第13話 絡み合う錯誤

 ゴールデンウィークに差しかかったあたりでは、祖母は寝込むことが多くなった。腰の調子の悪さが一気にきて、茶道ができない精神的なものから食欲不振に陥ることも多々あった。発せられる声ははつらつとしているが、前ほど小言は漏らさなくなった。

 ほっとしたような寂しいような、複雑な気持ちだ。

「愛奈さん、早くひ孫さんを見せてちょうだい」

 夕食中、祖母は毎日のように言うようになった。平然とまだ結婚は早いだの言ってのける姉と、横で心を抉られる弟。対比が凄まじく、凜太は茶碗にご飯を残したまま席を立つしかない。

 自室に戻ると、隠してあったスナック菓子を摘まむ。

 虚しい気持ちしか残らず、輪ゴムで止めると机の中にしまった。

 普通の生活を送れば、孫やひ孫を抱いてもらいたいと思うだろう。凜太にはそんな未来は訪れない。母も祖母も、愛奈も知らない。

「カミングアウト……か」

 異性愛者はカミングアウトとは無縁の世界で生きていて、同性愛者だけがなぜかカミングアウトという重い枷を背負わされている。世の中は平等ではない。

 言えば一家を絶望へ突き落とすことになる。祖母の容態が急変してもおかしくない。

「入るわよ」

 いきなり姉が入ってきた。

「ちょっと、ノックしてよ。入っていいなんて言ってないし」

「隠すようなものでもあるの?」

 愛奈は腰に手を当て、偉そうに言ってのける。

「悪いことをしてなくてもパトカーが通り過ぎたら誰でもどきっとするでしょ」

「はいはい。明日、相沢さんがいらっしゃるからアンタがもてなしてよ」

「なんで? 姉さんがやるんじゃないの?」

「私は家元についてなきゃだめだから。向こうの家元と跡継ぎの楓さん、それと秋継さん」

 ゴールデンウィークに来るとは聞いていたが、いきなりだ。

「家元の見舞いも兼ねてくるんだってさ。主菓子は買ってあるから」

「わかったよ」

 秋継に会える嬉しさはあるが、不安が拭いきれなかった。

 跡継ぎでもない彼が来る理由だ。表面上の許嫁に会いにくるというのならまだ理解できるが、祖母がこのような状況で無理やり結婚にさせようとしているのなら黙っていられる自信がない。

 翌日、秋継たちが到着すると、彼は凜太を素通りして愛奈の下へ近づく。

 判ってはいたが、心にくるものがある。

「家元が秋継さんへお話があると言っています」

「わかりました。すぐに参りましょう」

 秋継の目はついてこい、と告げている。

 凜太は目を伏せながら頭を振った。

「お茶の準備をしてお待ちしています」

 凜太は一礼し、その場を逃げるように去った。

 茶室へ入り、袴のままだらしなくへたり込む。

 前までは愛奈と秋継が一緒にいても特に何とも思わなかった。見せかけの許嫁だと判っていたからだ。けれど祖母の状況が状況なだけに、回りの大人たちから固めていくだろう。

 負の感情は捨て去ろうと何度も深く息を捨てた。

 茶の準備を進めているが、祖母との話が長引いているのか誰も入ってこなかった。




 着物を着た愛奈は日本の美を背負い、上背や凛とした佇まいもあった余計に人目を引いていた。

 褒めの言葉の一つや二つが浮かべばいいが、凜太が気になってそれどころではなかった。

 凜太は恋人候補で誰よりも一番に想う人、愛奈は仮初めの許嫁である。それでも気になるのは仕方ない。

「ようこそいらっしゃいました。ごめんなさいね、こんな姿をさらすなどみっともない。腰も痛めてしまってね」

「無理せず横におなりになって下さい」

 倒れたと聞いてはいたが、凜太の祖母は若々しく、まだ活力もある。家元なだけである。そして性質を受け継いでいるのは愛奈だ。彼女もまた祖母に似ている。

 他愛のない話をいくつか話していると、横になる家元は秋継を気にする素振りを見せた。秋継は気づかないふりをした。

「愛奈さん、あの件はどうなっているの?」

「まだ早いって言ったばかりでしょう? もういい加減にして下さい」

「あの件とは?」

 秋継がだんまりなのを決め込んでいると、母が横から口を挟んだ。

「早く結婚して子供を生んでほしいなんて言うんです。ひ孫の顔が見たいからって」

「秋継は結婚して子供がいてもおかしくない年齢よ」

 回りから固めようとしているのは透けて見える。

 すべて吐いてしまえればいいのに。得るものは少なく、たいていのものを失うだろう。

 子供は何人ほしいか、いつ結婚するのかなどを聞かれ、まだ早いの一点張りで首を縦に振らなかった。凜太に対する今できる精一杯の誠意だ。

 愛奈の様子を伺うに、彼女は薄ら寒い笑みを浮かべている。

 彼女と目が合った。なるほど、と納得した。彼女の顔は冗談じゃない、と血走っている。凜太と顔つきは似ているのに、気の強さは似ても似つかない。

「これからの予定を話し合いませんか?」

 愛奈に声をかけると、彼女は頷いた。

「弟がお茶の準備をしているので、手伝いにいきます」

「お供しましょう」

 愛奈の後ろを淡々とついていく。

 中庭を通る廊下で、愛奈は止まった。

「俺と結婚する気、ないですよね」

「ないわね、全く」

 清々しいほど気持ちのいい答えだ。

 秋継も腹を割って話そうと心に決める。

「実は俺もないんです」

「お願いがあるんです。多分、あなたと同じ気持ちだと思うんですが、」

「ええ」

「あなたが結婚する予定が今のところないなら、しばらくこの関係を続けさせてほしいんです」

「そうしてくれるとこちらも助かります。ちなみに、お付き合いをしている方はいますか?」

「一応、います」

「なら愛奈さんが結婚する前に俺が振られたことにすればいいですね」

「呆気ない振られ方ですね。男のプライドが傷つきませんか?」

「……そんなちっぽけなものよりも、大切なものがありますから。そろそろ茶室へ向かいましょう。弟さんが待っていますよ」

 秋継は愛奈を追い越し、さっさと茶室へ向かった。

 背中に視線が突き刺さる。愛奈には真実を話してもいいのかもしれない。だが凜太の立場を考えると、今はまだそのときではない。

 茶室ではぼんやりと寝っ転がる凜太がいた。

 おかしくて笑ってしまうが、もうすぐ姉が来ると告げると起き上がって姿勢を正した。

「姉と弟の立場は俺もよく判る」

「この世に優しい姉なんて存在しない」

「その通り。美味しい茶、期待してる」

「任せて!」

 茶を振る舞う凜太は名の通り、凜とした佇まいで最後まで亭主を全うした。

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