逆行転生主人公の逆行転生の後始末 進化しすぎた文化を元に戻せ!
一(はじめ)
逆行転生の代償、逆行転生の償い
「お兄ちゃん、罪滅ぼしをしましょうね。これからね」
目の前の少女がハッキリとそう言い放つ。
その声を高撫清真は効いてムッと顔をしかめた。
いきなり何を言うのか。この少女は。この美少女は。
納得できない絶対に納得しないぞ。
何度も歴史上の名のある人物に逆行転生をしている男、高撫清真はそう不満気に唇を尖らせた。
高撫清真(たかなでせいま)という男がいた。
将棋のプロ棋士である。
そして、数多の戦国時代の武将から三国志の武将、果てはジャンヌ・ダルクなど数多くの英雄に逆行転生した人間だ。
数多くの有名人・非有名人に憑依し、清真は大活躍をした。
未来の知識を知っているというのはやはり大きい。その歴史上の人物が犯す失敗を犯さないようにし、成功はさらなる成功を呼ぶようにし、憑依した逆行転生先の人物を全員ハッピーエンドに導いた。憑依先は本来の歴史通りならば不幸になる人間ばかりであったが、清真はそれを幸せに導くことこそが自分の使命と思い幸せになるように全ての努力を行った。歴史上の人物が自分なのだからやるしかなかった。ジャンヌ・ダルクになった時は自分がジャンヌ・ダルクなのだ。ジャンヌ・ダルクが火刑に処せられるのを防がなければ自分が焼かれて殺されてしまう、と必死だった。
プロ棋士として優れた記憶力にある脳内に記憶してあるウィキペディアで読んだ知識を全て使って、憑依した人間を幸せになるように導いた。流石に完璧には覚えておらず、多少の記憶とのズレはあったが概ね記憶通りの出来事が起こったため、記憶を基に対処法を考えることで全ては上手くいった。
清真は歴史オタクである。そのこともあり、逆行転生前から数多くの歴史上の人物の知識を蓄えていた。幸いにも逆行転生した先の人物は清真が好きな英雄ばかりだった。好きな人物になれた、好きな英雄を幸せにする達成感は味わえた。
最初はひとりの人間に逆行憑依して、導くだけだった。
その人物で天下統一の偉業を成し遂げハッピーエンドにした後、現代に帰って来ることが出来た。
役目を終えたからだ。憑依先の人間を幸せにしたからだと清真は本能的に理解した。
しかし、気が付けば二人目の過去の人物に憑依していた。
訳が分からない気分で二人目の人間の人生の再チャレンジを手助けした。一人目も二人目も歴史に名を残した人物であるため、小物であるが、幸せに導くことは出来た。かなりの難しさでとんでもない無茶苦茶をさせられた実感はあるものの出来るものは出来た。
一介の武将から君主まで様々な人物に清真は憑依させられ、ハッピーエンドに導くことを義務付けられた。
文句を言いたかった。不平不満を言いたかったが、おしつけられてしまったからにはやるしかない。
何を言おうとも自分が戦国時代や三国時代の世の中にあって、歴史に名を残した武将の身体に宿っているのは否定できない事実だからだ。
死ぬ気で頑張った。絶対にへまはしないようにして、憑依した人物を栄光と成功へと導いた。
しかし、一つだけ困ったことがある。
暇潰しだ。
戦国武将に憑依しても常に戦ばかりしているというわけではない。暇潰しが必要になる。何もない時間があるのだ、
むしろその時間の方が多かったくらいだ。娯楽が何もないに等しい古の時代でこれは特に清真を苦しめた。
清真にとって出来る暇潰しは一つしかなかった。将棋である。
将棋は戦国時代の日本にもあった。ありがたいことだが、1500年代から1600年代にもある将棋文化の恩恵に預かって、清真は将棋を指すことで暇潰しをすることが出来た。
しかし、とある問題を引き起こしてしまった。無視できない深刻な問題だ。
何度目かに逆行転生した人間を幸せに導いて現代に戻った後、自分のいる時代でいつものように、そして、久しぶりにネット将棋を指して気付いたのだ。
将棋のレベルが上がっている。
プロ棋士のはずの清真はネット将棋の相手のアマチュアに手も足も出ずに敗北した。
これはありえないことである。将棋はプロとアマチュアの間に天と地ほどの差がある競技だ。
自分の腕前が鈍ったのか、と清真は思ったが、その覚えはない。戦国時代で将棋を指しまくっていたのだ。暇な時間しかないに等しい戦国時代のほとんどを将棋で過ごしたのだから腕前が磨かれることこそあれど鈍ることはない。当時の将棋が強い勇士を集めて、研究会まで開いていたのだ。暇潰しに。
そこまで考えて気付いた。清真は馬鹿ではない。数多くの歴史上の悲劇に終わった人物を幸せに導いた知恵者である。
「まさか将棋が進化しちまったのか」
口に出してみてそうだ、と認識する。唖然としてしまった。
あまりにもレベルが上がり過ぎてしまったアマチュア将棋。アマチュアでこれなのだからプロ将棋は推して知るべしである。一応プロ棋士である自分だが、プロの公式戦で一勝できるどころか勝負になる気すらしなかった。
理由は自分の考えが当たりなのだろう。戦国時代で現代の将棋の定跡を指しまくっていたせいで将棋の定跡が進化してしまったのだ。
定跡、とは将棋の基本である指し方だ。この場面で歩を前に出されてたらこちらはこの歩を動かす。ここで飛車が来たら、こちらは金や銀を動かす。そういう基本が将棋には定まっていて、それを磨き上げ、さらに高度な定跡にすることもプロ棋士の大きな仕事なのである。
当然、その定跡を武器に使って戦うのだ。定跡をいくら覚えているかで勝負が決まるのが将棋というゲームでもある。
この定跡は年月が経てば経つ程、進化する。10年前に通用した定跡が今では通用しないなんて珍しいことではない。むしろ、当たり前のことだ。もちろん、ずっと通用する定跡もあるにはあるが。
清真が戦国時代で現代の定跡を指しまくって、棋譜に残してしまった結果、定跡の研究が進み、清真が現代に帰って来た頃には将棋がとんでもないレベルに進化してしまっていたのだ。
それが今、パソコンに向かい合ってネット将棋でアマチュア相手に一勝も出来ないどころか勝負にもならずに弄ばれる自分の現状であると知れた。
「これ、まずいよな」
たしかめるように言ってみてから、ひとり頷く。
まずいに決まってる。将棋文化が異常進化してしまったのだ。自分が過去で、戦国時代で将棋を指していたせいで。
本来の歴史では将棋はここまで進んでいなかった。本来、あるべきところを通り越した進化をしてしまったのだ。
「もしかして俺が何度も逆行転生させられるのはこのせいなのか……」
そう考えれば思い当たる節はある。
三度目か四度目の逆行転生の際に声がしたのだ。
貴方は過去で大きな罪を犯してしまいました。その罪が消えるまで貴方の戦いは終わりません。
その時は何を言われたのかさっぱり分からなかったが、もしかしたらこのことなのかもしれない。いや、きっとそうだ。
高撫清真の罪は将棋文化を異常発展させてしまったことだ。
だから何度も逆行転生に行かされるのだ。戦国時代、三国時代、欧州、米国、イスラム圏、エジプト、オーストラリア。
さまざまな場所でさまざまな英雄になって戦わせられているのだ。
全ての罪は将棋文化を異常進化させてしまったことだ。
それがない一回目の逆行転生は自分が病死するのを救うための神の手助けだったのかもしれない。
一回目の転生を終えて、現代に帰る時に「これで貴方は命を勝ち取りました」と言われた覚えがある。一回目の転生はたしか病院のベッドで気を失う所からだ。おそらく病死したのだ。一回目の転生に赴く前の自分は。
病で落とした命を拾うための逆行転生。命を勝ち取るために功績を挙げたのが最初の逆行転生だったのだろう。しかし、その先で将棋を指したのがマズかったのだ。最初は戦国時代ではなく、三国志の世だったが、関係なく大陸と海を越えて日本にも伝わってしまったのだろう。進化した未来の定跡が。
だから将棋が変になったのだ。進化しすぎでしまって。
ハッキリ言って今の清真の前にある将棋は面白くもなんともない。また戦国時代や三国志の時代に行けば面白い将棋に戻っているのだろうが、現代の将棋は進化過ぎてみんなが上手くなりすぎてつまらない将棋だ。
これを変える方法を清真は思いつかなかった。
どうすればいい。進化過ぎた将棋を元に戻すなどと。
発展した文明を発展前に戻せと言うようなものだ。無理難題である。
進化の波は止められない。清真が将棋を指してしまった以上、その流れを止めることは絶対に出来ない。
そこまで考えてハタと気付いた。
自分が将棋を指さなければいいのだ。過去で。三国志の中国や戦国時代の日本で。
それだ、と自分の発想に頷く。自分が将棋を指しさえしなければ将棋が進化することはない。未来の将棋を過去に伝えることがなければ将棋文化が異常に進化することもない。
だが、口で言うは易し行うは難しである。この解決法は。
まず一番最初の自分。過去の英傑に逆行転生した自分に接触しなければならない。文字通りのタイムトラベルか時を越えてメッセージを送る必要がある。
それが出来たとして第二の難関。
将棋なしでどうやって暇を潰すか、だ。過去に行った自分が。
正直、将棋なしで暇を潰せるとは思えない。将棋しかないのだ。暇潰しは。
紙や木片に歩や飛車、角や銀、金と書いて並べるだけで成立するのだ将棋は。
どの時代、どれだけ文化や化学が未発展の時代でも出来る暇潰しだ。紀元前3000年古代メソポタミアのギルガメッシュ王に逆行転生しても作り上げることが出来て、楽しめる暇潰しである。将棋は人類が生み出した最大の暇潰しなのだ。
ひとり、デスクチェアに座って机に両肘を突き、考え込む。どうやって過去の自分に、一番最初の自分に将棋を指すなと伝えればいいのか。どうやって将棋なしで暇を潰せばいいのか。
三国志や戦国時代の世で暇潰しがないのは地獄もいいところなのだ。曹操なんてメジャーな英雄になったことはないが、曹操になったとしても赤壁の戦いを勝利で終えるより、毎日の暇潰しの方が苦労するとハッキリ言える。そのくらい現代人が過去の世に行くことは地獄の苦痛なのだ。退屈という地獄が襲って来るのだ。
本がない。漫画がない、小説がない。
テレビがない。バラエティがない。ドラマがない。ニュースがない。
アニメがない。ゲームがない。
パソコンやスマートフォンなど夢のまた夢。それくらい現代人が過去に行くのは辛いことだ。
一体どうすれば、と清真は考え込んだ。そこに。
「気付いたみたいだね、お兄ちゃん」
場違いに明るい声がした。甘ったるい響きが清真の鼓膜を打ち、ハッと顔を上げてあたりを見渡す。
声の主はすぐに見つかった。清真の部屋。300万円はする将棋盤の横に小柄な少女が立っている。にこにこと笑顔をこちらに向けて来ている。
「だ、誰だっ!?」
「お兄ちゃんの味方だよ、ふふ」
「味方だって……?」
意味深な含み笑いをする少女。年の頃は10歳か11歳といったところだろう。
いきなり部屋の中に出現したと分かる。清真しかいなかった部屋の中にこの少女はいきなり現れたのだ。
忍者か何かか。戦国の世に行って実際に見知ったことだが、本物の忍者はこのレベルで気配を断ち、突然、現れたように話し掛けて来ることができるのだ。
「私は神様。女神様だよ」
ハッキリと言い放ち、にこりと笑う。挑発するようでいて、煽情的に清真の心を浮つかせる淫乱な微笑みであった。小柄で未発達の胸や腰。子供のボディラインが無性に色気に溢れたものに思えて来てしまう。
そんなはずあるか。相手は子供だ。
神社の巫女服を現代風にアレンジしたみたいな服を着ている。穿いているのは袴ではなくミニのスカートだ。チラ見できる太ももがエロい。ふっくらと膨らんだ胸と相まって魅力が凄まじい。下半身の次は少女の上半身に視線が釘付けになる。
熱くなる自分の感情を自覚しつつ、清真は自制しろ、と自分に言い聞かせた。三国志や戦国の世では名のある武将になったこともあり、妻を一人だけではなく、二人持つこともあった。三人持ったこともあった。それでも調子に乗らないように自制するように努めたのだ。それを今もやればいいだけのことだ。簡単なことだ。簡単……なのだ。
「あれ、お兄ちゃん、私に、よくじょーしてるのー。やらしー」
小柄な妖精の四肢をゆるりふわりと動かして、楽しむように少女が笑った。清真の胸の中の何かが決壊しかけた。「息、荒くなってるね」と追撃ひとつ。荒くなっていた自分の呼吸を初めて認識した。
「お兄ちゃんはとんでもなーく、罪深い存在です。将棋文化をおっそろしぃく進化させてしまいました」
ここぞとばかりに少女が宣告する。清真の罪を。やはり、それが自分の最大の罪なのだと清真は胸の中に振って来る弾劾のガベルの音を聞いた。
「私の名前は華見月(はなみつき)。女神、華見月様だよ」
元気いっぱいに胸を張って少女は――華見月は自己紹介する。動に入った所作であった。お上品であり、それであって、色気がある。スカートのすそをちらりと揺らして、太ももの肌色が目に吸い込まれるようにして飛び込んで来た。
「お兄ちゃん、罪滅ぼしをしましょうね。これからね」
その姿は華麗で優美であり、目を惹かれるものであったが、納得のいかないことはある。清真はムッとして言葉を返した。
「知らない。俺にはそんなつもりはなかった」
「そんなつもりはなくてもダメだよ。人を殺した後に人殺しが罪なんて知らなかったとか言っても通らないでしょ。逮捕されちゃうよ。お兄ちゃんも将棋を進化させまくっちゃったんだから、大きな罪があるの。ゆーざい」
「理には叶っているが……」
たしかに隙のない理論だ。それなら俺に罪があるのも頷ける。
「どうすればいい?」
素直に自分の非を認めて訊ねる。将棋がこんな凄まじいことになっていていい訳はない。
あまりにも進化しすぎて別の競技みたいになっている。少なくとも古い手しか使えない自分は全く楽しめなくなっている。
それどころか将棋のマナーも最悪になっているようなのだ。新聞で将棋の記事や、ニュースで将棋中継を見れば分かる。現代に帰って来てプロ棋士に復帰して関東将棋会館に顔を出し、奨励会(プロ棋士になるために将棋を指す人たちが集まって切磋琢磨しているところ)も覗いてみたが、これが真面目に将棋を追求する場所か、と驚いて、そして、嘆いてしまうくらいに将棋指しのマナーが悪くなっていた。将棋が進歩したことの弊害だろう。おそらくは強い人間が多くなりすぎて驕り昂る者が増えてしまったのだ。
強すぎる相手に勝てる訳がないと開き直り、無茶苦茶な将棋を指す人間も増えてしまったのだ。
「元に戻すしかないね。お兄ちゃん」
とんでもなく大変なことをさらっと言われる。
それは分かる。流石に分かる。
元に戻すしかないだろう。罪の償いとかは別にしても、そうするべきという使命感が清真の中にはある。
伊達に数多くの不幸に見舞われる歴史上の人物を救ってはいない。正義感は人一倍強いのだ。その体験を元に歴史小説を書こうとしているのだが、それはさておき。
「どうやったら戻せる? 華見月」
「簡単だよ、お兄ちゃんが将棋を指さなければいいの。過去でお兄ちゃんが将棋を指したせいで将棋文化がここまで進歩してダメになってるんだから、過去で現代の定跡を披露しなければ、将棋も進歩しないよ」
「それはそうだが……」
言うは易し行うは難し、だ。典型的な。
どうやって過去の自分に将棋を指すなと伝える。これは一回目の逆行転生から将棋を指さないようにしなければ意味がない。全ての逆行転生で俺、高撫清真が将棋を指さない。それをすれば将棋文化も進化することなく、元の鞘に収まり万事解決だろう。
「伝えればいいよ。お兄ちゃんがここから。声が届くようにしてあげる」
解決策は簡単だ、と言わんばかりに華見月が微笑む。小首を傾げてリスのような動作でくすり、と。
本当に簡単に出来るようだ。過去の自分に声を届けるのは。
それなら可能性が出て来る。将棋文化を発展させ過ぎないでいられる可能性が出て来る。今の発展しすぎた将棋をなかったことに出来るかもしれない。
希望の光は見えたのだが。しかし、問題は山積みだ。
「過去の俺に将棋指すって言って聞くとは思えないぞ」
「だろうね」
当たり前、とばかりに頷かれる。頷かれても困る。何も解決出来ないということではないか、それは。
過去の自分が古い時代で将棋を指さなければ将棋は進歩しないで済むというのは机上論に過ぎない。将棋がなければ古の時代、三国志や戦国時代で戦っている自分自身――高撫清真は退屈する。何度も過去に逆行転生してみて、退屈こそが最大の敵だと認識している。三国時代も戦国時代もとにかく娯楽と暇潰しがなさすぎる。現代人にはそれが地獄の苦痛となって襲って来るのだ。
だから、将棋を指したのだ。繰り返すが、将棋ならルールさえ知っていればどんな科学が未発達の地域でも作れる。人類最高の暇潰しが将棋だ。
極度の退屈は人間の判断を誤らせる.。逆行転生した先で間違えずに憑依先の人間を幸せに導けたのも高撫清真が将棋を指していたおかげ、退屈しなかったからと言っていいのだ。
清真とて何人もの歴史上の悲劇を回避して、歴史上の人物を幸せしたのだ。将棋のプロ棋士としての知識もある。それくらいは、分かる。
「将棋指す代わりにこれをやっていればいいんだよ」
悩む清真とは裏腹に、華見月が気楽そうに言うと、部屋の片隅に転がっていた携帯ゲーム機を手に取った。あ、そか、の後、ふざけるな、と思う。
「戦国時代や三国時代にゲームがある訳がないだろ」
「持って行けばいいじゃない」
パンがなければケーキを云々の如く、シレっと言われる。持って行けと言われましてもだな。
「それが出来るかどうかもだし、そもそも将棋指すよりやばいことになるに決まってるだろ。戦国時代とか三国時代に21世紀のゲーム持っていったら」
「だいじょーぶだいじょ―ぶ。何も問題はないから」
全然、大丈夫に思えない。大昔に現代のゲーム機を持っていくことのどこが大丈夫というのか。
「大体充電はどうする。ゲーム機も無限に動く訳じゃないぞ」
さらにこの問題もある。携帯ゲーム機の中に蓄えられた電力を全て使ってしまえばそれでおしまいだ。戦国時代にも三国時代にもコンセントはない。
「あ、それも大丈夫! 私や仲間の女神たちがゲーム機充電出来るようにしてあげるから」
コンセントがないところでゲーム機を充電ってどこかで聞いたことある話だ。馬鹿馬鹿しいと鼻で笑っていた魔法でスマートフォンを充電するみたいな話だ。
逆行転生は携帯ゲーム機とともにってか。
なら、訊ねることがある。ここで見聞きしてくれている読者諸兄は知らない知識を出そう。
「……本当か? 将棋の棋譜みたいにしてくれるのか」
「する。将棋の棋譜は次の逆行転生に持っていけたでしょ。それみたいに出来るの」
ここで言う将棋の棋譜とは三国時代や戦国時代で清真が残した棋譜のことだ。
三国時代や戦国時代で指した将棋の棋譜。同好の士を集めて作った戦術書をこの逆行転生が終わって現代に帰ると失われては堪らないと思っていたところ、天からの声がしたのだ。
その棋譜を次の逆行転生に持っていかせてあげます、と。
棋譜があるのとないのでは暇潰しが段違いだ。それに清真も戦国の世や三国時代の世で研究して解き明かした将棋の奥義を失いたくなかった。
天に棋譜を次に持ち越せるように依頼すると、果たして次の逆行転生で自分が使っている部屋に一個前の憑依先の人間で記した棋譜が出現したのだ。声を出して驚いてしまった。
頼んでおいてなんだが、本当に持って来ることが出来る――――否、届けてくれることが出来るとは思えなかった。
世界と時間を超えて届いた棋譜は一字の誤字もなく正確に一回目に書き記した通りだった。
それから清真は何かある度に天と世界に次に届けれるように居合して実際に届けてもらったのだ。これには大いに助かった。人間が頭の中で脳髄に叩き込めれることなど限度がある。それ以外のことは天と世界が届けてくれるのなら、安心だ。
一回目に届けてくれた次の回から本格的に依頼したものが届くようになったが、それだけに一回の逆行転生人生で勝利確定になるとせっせと筆を振るって紙にこの先のこと・これまでのことを書き記す作業を行う羽目になった。
余計な作業とは言えないが、面倒ではあった。天下人になるの確定した後に書き記すから忙しいことこの上ないのだ。
しかし、これをサボると平行世界や別の時間に届けてもらえなくなる。次の逆行転生人生で苦しむのが目に見えているので清真は必死で書き記した。
このあたりが縁となり、歴史小説作家を目指すようにもなったのだ。歴史を記すのは楽しい楽し過ぎるのだ。
今話すことではないかもしれないが、北条氏政で小説を書くぞ、俺は。実際に氏政になって体験したこと全てを書くなら大ヒット間違いなしだ。北条氏政も高撫清真が逆行転生して憑依した英雄の一人なのである。
当時の自分が経験したことを全てではないがかなりの文量を紙に書き残した。
それらはこの時代――現代の俺にも届けてくれるように頼んである。大丈夫だろう。過去の時代に届いたことはあっても現代に帰って来た後に届いたことはまだないのが不安ではあるが。
「棋譜届けてもらったこと考えてるみたいだね」
華見月の声に顔を上げる。どうやら暫し考え込んでしまったようだ。
「……たしかに棋譜届けるみたいにゲーム機充電できるかもしれないが、ホントに良いのか。歴史が変わったりしないのか。ゲーム機が古代にあって」
そこが何よりも不安なのだ。将棋を進化させてしまった今以上に歴史が混乱してしまったのでは目も当てられないではないか。
しかし、やはり、華見月は華麗に微笑む。うっすら、ゆらりの笑み。
「大丈夫。何も問題はないわ。三国志や戦国時代に携帯ゲーム機が一個あっても誰も解析も分析も出来ないもの。それ一つが遺跡から発見される程度なら影響はないに等しいの。貴方の将棋の定跡と違ってね」
「過去で将棋を指すのが未来のゲーム機を持っていくより重罪とは知らなかったよ」
「仕方がないわね」
ふふ、とやはり揶揄いの表情で肩を傾ける華見月。どこか煽情的だ。こちらの感情を誘うように体をゆらりと横に揺らしている。
その後、大きな瞳でこちらを真っ直ぐに見た。その網膜に清真の間抜け面が映る。
にこり、と静かに想いを孕んだ笑み。
「で、やるの。お兄ちゃん」
問いかけるようであり、確認するようである。その魔性の微笑みに清真は果たして。
「……ああ、やるよ。将棋文化を発達させ過ぎたことを否定する」
ややひよった末に断固として言い切る。将棋文化を元に戻さなければならない。その使命感に燃える心に嘘はない。このどこか信用が置けない女神の口車に上手く乗せられている気はしないでもないものの。
「それをすれば夜見月も倒せるわ。倒さないとね。お兄ちゃんの夢のためにも」
決意を胸にした時、いきなり水を差された。夜見月? だれだ。いきなり新しいワードを出されてしまい戸惑う。
「? 誰だ、夜見月って」
「私の姉だけど、最低なの。お兄ちゃんの夢を妨害しちゃった」
「俺の夢……?」
夢などあるのだか、自分に。戦国時代でも三国時代でも生き残ることと、憑依先の人間を幸せにすることだけを願って生きて――いや。
ある。
あった。
小説だ。
歴史小説。
「……何かされたのか。俺の小説に」
半ば確信の想いを抱きつつも訊ねる。この状況で清真の夢といえば小説しかない。北条氏政歴史小説だ。清真が北条氏政になった時の記憶を元に書き記そうとしている。大量の当時に書いた記録を現代に届けてもらって書こうとしている小説だ。
「はい。これ。ショック受けないでね」
その問いを待ってましたと言わんばかりに華見月はポケットからスマホを取り出し(女神様もスマホ持ってるんだな……)とあるネットのページを開いて見せて来る。
そこには。
「っ……!? これって……」
『北条氏政物語』。著・町橋百合七(まちばしゆりな)。
そう書かれた本が大写しで映っている通販サイトのページだった。発売したのはつい最近のことだ。今の現代の時間から見て、だが。
「これ俺の……」
清真には分かる。清真にだけは分かる。他の誰にも分からなくても俺には分かるのだ。
この『北条氏政物語』という小説。
パクリだ、俺の。
「そうなんだよねー、困ったよね」
今回ばかりは心から同情するとばかりに華見月が言う。
この本、間違いなく俺が書こうとしていた逆行転生時の体験談を元にした歴史小説だ。
華見月から半ばスマホを奪い取るようにすると、お試し読みのページをタップして、内容に目を通す。
冒頭から見覚えのある文章が始まり、そこからも見覚えのある記述ばかりだ。
まるまるパクってやがる。どこのどいつだ。この町橋百合七ってヤツは。
「まさか……」
殺意を込めて目の前の少女を睨んでしまうが、少女は、華見月はとんでもないとばかりに首を横に振って否定した。
「私じゃないよ。夜見月だよ。これ、貴方から小説のネタをパクったのは」
「夜見月って女神なのか」
「そ、そうだよ。流石にマジギレしてるね」
マジギレなんてレベルではない。胸の中で怒りの炎がふつふつと煮えたぎり、マグマの勢いで火山噴火する。怒りの炉心は開いた道を求めてあちこちに炎の渦を飛ばして伸ばし、道行く先の全てのものを燃やし尽くして尚、一向に収まらない超高温の炎が胸の奥から無尽蔵にあふれて来る。
最初に見た時の衝撃から一泊置いた今が最も怒りが激しい時かもしれない。
「くそっ! くそくそくそっ! 俺のネタパクりやがって!」
怒りを乗せた声をあちこちに振り巻き、マジギレの怒号を壁や机に叩き付ける。ビクり、と華見月が体をひるませたのが分かる。
怒るのは分かっていたがこれほどとは、と言ったところか。そりゃあ、俺だって怒る時は怒る、と無意識的に思うしかない。清真は人生でこれまでになかった程にキレていた。
ひとりきり怒鳴り終わった末にデスクチェアの背もたれに背中を預けて息を吐く。全く腹立たしいしい話だ。怒りの炎で燃料全てを燃やしたかと思えば、すぐに燃料が補充される。
俺の北条氏政をパクリやがって。町橋百合七とかいうペンネームのヤツ。夜見月とかいうヤツ。
荒っぽい動作でデスクチェアから立ち上がり、台所に行く。冷蔵庫を開くと高級なワインが大量に顔を覗かせる。買ったやつだ。
そりゃ、プロ棋士だから給料いっぱい貰えてるよね、ということではない。逆行転生して稼いだお金で買ったのだ。
逆行転生で天下人になったことも一度や二度ではないのだ。石田三成では豊臣幕府の執権になったし、当の北条氏政でだって、北条幕府を築いて天下人・北条氏政になった。三国志の時代に逆行転生しても天下人になった。
天下人になって稼いだ数えきれないお金。とてつもない量の財の使い道に迷った俺は天に呼び掛けた。棋譜を次に送り届けるみたいに次にお金を持ち越せないか、と。
返事はノーだ。
大量の財宝があったら次からの自分の逆行転生の――プレイングと言うしかないか――小英雄を大英雄にしてハッピーエンドにする行いが楽になりすぎてしまうからだろう。
いきなり日ノ本一の大金持ち石田三成では天下人になるための難易度が下がり過ぎる。代わりに現代に帰った時に使えるようにしてもらった。その話を通してから一回目の現代への帰還の時は通帳を見て驚いたものだ。0がとんでもない桁数もあるお金が振り込まれていたからだ。
しがない――というと謙遜卑屈で嫌味だが――1プロ棋士ではとても稼げないお金が振り込まれていた。竜王など将棋タイトルを全て征覇しても手に入らないだろうお金が入っていたのだ。
もちろん警戒した。何かの罠ではないかと。誤送金事件なんてあったからな。国の金を誰かに間違って振り込んでしまって数千万円手に入れたそいつが好き放題金を使って逮捕されるなんて事件もあった。
だからこれもそうじゃないかと思ったが、振り込まれたお金の桁数は兆を超える。誤送金でもまず送れなさそうな金額だ。それに、履歴を見ると自分でこのお金を振り込んだことになっていた。全く以て不思議な話だが、いきなり石田三成とか北条氏政になっているよりはマシな話かもしれない。
その使い切れない無限の財で買い揃えたのがこの冷蔵庫の中にある高級なワインたちだ。俺は酒には一家言あってうるさいのだ、結構な。
70年もののワインボトルを取り出し、覚えた動作でコルクを外し、グラスに注ぎ、飲む。
すみやかに透き通った葡萄ワインの涼やかさが喉を癒し怒りを幾分か収めてくれる。
これだけの年物のワインなど本来ならこんな普通の冷蔵庫で保管するべきものではないのだろう。ワインセラーで保管するしかない代物だが、そこは金持ちの道楽で凄まじい無駄と言うしかない愚行を許してもらっている。
俺は数兆円持ちの大金持ちなのだ。これくらいは許される。
天下人になって稼いだお金がすべて現代の俺の銀行口座に振り込まれているのだから。
「そんな保管の仕方でいいの、お兄ちゃん。高そうなワインだね」
「いいんだよ。ったく、腹の立つ話だ。俺からパクりやがって」
自分で頭の中に入れた突っ込みと同じ突っ込みを華見月に入れられるが鼻で笑って自論を押し通す。70年もののワインはさすがに美味い。もういっぱい、と。口の中を満たして喉をうるおす高級品だけが出せる味わいは極上のものがある。
「お金、天に貰ってるんだよね」
「失礼なことを言うな。自分で稼いだお金だ」
「そうだけど現代でしか使えないんでしょ? 次は逆行転生しても使えるようにしてあげようか?」
いきなりのありがたい申し出だった。
次がないといことはありえないと諦めている。どうせ次も誰かに逆行転生して憑依してそいつを天下人にする戦いがスタートするのだ。
「それなら頼む」
「分かった。でも、必要ないかもね」
「なんでだ」
次もあるに決まってるではないか。必要ないことなどありえない、と清真は疑問の目で華見月を見る。
「お兄ちゃんが罪の償いを終えれば二度と逆行転生はしないよ」
「罪の償い。……将棋か」
「そ。将棋を進化させた。その事実を無くして罪滅ぼしをすればお兄ちゃんは二度と誰かに憑依してそのだれかのために全てを尽くすことをしないで済むの。報酬のお金貰えてもやってられないって思っていたんでしょ」
それはそうだ。頷きの代わりにグラスを傾け、朱紫色の高級ワインをぐびり。美味い。
美味すぎる。グラスの中が空になったので追加でボトルからワインを入れる。
真っ昼間から酒なんてとは言わせん。北条氏政パクられたのだ。これくらいしないとやってられない。
そういえば腹が出て来たな。逆行転生している間は元の自分の体なんて知らないから太っていても無理はない話だが。
「あ、お腹は天罰だと思うよ」
自分の腹を見た清真に華見月が心からの親切心だと分かる言葉をかける。
「天罰?」
「少し太ってるよね。それは将棋の定跡を進化させちゃった天罰だよ。お兄ちゃん本来はスマートなのにね」
「そういうことか……」
やはり将棋の定跡を進化させた罪は重いようだ。過去で将棋を指しただけなんて言い訳は通用おしないということか。
「なら、まずは将棋の定跡を進化させたのをなかったことにしないとな」
「酔っ払い状態でやるのー?」
「善は急げだろ」
「急いては事を仕損じるとも言うよ」
矛盾することわざをぶつけ合わせて清真と華見月は視線を逸らさない。
「ま、私は凄い女神様だからお兄ちゃんの声をここから最初の自分自身に送るなんて楽勝なんだけどね」
「そんなことを最初にも言っていたな。ホントに可能なのか?」
「可能だよ。そこは信じて欲しいね、お兄ちゃん」
ふふ、と少しだけ儚い、さみしそうな笑みを浮かべた後、胸をこちらに見せつけるようにして向き直る華見月。くそ、やっぱり色っぽいな。両胸のしっかりしたふくらみにスカートのすそから除く太ももの白い肌色。お人形さんみたいに可愛い癖に肉付きはしっかり良いのだ。
「だが、しっかりと計画を立ててからだ」
魅惑的な少女の美貌に対する照れ隠しの意図もあり、清真は慄然とした声を出した。
「けーかく?」
「最初の俺にメッセージで将棋を指すなって伝えるなり、夜見月ってヤツを倒すなり、ちゃんと順番立てして計画を練らないと。しくじったら取り戻すのが大変そうだ。最初の俺に将棋指すなを伝え損なったら何もかもダメになりそうだしな」
「ふふ、慎重だね。そんなに念入りにならなくてもいいと思うけどな」
人差し指を自身の口許に当てて、華見月が笑う。だが、これくらいは慎重にならなくてはいけない。
戦国の世や三国の世の大乱世で生き抜くために毎回必勝パターンを組み上げて戦うのが高撫清真という人間の逆行転生の生き抜き方だ。石田三成なら石田三成。北条氏政なら北条氏政の成功と失敗を脳内で纏めてシミュレートしてから行動に移すのだ。
「夜見月ってヤツを倒せるんだよな?」
そこの確認を取るのが甘かった。まずは基本的な所からだ。清真の将棋を進化させた罪の償いとは違うが、小説のネタを丸パクリした相手を倒して、ネタを取り戻す。床に転がっているスマホを拾い上げてタップ一つ。画面に再び移ったにっくき北条氏政物語。この文庫本の存在を抹消しなければならない。
「この小説はなかったことに出来るのか? 俺はパクられたネタを取り返せるのか?」
「できる。できるよ。そこも信じて欲しい。その清真お兄ちゃんからパクった小説の存在はなかったことになる。夜見月を倒せばね」
「よし、信じた」
華見月の大きな目。こちらを真っ直ぐに見て、揺るぎない瞳を見て決断する。
大丈夫そうだ。信じるに値する相手だ。戦国の世や三国の世で君主や武将として戦ってきた経験から来る相手の信用を推し量る自信。それが清真にはある。俺から見て信用に値する相手ならば実際に信用出来る。それが事実であるくらいの自信はある。何度も言うが、伊達に何度も逆行転生を成功に導いてきた訳ではない。
清真の言葉に華見月はポカンとした顔をしたかと思えば、口を開く。
「信じて、くれるの?」
「信じるよ。お前は信頼出来そうだ」
「あ、ありがと……」
照れ臭そうに顔を背ける華見月。なんだ。可愛いところもあるじゃないか、と思う。
「じゃ、じゃあ、さっさとやろうよ」
「計画立ててからだって言っただろ」
「そ、そうだったね……」
自分の頭を軽く掻きながら華見月が頷く。少しだけ恥ずかしそうだ。口元を真一文字に結んでむすっとしたような、ふにゃっとしたような唇のそぐさでこちらの声に応じる。
「どうするの」
「それより確実に夜見月とやらを倒せる保証をくれ」
「ああ。それならお兄ちゃんが歴史を修復して将棋の定跡を元に戻す。倒す方法は簡単だよ。過去の自分の夜見月と出会った時にパクるな、って言う。だよ。これを伝えておけば夜見月はパクったことがハッキリと天が知る罪になる。世界の自浄作用でパクりはこの世から消え去るよ。天もパクりは嫌いなの」
「そうなのか」
ならば天は公平ということだ。俺に将棋の棋譜を届けてくれたり、天下人になって稼いだ数えきれない財を現代に届けてくれる。そこは信用しよう。俺の勘でも少し計り損ねるところがるのが天の意思だが。
なにせ、清真は将棋を指すことが罪であると気付いていなかった。
「過去の自分に夜見月と出会った時にパクるな、って伝える、だな。分かった」
キャンパスノートを取り出し、シャーペンでメモする。この手のノートの類を逆行転生先に持っていけないかと天に訊ねたことがあるが、返事はノーだ。
三国時代や戦国時代だと木簡や紙に墨を付けた筆で今後の方針などを書かないといけないから大変で現代のノートとシャーペンを持っていけないかと願ったことがあるのだが、それはダメなようだ。
そのくせ、ゲーム機はいけるのかと疑問に思えてしまうが、記録用具があるのはダメなのかもしれない。
そのことを口に出して華見月に訊ねようとして、
「ん……」
華見月の大きさな瞳がこちらの意図を計るようにジッと見ていることに気付いた。わ、わわ……と華見月が慌てた声を漏らす。
「ど、どしたの」
「……いや。ノートとかの記録媒体は戦国の世に持っていけなかったけど、ゲーム機はいいのか、って思って」
「あ、ああ。それだね」
おっちょこちょいっぽく華見月が笑う。自分の役目を慌てて思い出したかのようだ。
「多分。自由に文字を記せる機能は潰されちゃうよ。ゲーム機も」
「メモを取るのには使えない。本当に暇潰しだけをしろってことか」
「そういうこと。意図が伝わりやすくて助かるよ、清真お兄ちゃん」
ニコっと微笑む華見月。やっぱ、こいつ可愛いな……。
「自由にテキスト書き込むことがウリのゲームは持っていけないと思おうね」
「そういうゲームはダメってことだな。流石に分かったよ」
「念の為、念の為。えへへ」
なんだか上機嫌になってやがる。どうしてだ。
じゃあ、ちょっと待ってろ、と言って清真は部屋の中をひっくり返して探した。携帯ゲームなんて最近はプレイしなくなっているが、昔に買って遊んだものあが大量にあった。
某国民的アールピージーの携帯ゲーム移植版。アクションするゲームやミスrテリーのゲームまで出来る限りの片っ端を揃えた。文明創造ゲームの携帯ゲーム版があったのは嬉しい。これはハマれば数百時間は余裕で溶けていく電脳ドラッグというべき代物なのだ。さらに某歴史ものの大御所が出しているシミュレーションと一季当千アクションゲームも入れておく。携帯ゲームに移植されたギャルゲーも入れておく。
「うわ。こんなに沢山、オタクだねー」
「『だった』、だ。今はやってないゲームばかりだ」
「大して変わんないって。ま、これかであれば戦国時代でも三国時代でも退屈はしなさそうだね。画面、当時の人に見られないようにしてよね。そこだけは気を付けないとまずいよ」
「分かってる。それもメッセージに入れる」
ゲーム機自体は解析出来なくてもプレイ画面を見たら分かってしまうものもあるだろう。極論、某歴史シミュレーションを当時の人に見られたらマズい。
片っ端からゲームのソフトを並べて、形態ゲーム機の周りに置く。華見月の指示で下には風呂敷を敷いてある。
「じゃ、風呂敷の口を締めて。ただし、紙を入れて」
「なんて書くんだ」
紙が必要と聞いてピンと来た。別の逆行転生の自分に前に書いたり、得たりした資料を届けてもらうのにも紙にサインを示す必要があったからだ。
「それはね……」
華見月の言うことを聞き、頷いて、紙にシャーペンで書く。この分ならいけそうだ。
紙を入れて風呂敷の封を締める。これで準備万端のはずだ。
「よし。最初の俺に送るゲームはこれでいい。後は伝えるメッセージを決めて、それで夜見月ってパクり野郎にパクるな、って言うんだな」
「貴方なら過去で夜見月に会えば分かるよ。もう心当たりついてるんじゃない?」
胸を前に突き出すようにして強調して華見月が笑う。その通りだ。
俺には過去になんとなく夜見月という女神みたいな存在に会った覚えがある。その時にパクるな、と伝えるのだ。
俺はやるべきことを全て聞き終えるとノートに過去の自分に伝えることを書き始めた。逆行転生でその人物を成功直前に導く度に次の逆行転生先のために資料を書き記していたのだ。慣れた手順で記述を書き終える。レポートを作成する大学生のノリだ。気分としては。
それくらい何度もやった行為だし、手に馴染んでいる。歴史小説家として成功出来る自信、本当にあるのだ。
「…………」
ノートにシャーペンを走らせるのに一区切り付き、ミネラルウォーターを飲んでいると視線を感じた。華見月がこちらをジッと見つめて来ている。なんだ。
「どうした?」
訊ねると露骨に華見月は同様した。
「う、ううん。なんでもない。全てが終わると私と貴方の縁もおしまいだね」
「そうなるな。といっても大した縁じゃないだろ。今日あったばかりだし」
「そ、そうなんだけど……」
何故言い淀むのかは分からないが、そういうことだ。残念に思う程の縁(えにし)はない。清真はそう判断するとベッドに飛び込んで横になった。
「寝るの?」
「シラフじゃないと流石にまずい。寝たら逆行転生する可能性もあるが、流石に大丈夫だろ。大丈夫だよな」
「それならそれで風呂敷に詰めたゲームと一緒に逆行転生だね」
清真はベッドからやはり起き上がった。逆行転生にいつ行くか分からない。直感では大丈夫だと思うが、寝て過去の誰かに憑依してこの大仕事がお預けになるのは堪ったものではない。
と、ベッドから抜け出すと華見月が不自然な態勢をしていた。
足を前に踏み出し、前かがみ気味の上半身。前に伸ばしかけた右腕。
それはまるで今からベッドに飛び込もうとしていたかのような。
……まぁ、指摘はするまい。
恥ずかしそうに姿勢を戻した華見月に何も言わず清真はノートを広げた。
「それじゃあ、華見月。悪いが、一番最初の俺と接触したい。頼むぞ」
「ま、任されたよ……っ」
「? どうした?」
いきなり舌を噛んだような上擦った声になった少女を訝しんで見る。少女はうつむき加減のジト目をこちらに寄越しながら「名前……呼ばれたから」とぼそり。
ああ、呼んだ。呼んだかもしれないが、それがどうした。
たいしたことじゃないだろうに。
「じゃあ、やるね。一番最初の貴方に繋げるよ」
華見月が精神を集中するように目を閉じる。すると、『繋がった』実感が清真には湧いてきた。これならいける。一番最初の自分に声が届く。
「よし、こほん」
――――う、うわぁ!? なんだ!? こほんってなんだ!? 誰の声だ! ってかここはどこなんだよ!
声が返って来た。一番初めの清真自身だろう。
「よく聞け俺。高撫清真。俺は未来のお前だ」
ノートに記した台本を読みながら、清真は語り始めるのだった。
・
「……これで万事オーケーか」
一番最初の自分に語り終えて、清真は息を吐いた。三時間くらい喋り通しになってしまった。一番最初の逆行転生したばかりで状況を呑み込めていない自分自身に状況を理解させて、将棋を指すなということを伝える。そして、ゲーム機を暇潰しとして届けることを納得させるにはそれくらいの時間が必要だった。清真が本物の(過去の清真から見た)未来の自分だと納得させるのにも時間がかかってしまった。
「……うん。万事オッケーだね」
華見月が相槌を打つ。全ての問題は解決したはずなのにどこか寂しそうで残念そうだ。
「夜見月ってヤツと会った時も念入りにパクるなって言っておけって言ったから大丈夫だろう」
「あれだけ言えば大丈夫だと思う。過去のお兄ちゃん。自分が作家になるなんて夢にも思っていなかったね」
「そりゃあな」
それはそうだ、と言うしかない。本格的に作家を目指したいと思ったのか何回目の逆行転生の時だったか。
「それじゃあ、お兄ちゃんの栄光に乾杯しようか」
「お、祝ってくれるのか。嬉しいねえ」
「ふふ、それくらいはね」
「でも、お前酒飲めるのか? お子ちゃまだろ」
清真の言葉に華見月はムッと唇を尖らせた。不服そうにジト目をした顔をゆらり、斜めに傾ける。
「飲めますよーだー」
そう言うと清真の手元のグラスを奪い取るようにして掴み、一息。
グラスの中の朱紫色の葡萄ワインをコクコクと喉を鳴らして飲み干す。
「あぷ。美味しい……ね」
「呂律回ってないぞ。大丈夫か」
「だいじょーぶだいじょーぶ」
あまり大丈夫そうには見えないが。清真は何も言わず台所に行きもう一杯のグラスを持って来る。
「じゃ、一緒に祝おう」
「うん。それより間接キスだね、ふふふ……」
「そんなん気にしねえよ」
清真の言葉にム、と華見月は口元をへの文字に結んだ。
「気にしてよ、お兄ちゃん。女神が純潔を捧げたのにー」
「関節キスで捧げられる純潔って軽いな」
「あははー、それもそうだねー」
なんだか変なテンションで絡んで来るようになった少女を訝しみ、清真は眉根を寄せた。こいつまさかもう酔ったのか?
「あははー」
頬が赤小麦焼けになり、首元もどこかぽかぽかした赤身を帯びている。巫女服から覗く手とか足とかのふっくら肉のついた肢体もどこか朱色に染まっている。
スカートのすそから覗く太ももの赤みのエロいことエロいこと。
胸も激しく動機している。トクントクン、と小さな胸が巫女服の上着を揺らして振動しているのが分かる。
「さー、もういっぱーい」
「おいこら、待て」
止めるのにも構わず華見月はグラスにワインボトルからおかわりを注ぎ、一気に口の中に放り込む。豪快な飲み方だ。耐えられるのだろうか。
「はいはーい、お兄ちゃん。お酌は任せて~」
にこにこ笑顔でワインボトルを両手で握り、清真のグラスに傾ける。お、おう、と頷いた清真を確認すると朱紫の祝い水を一気に灌ぐ。
勢いが良過ぎてこぼれないか心配だったが、綺麗に注げた。
「はいはーい! かんぱい、かんぱーい!」
完全に酔ってるな、こいつ、と思いながら呆れて盃を掲げる。
ふたりだけの祝杯は小一時間ほど続き、ソファで夢見酒になった華見月をベッドに運んでやると、清真は自分がソファで横になって寝息を立て始めた。
・
「ん……」
どれくらい眠っていただろうか。清真の意識が蘇る。上半身を起こしてみると鈍い鈍痛が前頭部を襲った。あいたたた。飲みすぎちまったな、これは。
参った気持ちでいると体にかかっているタオルケットがずり落ちた。ん? タオルケットなんてかけていたっけ……?
疑問に思いつつ、部屋を見渡す。誰の気配もない。自分一人だけだ。あれ……。
「華見月……?」
どこ行ったんだ、あいつ、と思いながら再度、部屋中に目を向けても、その可憐な姿は確認出来なかった。あれだけの美少女だ。いればすぐ分かる。それくらいの存在感はあった。あの女神様は。
「どこに行きましたか、女神様、っと」
台所のあたりに隠れて身を潜めているとかか。そう思い、足を運ぶもその姿はやはりどこにもない。台所にもなかった。他の部屋を周り、トイレの中から浴室のバスタブの中まで見て回ったのに華の名を名乗った女神の姿はなかった。
「どこにいったのかね……と」
自室に戻って来て、それに気付く。華見月に言われて作った風呂敷一式。ゲームソフトと携帯ゲーム機を入れた風呂敷袋の姿も部屋の中のどこにもなかった。
「泥棒、な訳はないよな」
消えたのだ。風呂敷一式が。
過去の自分。最初に逆行転生した自分などが将棋を指さずに暇を潰すための道具一式が消えている。これは過去に送れたということでいいのだろうか。華見月からそういう説明を聞いている。
「…………」
なんともいえない沈黙に耐えかねてこめかみを右手の親指で突く。二日酔いの頭に経穴マッサージがよく効いてくれる。
無音の中、静かに考える。
やったのか……?
出来たのか……?
過去の自分に将棋を指させないことが。将棋の定跡を進化させることをなくすことが出来たのか。
夜見月とか言う女神に北条氏政小説をパクられたことをなかったことに出来たのか……?
「か、確認だ」
少し焦り気味に歯を噛み鳴らし、デスクチェアに座りパーソナル・コンピュータを起動。
検索エンジンに『北条氏政物語』と打ち込んでクリック一つ。
一秒と経たずに出た。検索結果にそのタイトルの書籍はなかった。
なくなってる!
歓喜の念が胸の奥底から湧いて来る。華見月に見せられた北条氏政物語は大手通販サイトの販売ページにあったものだ。これだけの大手検索エンジンで検索してヒットしないはずがないのだ。ヒットしないということは存在が消滅しているというkとおだ。
念の為、覚えている忌々しい著者名、町橋百合七でも検索したがヒットしたページは0に等しい。
完全に消えている。この世界から消えてなくなっている。
それは間違いなさそうだ。
「よっしゃ……!」
あまりの自然な存在の消失に実感がいまひとつ湧かずに小さな喜びの声を一つ。
「やったぞ、華見月……」
つい振り返ってみるが、そこに巫女服を着た少女の姿はない。
少し、いや、かなり寂しい思いを抱きながらも、ブックマークからネット将棋のサイトに移動する。パクリ小説が消えてなくなったのなら、こちらも戻っているはずだ。
ネット将棋サイト内でルームに入り、対局相手を待つ。
戻っているのだろうか。将棋の定跡も。将棋の進化も。
将棋の対局を待つのでこんなに緊張するのはプロ棋士になって初めての対局依頼かも知れない。将棋の進化が元に戻っているのならアマチュアにプロの自分が苦戦するはずはない。将棋とはそういう競技だ。
平日の朝早かったためか少し待ったが、相手が部屋に入って来た。
早速、対局する。清真の手は将棋の純文学とも言われるオーソドックスな角交換矢倉だ。
数手指してすぐに分かった。相手は弱い。自分の方が遥かに強いと。
定跡通りに指し続けて相手を圧倒し、時には奇抜な一手も交えてすぐさま、相手を詰みに追い込んだ。楽勝、である。本来なら将棋のプロとアマチュアにはこれくらいの差がある。
「ま、まだ分からない……もう一局……」
震える手で次の対局相手を待つ。こちらからも対局を申し込む。
それから五局ほど指したがどれも苦戦することなく勝利することが出来た。
これが当たり前。将棋はそういう競技だ。
しかし、逆行転生から帰って来てからは当たり前ではなくなっていた光景だ。将棋の定跡が進化すぎてプロ棋士の清真でも手も足も出ないアマチュアで溢れていたのだ。
さすがに五局指せば充分だろう。将棋は元に戻っている。
「やったんだ……」
半ば茫然と呟く。そして、再び『北条氏政物語』で検索。結果、ヒットせず。
「俺、やったんだ……」
もう一度呟き実感する。将棋の進化を元に戻した。そして、自分の小説をパクられた事実を無くした。高撫清真の大勝利、完全勝利と言って過言ではなかった。
「やったぞ、俺」
自分に言い聞かせる。とんでもなく嬉しい。嬉しすぎる。
将棋の定跡を戻せた。将棋の進歩を本来のものに戻せた。
パクられた小説をなかったことに出来た。パクりを消し去れた。これで自分で北条氏政を書ける。
将棋の進化が戻ったということは俺の罪も消えたということだ。もう二度と逆行転生されないかもしれない。大昔の時代の古人に憑依しないでいいかもしれない。
ふと思い出し、自分の腹を見る。いつの間にか少し出張ってしまった下腹はおとなしくなり、平らなスマートなお腹から腰のラインを描いている。
何もかもが解決したのだろう。
天罰と言われていた肥満も解消したのなら。パクられて自分より先に世に出された北条氏政小説が消えたのなら。進化した将棋文化が元に戻ったのなら。
そう思えば嬉しい。嬉しい、のだが。
「……華見月」
空になったワイングラス二つを見ると、なんとも言えない寂しさが胸の奥底から込み上げて来るのであった。
・
それから。
高撫清真は将棋のプロ棋士として活躍するかたわら歴史小説を執筆し、北条氏政の歴史小説を出版した。
その作品はこれまでにないリアルな描写に裏打ちされた画期的な歴史小説として話題を集めた。もちろん、プロ棋士が小説執筆をして発売した話題性もある。
かなり売れた。その販売促進イベントの一環としてサイン会を行うことになった。
プロ棋士兼作家という史上類を見ない職業をしているのが清真である。プロ棋士としての多忙なスケジュールの合間を縫って企画された催しは大盛況と言って良い人の入りだった。
そこの。その場所で。
「ふぅ」
清真は慣れない作業に息をつく。色紙や文庫本のページに『高撫清真』とサインペンで書くのには慣れがいる。将棋の駒の並べ方を関東将棋会館で必死に覚えていた時のことを思い出す。
大変だが、これもファンのため。
そうして少し字が汚くなってしまった『高撫清真』を書き終えて、「ありがとうございましたー」と挨拶。
本名で出版した。ペンネームは使っていない。
プロ棋士として知名度はあるのだからそれを利用してやろうという訳だ。
さあ、次の人だ。俺の本を買ってくれてサイン会にまで来てくれるファンだ。一人一人誠心誠意相手しなくては。
このような形式のサイン会では一人のファンと接することが出来る時間など限られているのだが、清真は熱心に一人一人の相手をしていた。
次のファンは女の子のようだ。女の子のファンは珍しい、と思う。
いわゆる『歴女』というヤツだろうか。さて、どう挨拶したものか。
そう考える清真に先に相手が話し掛けて来る。
助かった。やはり話題をこちらから切り出すのは苦手で――――。
「高撫清真先生ですね。ずっと貴方の応援をしていた者です。貴方をずっと見ていました。サイン下さい! ところで、三国志の小説は書かれないのですか?」
そう。思いもよらない再会が清真を待っていたのだった。
了
逆行転生主人公の逆行転生の後始末 進化しすぎた文化を元に戻せ! 一(はじめ) @kazumihajime
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