大人しい子が怒ると怖い(レオネル)
「いい加減にしてくれませんか?」
呆れと軽蔑が籠る少女の声に、先ほどまで賑わっていた模擬戦会場はシンッとなった。
この模擬戦は国王が命じて騎士団が主催したもので、若い貴族の出会いの場でもあるため大勢の観客が見つめるその先でアイシャは大きな溜め息を吐いた。
「人が我慢していれば調子に乗って」
アイシャがヒールを鳴らして俺に近づいてくる。
石の床をカツカツと叩く高いヒールはどう見ても戦闘には不向きだなんて、そんなことを考えていた。
「それ、貸してください」
「は?」
「それ。どう見ても邪魔な飾りでしかないそのマント、貸してください」
これか、と思って俺も邪魔に思っていた緋色のマントを外してアイシャに渡す。
アイシャの格好、場末の酒場にいる娼婦たちが着ていそうな露出度の高い衣装は戦闘に不向きだと思ったが、俺の格好も人のことはいけない。
サンドラの用意したウィンスロープの威光を見せつけるための衣装は大きな宝石がくっついているし、無駄にひらひらとしていて動きづらくて戦闘向きとは思えない。
「ありがとうございます」
アイシャが器用にマントを体に巻いたことでようやく体の力が抜けた。
深い襟ぐりから覗く瑞々しい肌の艶かしさに、目のやり場に困っていたから。
「私の趣味だと思われたら嫌なので言っておきますが、この衣装は学院長が愛人に用意させたものですから」
愛人はあの人、とアイシャに指差された女性が顔を青くする。
同時に悲鳴が上がってそちらを見れば、学院長が隣にいた奥方に扇子で連打されていた。
「わざとか?」
「全裸よりはマシでしかない衣装を用意した腹いせです。あ、これも借りますね」
そう言うとアイシャは俺の腰に差してあったギラギラと煌びやかな短剣をとる。
実用性のない飾りでしかない剣だが、剣は剣。
「なっ!」
俺が制止する間もなく、アイシャは己の長い髪を無造作に掴んで切り落とした。
会場のあちこちで悲鳴が上がる。
「何をしているんだっ!」
「短い髪は品がないと言われたから伸ばしていたけれど、こんな下品な衣装を喜ぶ輩の品って何?」
鼻で笑うアイシャの手から絹糸のような銀色の髪がスルスルと落ちていくのを呆然と眺めるしかできなかった。
「うんざりなのよ。口答えしても怒られるだけだから黙っていたけれど、私にも感情はあるし口が利けないわけではないの」
アイシャは嘲笑を込めて吐き捨てる。
常に周りの言うことに静かに従っていたアイシャの急変に理解が追いつかない。
「黙っていれば揃いも揃って好き勝手なことをしてくれちゃって」
そう言って笑うアイシャは異様なほどの凄みがあった。
「字が読めないって笑ってくれたけれどいまは読めるわ。剣も持てないって、いつの話? 今では一人で上級の魔物を倒せますけど?」
そう言って微笑むアイシャは美しいカーテシーをしてみせる。
「礼儀作法も言われるままに身につけたけれど、貴族の品がこの程度なら頑張った甲斐はないわね」
アイシャの言葉に会場のどこからか「不敬だ」という声が飛んだがそれも笑い飛ばす。
「敬意がもてないんだから仕方がないでしょうが。そもそも孤児だと私を責めますが、孤児であることも親のかも分からないことも私の所為なわけないでしょう?」
アイシャの目が俺を射抜く。
「男漁りのためにこんな格好をしている? 見当違いも甚だしい。要らないわよ、男なんて」
「アイシャ、余の前で不敬ではないか!」
そう叫ぶ王をアイシャは笑い飛ばした、鼻で。
「不敬の罪で国外に追放でもしたらいかがですか? 私は別に構いませんよ、でも皆さんはどうでしょう」
「き、貴様」
「不敬罪は処刑でしたっけ。スフィンランたち、怒るでしょうねえ。大精霊を怒らせるわけにいかないから大精霊の愛し子は王族と同等以上の扱いを受けられるはずですが、孤児だと例外なんですね」
アイシャの言葉に応じるようにスフィンランたちに殺気が宿る。
そして手始めとばかりに観客たちの持っているグラスの中のワインが凍った。
「ひっ……い、愛し子が王である儂に対してなんて無礼を」
「それなら私ごときに頼らず、ご自身で魔物を討伐してはいかがですか? こういうのをノブレス・オブリージュって言うのでしたっけ?」
「お前は愛し子の責任を放棄するのか?」
「そういう崇高な義務が孤児にあるわけがないでしょう」
「命を惜しむか!」
「普通は惜しみますよね? もしかして高貴な方々は命がいくつもありますの?」
アイシャがわざとらしく驚いてみせると王の顔が怒りで赤く染まった。
そんな王にアイシャはまだ言い足りない様で追撃を始める。
「私を愛し子として扱わなかったのは皆様ではありませんか。それなのに愛し子として力を貸せとおっしゃるのですか? 随分と虫のいい話ですわねえ」
「貴様、この国を守らないというのか?」
「守ってほしいならそれ相応の礼を見せてください、そう言っているのです」
「お前のような小娘に頭を下げろと言うのか?」
「その小娘の力が必要なのでしょう?」
「父上、彼女の言い分は間違っていませんよ」
ふんっと笑うアイシャと怒りつつも何も言えないでいる王の間にヴィクトルが割り込んだ。
「我々は彼女にお願いする立場です。それは彼女に対してだけではない、我々に代わって死地に向かうこの場にいる騎士全員に対しても言えることです」
ヴィクトルの言葉に一時会場は水を打ったように静まり返ったが、わっと歓声がわく。
もう試合どころではなくなった。
アイシャもそう感じたらしく、肩を竦めると後ろにある扉から出ていった。
俺は急いでアイシャのあとを追ったが彼女の姿はどこにもなかった。
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