムを「自然な人体の機能」と位置づけつつも、アリストテレス、セネカ、トマス・アクィナス、デカルト、そしてマグダ・アーノルドという西洋哲学の感情・情念論において古典とされる著書の一大スペクタクルを経て、現代社会に生きる人間は怒りという心的機能を理性によって統御し乗り越えねばない、という注目すべき結論にたどり着く。
人間は古今東西、怒りについて論じてきた。それはアリストテレスに始まり、地中海を超えてセネカが苗木を植え、トマス・アクィナスがキリスト教という豊かな思想の土壌に大木を育て上げた。時を経てデカルトが近代という大いなる人間賛歌の斧でトマスの大木を切り倒した後、技術と思想と速度の混沌とした大地にアーノルドが新たな道路を敷いた。……自然なはたらきではあるが、怒りの感情をそのまま野放しにしていると、我々が投企されている社会に歪みが蓄積されていく。社会意識として共有される小さな歪みは時限爆弾のようであり、やがてテロリズムや暴動、ストライキといった社会に対する爆弾として表出する。したがって我々は、この歪みの発生可能性に着目し、その克服を目指さねばならない。……文明とよばれる集合的社会組織が形成されてから数千年という長い時間にわたり、「怒り」という脳内の些細な活動がもたらす内的活動について、その本質を議論し、その対処に膨大な能力を割かねばならなかったのは、ひとえにその方法こそ間違っていなかったものの、列挙される諸方法が根本的解決を見据えぬ対症療法的なものだったからである。セネカは言った、「最善なのは、怒りの最初の勃発をただちにはねつけ、まだ種子のうちに抗い、怒りに陥らないよう努めることである」と。またデカルトは言った、「高邁の心こそ怒りの過度を防ぐためにわれわれの見いだしうる最上の救治法である」と。我々は、巨人の肩の上に進んで乗り、怒りの根本的な解決を見据え、科学技術に基づき、理性的動物として、世界的なアンガーマネジメントを推進していくことを、ここに宣言する。(「世界アンガーマネジメント宣言」前文)
本宣言で見られるように、同学会は怒りを人間が克服すべき対象として捉えており、その中でもセネカの『怒りについて』、デカルトの『情念論』という古典中の古典が根幹に据えられていることが確認できる。しかしここで注意して読みたいのは、先ほども述べたように「宣言」前文最終部、「科学技術に基づき、理性的動物として、世界的なアンガーマネジメントを推進していくこと」である。ここに学会のアンガーマネジメントにおける方針が示されている。セネカは『怒りについて』において、「待っているうちに熄むだろう」とか、「子犬どもの吠え声を猛獣のごとく泰然と聞き流すのは、偉大で高貴な人である」とか、「あなたのほうからは親切で挑みたまえ」と主張している。またデカルトは『情念論』において、怒りの感情は自らのみを重んじ「他のすべての人をさげすむ」ことにばかり執心している「高慢」の精神によって生じているとして、「みずから最善と判断するすべてを企て実現しようとする意志」すなわち「高邁の心」を持つことで、過度の怒りを防ぐことができるとしている。
このように「宣言」以前のアンガーマネジメントは精神論的態度――ある種の「心構え」――が重んじられており、このことは学会が「列挙される諸方法が根本的解決を見据えぬ対症療法的なものだったから」と考える原因であったのだと思われる。したがって、科学技術による抜本的な改革が提案されることとなった。それが、AAL(Anti-Anger Leukocyte: 好怒気球)の開発と人体への投入である。「怒り」の根本を「精神」という非常に曖昧で神秘的な哲学分野ではなく、神経細胞の電気信号とホルモンによる脳の相互連関的な作用という生物学分野に求めることで――またそれを許すことで――、そこに一定程度人為的に介入することが可能になったのである。見る者が見ればそれは(倫理的にも哲学・神学的にも)禁忌を犯すことであったし、人体に対する冒涜に他ならなかった。現に筆者も批判運動を積極的に展開していたが、それについてここで取り上げることはしない。
二.AAL導入までの経緯と機能、昨今の症例について
現在、一般にAALは、デカルト的な「情念」観の下、怒りの状態を示す精気を捕食し鎮静化させる白血球のような存在として認知されている(これにはLeukocyteつまり白血球という言葉が使用されていることと、メディアの存在が大きいと思われる)。しかし実際AALは脊髄に埋め込まれた一つの「母体細胞」を中枢として構成されるナノマシンの集合体である。基礎となったものは、鬱病や統合失調症患者の治療のために試験的に導入された「学習性自己複製型機械細胞(atom ex machina: AEM)」である。これは脳内の血管に在中し、脳内の血管におけるセロトニンの量を、電気信号による母体細胞とのコミュニケーションに基づいて調節するネットワークを有したナノマシンであった。AALはAEMの発展後継機として開発されており、AEMでは実現できなかった神経細胞へのダイレクトな刺激付与機能が搭載されている。
脳内に点在するAALは、血中のホルモン濃度に加えて神経系の働きをもモニタリングしており、情動=神経系の過剰な興奮に対して即時応答を展開する。怒りや復讐心といった情動が生じると、脳内では行動接近システム(behavioral approach system: BAS)が働く。神経学的にいえば、黒質、腹側被蓋野、腹側線条体、前頭前皮質など、あらゆる脳機構が働く。詳細は明らかにされていないが、そのプロセスはドーパミン(報酬やポジティブな感情に関連する)によって促進される可能性が高いとされている。怒りを目の前にして人は、「相手に過ちを認めさせる」とか「相手にダメージを与える」という目的を持ち、それの達成に向かって進むようになるのである。つまりこの時、人の脳は愚かにも、喜びで与えられる報酬と怒りの解消で与えられる報酬を同一視している。同時に脳内ではアドレナリンとノルアドレナリンが分泌され、身体が攻撃に向けて準備をすると共に、偏桃体が反応し、相手からの報復に対する不快感・恐怖感を催させる。こうした接近・退避の混在したカオスを我々は「怒り」と認識しているのだ。
AALはホルモンバランスが崩れるより以前、つまり神経系の興奮の時点で、二つの機能が同時に始動する。一つは疑似ホルモンの生成・放出であり、ここではトリプトファンおよびアリピプラゾールが放出される。トリプトファンはセロトニンの生成源となり、セロトニンは副交感神経優位の状態を作ることで過度の興奮を抑制する。アリピプラゾールはドーパミン・システムスタビライザーと呼ばれることがあるように、ドーパミンの過剰分泌を抑制し、BASプロセスを阻害する。もう一つは磁気刺激(Magnetic Stimulation)による神経系の調整である。既に米国や日本国内でうつ症状や強迫性障害の治療のために用いられている反復経頭蓋磁気刺激治療(rTMS)を応用した作用であり、母体細胞と脳内のAALとのコミュニケーションの中で磁気を発生させ、下前頭回を活発化することで、論理的思考を促す。このようなホルモンと神経の両面から作用することで怒りの情動は速やかに排除され、代わりに脳は与えられた情報を論理的に分析・判断し、それにより起こりうる問題=怒りの解消へと向かう。こうして攻撃性は発現する前に抑制される。欧米の一部の学者やジャーナリストは、この働きを「オブザーバー(観察者)」と呼称することもあるそうだ。
先に述べたように、開発当初は人間の感情に対する冒涜であるとして大いにバッシングを(主に私のような人文科学系研究者や文学雑誌などから)受けていたが、学会はカロリンスカ研究所で行われた二十頭のチンパンジーの観察の中で、行動様式が平和的に変化したことと、五年間の観察の中で副作用が見受けられなかった(AAL投与から二七七日目に一頭死亡したが、これは高所からの転落で頭部をぶつけたことによるものであった)ことから、成人した双極性障害患者を対象としてAALを試験的に投入、チンパンジーでの実験期間の倍の期間の負担を人体に要求する十年間の観察を実施した。またこの実験は日本、ドイツ、スウェーデンの大学病院で行われ、それぞれ九州大学で十二名、ハイデルベルク大学で三十三名、カロリンスカ研究所で十八名の観察が実施された。
実験結果は医学的・社会科学的見地から詳細に分析され、それらをまとめた論文は僭越にも「精神医学」「生体の科学」といった国内のみならず「JAMA」「ランセット」等の世界的に著名な医学雑誌に掲載されることとなったのである。
医学的変化としては、躁状態・うつ状態ともに症状の緩和が見られた。躁状態で観察された、ストレスに対しすぐに大声で人を罵る、暴力に訴えるなどの易怒性が緩和されたほか、浪費や性的逸脱行為、危険行為の発生頻度が低下した。うつ状態で観察された、強い絶望感・罪悪感に起因する過食嘔吐の頻度が低下すると共に、幻覚や妄想によるせん妄を訴えることも減った。これらはAAL投入から二週間前後の早い段階で確認され、早いものでは観察開始から二十三週(約六ヶ月)の時点で寛解(正常な状態に戻った)と診断される者もあった。また躁状態・うつ状態によって極端に変化していた睡眠時間の漸次的な安定も観察されている。全六十三名のうち六十名で睡眠時間の変化の幅が徐々に小さくなっていき、遅くとも観察開始から四十週(約十か月)が経過するころには、双極性障害の症状はわずかにみられつつも、患者の睡眠時間はほぼ一定のものとなった。
社会学的見地からは主に行動様式の変化が挙げられた。躁状態でしばしば観察された虚言・誇大妄想が減少し、患者はカウンセラーと地に足のついた思考のもとでの論理的な会話が成立した。また適度な社会性が回復も見られており、九州大学病院での観察下にあった十二名のうち十名、カロリンスカ研究所の十八名のうち十七名は社会人サークルへの参加が可能なほど、社会生活への意欲が回復している。またハイデルベルク大学病院での観察下にあった全ての患者が再就職に成功しており、その中には聖職者、教員等、複雑な社会関係の中での労働が求められる職業に就く者もいた。三十三名のうち七名が、観察期間中に転職や結婚といった複雑で高度な社会生活を自力で遂行することに成功している。このような行動様式の変化は症状の緩和という医学的変化より比較的遅く見られるようになったが、それでも遅くとも観察開始から十三週目には全ての患者がいわゆる「普通の」社会生活を送ることができるようになった。
さて上記のような変化を目の当たりにすると、AALの結果を認めたくなるのが人の性というものである。実際に政府も十五年前にAALの一般投入を認める法案を成立させ、「高邁の心を持った理知的で創造的な日本国民のあり方」をあくまで追求していく立場をとった。政府は隔年ごとにアンケートを実施しており、国民における感情に依拠する心理的・身体的負担の増減(いわゆる「ストレス指数」)を調査している。それによると、「ついカッとなってしまう機会が減った」という項目について、「非常にそう思う」「そう思う」を選ぶ人が年々増加傾向にあり、それと同時に「怒りを覚えないことについてどう思うか」という項目について、「良いことだと思う」「どちらかというと良いことだと思う」を選ぶ人も増加傾向にある。最新のアンケートでは前述の二つの質問に対し肯定的に答える人が全体の七割を超える結果となり、世相が怒りの少ない平和で明晰な社会を望んでいる、とみなしても問題ないかのように思われる
しかしながら昨今、特に日本国内で頻発しているAAL誤作動によると思わしき死亡事例を検討していくと、これらの運用について、また人間の本性における「怒り」のあり方について、今一度見直しの必要性が見いだされるはずである。実際、先に触れたアンケート調査で増加しているのが、「怒りを覚えないことについてどう思うか」の質問に対する「その他」の回答である。「その他」を選んだ人の回答の過半数が、「怒りを覚えるのが怖い」であり、さらにその理由を「AAL事故が多発しているから」と回答したのが、八割を超える結果となった。
国内で発生した最初の死亡事例は、二十六歳の男性Aにおいて発生した。未来を担うべき若者の尊い生命が技術の傲慢によって奪われる結果となったのは非常に遺憾なことだ。この事例は今やAAL暴走事故に挙げられること自体が少なくなってしまったが、間違いなく一連のAAL暴走事故の発端である。目撃者によると、Aは会社員であり、取引先との交渉中に同僚の女性が性差別的な発言を受けたことに対し、はじめは温和に発言相手を諭していたのだが、突如「爆発したかのように」激昂したのだという。Aは両手でテーブルを叩いて勢いよく立ち上がると、大声で何やら不明瞭な言葉を喚きながら、卓上のコーヒーカップを蹴飛ばすのもいとわず、相手の胸倉につかみかかった。普段温厚で理知的な彼を知っている同僚の女性は、その変貌ぶりに「とても怖かった」と言っている。その後Aは椅子ごと相手を押し倒すと数発連続で平手打ちをかました後、糸が切れたかのようにその場に倒れ、意識を失った。搬送先の病院で死亡が確認され、原因は脳卒中と診断された。
この一件を嚆矢として、国内では一年間におよそ十件のペースでAAL暴走による死亡・または後遺症を伴う脳卒中を発症するケースが見られた。そして、暴走と明確に診断された患者の脳内にはいずれも異常に増殖したAALがはびこっており、その様子はさながら『攻殻機動隊』に登場する「脳殻」のようであった、とある医師は語っている。暴走の原因について、学会は母体細胞とAALのディスコミュニケーション、あるいはコミュニケーション回路の異常発達によるAALの「反抗期」がもたらした異常増殖と見られているが、現状詳細は明らかにされていない。しかしながら、筆者は断固として非倫理的な技術を、その不完全性が十全に確認されないままに世に解き放とうという大それたことを考えた学会を、徹底的に糾弾する心づもりである。それはそれとして、先のアンケート結果からわかるように、このような事例を受けて、「怒り」という感情を肯定的に捉えなおすべきなのではないか、という意見が見られるのもまた事実である。次章では、哲学における「怒り」の研究史を簡潔に振り返りながら、我々現代に生きる人間が怒りとどのように向き合うべきか検討する。
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