第9話 一月一日
元旦はとにかく多忙である。やってくる親戚への挨拶回り、茶を点てて振る舞い、家族とともに新年のお祝い。終始にこやかに笑顔を張りつけていなければならないので、顔が引きつっていた。
豪華なおせちが食卓に並ぶが、凜太はあまり手をつけなかった。
「つっかれた……」
ベッドに倒れ込み、端末をタップする。ゲームアプリにメッセージが届いていた。
──明けましておめでとう。
秋継だった。家の中に秋継のアバターがいる。渡したハリネズミのシャツはそのままで、髪型とズボンが変わっていた。
──おめでとう! 正月は人多くて疲れるよー。そっちは?
──病み上がりで寝てた。仕事なくて休んでたけど、いざベッドの中だと寂しいもんだな。
──病み上がり? 病気?
前に病気持ちだと語っていたことがある。凜太はあのときの寂しげな秋継を思い出し、ぞっとした。
──ただのインフルエンザだ。その後に風邪をこじらせて寝てた。
乾燥棚の茶葉を使って茶を淹れた。それを秋継のアバターへ渡す。お礼に花が帰ってきた。うきうきしつつ、花瓶へ飾る。
──今は大丈夫?
──平気。なんなら出かけられるくらいには元気。
──それならどこか連れてってー!
──正月だとどこでも込んでるぞ。
──カレーとかラーメン食べたい。あんまり箸つけなかったけど、おせち飽きてきた。
──ちゃんと食べないと家元悲しむぞ。
──小言は言われたよ。あ、でも紅白なますは美味しかった!
──渋いな。明後日の予定は?
──空いてる! 明日は春と会うんだ。家に来て挨拶して、一緒にまたおせち食べる。
──さすが婚約者。
──嫉妬?
──まさか。
──ほんとかなー?
アバターをつついてみた。すると向こうは反対側を向いてしまった。嫉妬している動きのようだった。
明後日はカレー日と端末のカレンダーに書いて、アバターとさよならをした。
他には春と秀明からもメールが来ていた。春は春らしく丁寧な文章、秀明は「今年もよろしく」とシンプルなもの。
ふたりに返事をして、凜太は外へ出た。大人たちの酒盛りからは逃げたかった。部屋中がアルコールの臭いに包まれ、いつもの優しい茶の香りが消え失せている。自分の家ではないようだった。
神社へ行くと、鳥居の奥へ人の波が吸い込まれていく。
凜太は踵を返して、違う神社へ向かうことにした。小さな神社で人も少ない穴場がある。
そこで春とばったり出くわした。彼女も考えは同じだったようだ。
「あけましておめでとう。今年もよろしく」
「ええ、よろしく。今から行くところ?」
「うん。振袖よく似合うよ。きれい」
「ありがとう。一緒に行きましょうか」
こちらの神社はほとんど人がいなかった。歩きづらそうな春の手を取って一歩一歩階段を進み、ふたりで鳥居をくぐる。
「ちなみに、今年の願い事は?」
「彼氏ができますように」
「相沢さんとまだ付き合ってなかったの?」
「微妙な関係なんだよね。明後日はふたりでカレーかラーメンを食べに行く予定なんだけど」
「あっきれた。あんな男やめなさいよ」
相変わらず優しい辛辣だ。
「大学生活無駄にさせるの? さんざん遊んで捨てるつもりじゃないでしょうね」
「一応、僕も考えてはいるよ。けど最終的に好きってところに終着するんだ。電車は他へ行けないでしょ? 敷かれたレールを走るみたいに、必ず同じ場所にたどり着く」
「人間の心と電車を一緒にしないでよ」
早口で言い切ると、春は大きな目を閉じて手を合わせた。
長いまつ毛に目鼻立ちがはっきりとし、唇は赤く染まっている。典型的な美少女を通り越した、絶世だ。他の男子生徒から羨ましがられるのはいつものことで、紹介しろなどとしょっちゅう言われる。
やましい感情がないから、こうしていられるのだ。春も安心しきっていて、側にいる。生まれたときから一緒で、家族以上の想いもある。
凜太も手を合わせ、素晴らしい一年になれますように、と曖昧でありながらも誰もがほしがる幸せを願った。神様に委ねたわけではない。自分自身への誓いだ。
「春は何をお願いしたの?」
「特になにも。私には必要ないから。帰りはコーヒーでも付き合ってちょうだい」
「空いてるところある?」
「どこでもいいの。家に帰りたくない気分」
お嬢様の家も同じだ。帰れば愛想笑いを求められ、大人に交じって相応の立ち振る舞いをすることになる。
凜太は春の手を握り、ゆっくりと歩いた。回りと時間の流れが違う。丸くなった枯れ葉はアスファルトの上を駆けていく。追いかけず、春のペースに合わせてカフェに入った。
「あったかい飲み物がいいわ。ミルクティーにする」
「僕も。甘いものが飲みたい。ねえ、フライドポテト食べない?」
「食べる」
こういうジャンクな食べ物は好みだ。量の多いLサイズとミルクティーを二つ注文する。
正月だというのに店内は込み合っている。参拝帰りの客人は次々と入ってきて、席の八割はうまっていた。
揚げたてのポテトを食べながら、ミルクティーをすする。相性は良いとはあまり言えないが、おせちばかりの身体に染み渡った。
「ああ、もう。帰ってこいって連絡が入ったわ」
「あまりゆっくりしてないで帰ろうか。送っていくよ」
「お茶を作っている会社の社長がうちに来るの。本当に嫌。親がお世話になっているからって、毎年よ」
「なにかされるの?」
「私を放そうとしないでずっと横でお酒を注ぐよう促すの」
「なんだよそれ。ただのセクハラじゃんか」
大事な人にそんな扱いをするとは、沸々と怒りが沸いてくる。
「僕、家に入っちゃだめ?」
「全然。むしろ来て」
新年早々行くのは戸惑ったが、婚約者という手前がある。悪い顔はしないだろう。
案の定、春の家族は歓迎した。
「手土産もなくすみません。ちょうどそこで春さんと偶然会ったんです」
「いいのよそんなこと。さあ、入って。お茶を淹れるわ」
春の母親も春にそっくりだ。こぼれるほどの大きな瞳を輝かせ、長く黒い髪を上でまとめている。
玄関先に現れたのは、春の父親ではない男。
春は凜太の腕を掴む。
凜太は例の男だと察した。
「香坂社長、お久しぶりです。こちらは私の婚約者の凜太さんです」
「初めまして」
にっこりと子供らしい笑みを作った。社長の顔は引きつっている。
それだけで来た甲斐があったと、凜太はほくそ笑んだ。
「お母さん、お茶請けもお願い。部屋にいるから」
「はいはい。ちょっと待ってね」
社長を横切り、春に連れられるまま彼女の部屋へ行く。
「あのエロ親父、本当に気持ち悪いんだから。リンがいてよかった」
「僕も来て良かった。危なそうなら来年も呼んで」
少しいて帰ろうと思っていたが、廊下ではうろうろする足音が聞こえる。勝手に部屋には入ってこないだろうが、気味が悪かった。
置かれた立場が難儀なのは、彼女もまた同じである。
痛みを少しでも奪ってやりたくて、凜太は彼女を抱きしめた。
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