或る流星について
木村雑記
若宮十流のこと
藤井翔馬の独善
初めてあいつを見た時は、嘘くさい野郎だと思った。
噂になるのも頷ける、それはそれは美しい女みたいな顔。蜂蜜色の透き通った柔らかそうな髪を、ハーフアップというのか、小綺麗に編み込んで中途半端な高さで縛ってまとめていた。今思えばあの頃だってちゃんとそれなりに鍛えてはいたのだろうが、遠目にもいかにも頼りなさそうな細身の身体はその整いすぎた顔立ちと相まって、なよなよしたいけ好かなさを強調していた。
何よりも嘘くさかったのがあの笑顔だ。いかにも『それらしく』、自然に見えるような理想の形を選んで作った微笑を、あいつは常に携えていた。本当は何も面白くなどない癖に、周囲を見下している癖に、『案外親しみやすい良い子のお坊ちゃん』として、自然にそう見られるためにはどのような顔をするのが正解なのか、それを常に探っているような目をしていた。
心底気色の悪い奴だった。
だから走りでボコボコにした。
俺もあいつも陸上選手だった。
あいつは関西出身で、当時それほど強い選手の出ていなかったその地方において久々に颯爽と登場した期待の星で、綺羅星のような男で、まあ前述したようにツラも大層およろしかったので、スポーツ選手のくせにアイドルみたいな人気があったらしい。
だがお気の毒なことに、同じ世代に俺がいた。
俺は関東でまあそれなりに裕福な家に生まれて、それなりに才能にも恵まれて、おそろしいほど走る才能があった。自分で言うのもなんだが、まあツラも大層およろしく産んでいただいたため、ガキの頃から女子にもモテまくったし、それなりの人気者として生きてきた。あいつより上背もあるし、筋肉量など比べるまでもなかった。
だからそんな俺とあいつが並んでよーいドンしたところで、結果は目に見えていた。
初めてかち合った大会で、俺はあいつを含めた他の選手を全員ぶっちぎって優勝した。あいつは俺の遥か後方で辛うじて2位を確保するのが精一杯だったようだ。
お気の毒なことだが、格付けは済んだなと俺は思った。
俺だってそれなりに重圧と戦いながらやってきて、これからもこの重圧を撥ね除けていかなければならないのだ。ちょっとばかし顔がよくて、皆にちやほやされてきただけの井の中の蛙のお坊ちゃんなんざに負けるようでは、この先やっていけない。
女みてぇな顔のあのお坊ちゃんは、俺に負けたことでめそめそ泣くのだろうか。そうやって周囲によしよし慰めて貰うのだろうか。男の泣き顔なんか見たってなんにもありがたくねぇけど、まあ鼻っ柱をへし折られたあの嘘くさい野郎がどんなツラをしているのかは、正直少しだけ見てみたかった。だからといって、わざわざ見に行くほど俺は下品じゃない。これでめげない器があるならせいぜいのし上がってくればいい、その程度に思っていた。
端的に言えば、油断していた。
だから、表彰式だのインタビューだのが終わって着替えに引き上げるそのタイミングを狙って、物陰に引きずり込まれるなんて予想だにしなかったのだ。
「このボケが」
乾いた小気味のよい音と共に、気付いた時には頬を張られていた。
この時ばかりは、さすがの俺も本気で何が起きたのかわからなかった。
なんだこいつ。闇討ち?
目の前で肩を怒らせながら仁王立ちしているのは、確かにあのお坊ちゃんだった。しかしそのお綺麗な顔から、あの嘘くさい模範的な笑みは完全に剥がれ落ちていた。耳まで真っ赤にしたお坊ちゃんは歯を食いしばり、やたら睫毛が長くて大きな目からは大粒の涙がぼろりぼろりと進行形で零れ落ちている。確かに泣き顔が見てみたいとは思ったが、あの演技じみたツラからここまでむき出しの感情が出てくるとは、思わぬ収穫だった。暴力行為まで出てきたのはもっと予想外だったが。
「おいゴラ、ナメとったらいてまうぞホンマに」
「ちょ、ちょっと待てよお前。なんなんだよお前。いきなり暴力かよ、暴力系ヒロインは今日び流行んねえぞ」
「じゃかあしわタコ。頭わいとんのか? 僕の手かて痛いんや何遍も殴らすな。なんなん、嘘やろ、僕ホンマに君みたいなアホに負けたん? 信じられへん、時間巻き戻らへんかな、もう最悪」
思いの外、口汚いお坊ちゃんだった。育ちのいい俺は、これまで聞く機会のなかったヤカラじみた関西弁を理解するのに数秒を要した。それからはっとして、今更のようにぶたれた顔を押さえた。張られた頬が痛むかと思ったが、意外に痛みはもう引いていた。ひょろひょろのお坊ちゃんは腕力も弱いらしい。
不思議と怒りは湧かなかった。
いや、まあ、確かに意味の分からない奴だ。腹立たしいとは思った。
しかしそれ以上に、俺はなぜか高揚していたのだ。
こんな面白い奴には会ったことがなかったから。
嘘で塗り固めたような微笑みも。お上品ぶった仕草も。その何もかもをかなぐり捨てて、剥き出しの感情をぶつけてくる眼前のお坊ちゃんに、俺はどうしようもないほどに興味を惹かれていたのだと思う。
だから自然と手を伸ばしていた。
今にも爆発しそうな怒気を放つお坊ちゃんの生白い右腕を掴む。これまた女みたいに細い手首だった。そもそも骨格からして細いのかもしれない。これじゃ筋肉も付きづらくて不利だろうな。気の毒に。内心でほくそ笑んだつもりが思い切り顔に出ていたらしい。
「触んなや気っ色悪い。何笑ろとんねんボケ、殺すぞ」
お坊ちゃんは、麗しのかんばせを最大限に歪め、信じられないくらいドスの利いた声で暴言を吐いた。
俺はますます高揚してしまった。頭で考えるより早く、口から言葉が出た。
「おもしれー男…。お前、俺の友達になれよ」
左手でぶん殴られた。
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