ラストメモリー
ゆでたま男
第1話
ずっとうつ向いているのは、落とし物を探しているわけではない。
誰とも目を合わせないためだ。
メガネをかけ、しばらく手入れをしていないため、ぼさぼさのおかっぱ頭は、肩まで伸びている。
顔立ちは悪くないが、今だかつて、オシャレということをしたことがない。
トレーナーにジーンズのズボン、底のすり減ったスニーカー。リュックを背負い、手袋をはめた左右の手で左右のショルダーストラップを握りしめ、とぼとぼと歩いている。
歩くたびに、リュックにつけられた人形が揺れる。母からもらった大切な人形だ。
それは、形見の様なものだった。
雫の母は、雫が9歳の時に亡くなった。
手先の器用だった母は、雫ために作ってくれたのだ。
「ねぇ、彼女」
月乃雫が振り向くと、得たいの知れない男が立っていた。金色の髪に、鼻にピアス、ドクロのいかつい指輪。スカジャンの背中に刺繍された虎が吠えている。
「可愛いね。モデルとか興味ない?」
「い、いえ」
雫は、ぼそりと言った。
「君なら、けっこう稼げると思うんだよね、ちょっと来てよ」
男は、雫の腕を引っ張った。
「やめてください」
振り払おうとするが、男の握力に雫の腕力をねじ伏せられた。
「痛ててて」
突然、男は悲鳴を上げた。
見ると、黒いスーツを着た男が、スカジャンの男の手を捻り上げていた。
30代前半くらいだろうか、短髪に、端正な顔で、うっすら髭をはやしている。
声をかけられれば、女性はもれなくついて行くに違いない。
「悪い子だね、女の子がいやがってるのに」
「分かった、分かったから、離してくれ」
スーツの男が手を離すと、恨めしそうにこちらをいちべつして去っていった。
「もう、悪いことすんなよ」
スーツの男は、ズボンのポケットに手を突っ込んで雫を見た。
「大丈夫?」
「あ、はい。ありがとうございました」
「それ、可愛い人形だね」
スーツの男は、リュックを見て言った。
「あ、あの、失礼します」
雫は、顔を赤くして、頭をペコリと下げてその場を立ち去った。
「禁煙した方がいいですよ」
紀瀬徹也が席を立つと、後輩の牧原が言った。
「なんだ、俺の健康を気にしてくれるのか」
「経済的にですよ」
「あいにく、金には困ってないよ」
平日の午後三時。ファミレスは、閑散としている。空席の間を縫って、外に出ると、タバコに火をつけた。
最近はどこも禁煙で、室内ではタバコを吸えない。つまり、煙たがられる存在ということだ。
やつは、現れるだろうか。情報が正しければ、このファミレスによく来ているらしいが。
フィルターギリギリまで吸うと、携帯灰皿に押し付けて火をけした。
中に戻ろうとしたとき、100メートルほど先の自販機に目をとめた。
正確に言えば、自販機の前にいた女性にだ。
見覚えのある風貌。
今まさに、硬貨を入れようとしているところだ。近づいて、声をかけた。
「君は、この前の」
彼女は振り向き、はっとした表情をした。
その瞬間、持っていた小銭がこぼれ落ち、
チャリンと音が鳴った。
「あぁ」
と、彼女は小銭を拾い集め、左手の上で枚数を数えている。
「はい」
徹也は、自分の足下に転がって来た一枚を
彼女の手のひらに乗せた。
その時、彼女の表情が停止した。
そして、呟く。
「黒川信雄」
徹也は、狐につままれたような顔をした。
「何でその名前を知ってる」
さらに、彼女は、驚いた表情で指を指した。
「あ、あの人」
徹也か振り向くと、黒川がいた。
ちょうど、ファミレスに入って行くところだ。
「いいか、ここで待ってろ」
徹也も中に入っていった。
黒川が着いた席は、カウンターだった。
「連続強盗致傷容疑で逮捕する」
テーブルに黒川を突っ伏させ、後ろに回した両手に手錠をかけた。
店内は、何事かと静まり返っている。
「紀瀬さん」
牧原がやって来た。
「車もってくるから、こいつ見てろ」
「はい」
徹也が、外に出ると、彼女の姿はなかった。
「何だよ、待ってろって言ったのに」
ふと、自販機の前に、何かが落ちているのに気がつく。それは、定期券だった。当然名前が書いてある。
「月乃雫、か」
左の内ポケットに入れると、車がとめてある近くの駐車場に向かった。
家に着くと、リュックを下ろし、手袋をとった。
家は、雫が一番心を落ち着ける場所だ。
2LDK。大学生の独り暮らしにしては、広いが、父が残した多額の遺産を、全て受け継いだため、恐らく一生お金に困ることはない。
モフモフで大きなクッションに座って、リュックについていた人形を外した。
握り締めると、手のひらから、母の温もりが伝わってきた。
頭の中に母の姿が映り混む。
雫を愛する想い、暖かさ、母の感情が手に取る様に分かるのだ。
ただ、それと同時に父親に対する、さい疑心も感じる。悲しさ、寂しさの感情だ。
インターフォンが鳴った。
誰だろうか。また、変な勧誘の類いかと、思いきや、モニターに写っているのは、あのイケメンスーツだった。
何でここにいるんだと疑問に思いながら、通話ボタンを押した。
「は、はい」
「月乃さん?」
雫は、面食らった。
「な、何で名前しっているんですか?」
「これ」
画面に定期券が写し出された。
「あ」
急いで財布を見ると、定期券がなくなっている。
「おーい、もしもーし」
「はい、すぐ開けます」
玄関のドアを開けると、にこやかな顔で彼が立っていた。
「はい、どうぞ」
彼は、定期券を差し出した。
「ありがとうございます、では、」
「ちょっと待った」
ドアを閉めようとすると、彼は靴をドアの隙間に挟んでストッパーにした。
「な、なんですか?」
「なんで黒川の名前を知ってたんだ」
「聞き間違えですよ」
「顔も知ってたろ。だから指差した」
「いや、その」
「もしかして、黒川となんか関係あるのか?」
「あるわけないじゃないですか」
「怪しい」
「ちょっと、帰ってください。警察だからって、こんなことして違法じゃないんですか?」
「何で警察だって知ってるんだ」
「あ」
もはや、かんねんするしかなかった。
「中に入れなさい」
「はい」
雫は、渋々ドアを開けた。
「一応、見せとく」
警察手帳を見せられた。
それによれば、名前は紀瀬徹也と言うようだった。
「あの、私はホントに」
「分かってるよ、そりゃ」
「え?」
「君が犯罪者には見えないし」
雫の目は、点になった。
「なら、どうして家にわざわざ上がり込むんですか」
紀瀬は、テーブルの上の個包装されたおかしを手にとった。
中身は、一口サイズのチョコである。
「これ食べていい?」
「はい、どうぞ・・・じゃなくて」
「だってさ、一応捜査情報だしさ。何でしってるのかなってさ、気になるじゃん」
紀瀬は、チョコを口に放り込んだ。
「それは・・・」
雫は、特殊な能力のことは、今まで誰にも言ったことがなかった。
話せば、どうせ変な顔をされるだけだと思っていたからだ。
「実は・・・実は、触ったものに残った記憶を読み取れるんです」
紀瀬は、ムンクの叫びの様な顔をした。
「ちょっと、真面目に聞いてます?」
「それ、真面目に言ってるの?」
「はい」
「いや、信じられない」
雫は、紀瀬の手に触れた。
そして、頬を少し赤くした。
「さっき、スマホでエッチな画像見ましたね」
「あ、正解」
まったく、男ってやつはどいつもこいつも。雫は下を向いた。
「ふ~ん。分かったような、分からないような」
雫は、このおかしな状況を打開しようと試みた。
「で、あの、スッキリしましたか?」
「うん」
「では、お帰りください」
紀瀬は、またチョコを食べて立ち上がった。
「じゃ、また来るから」
そう言って玄関の方へ行く。
「え、いや、来なくていいです」
雫が立ち上がると、玄関の閉まる音がした。
「何なんだ、あの人は」
雫は、うなだれた。
ラストメモリー ゆでたま男 @real_thing1123
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