07

 そんなこと考えていなかった――でも言われてみれば確かにそうだ。先生はわたしと面談して、家に泊めてくれて、ここ数日に限って言えば一番長い時間をいっしょに過ごした人かもしれない。でも賀古さん(もしかしたら矢沢さんも)みたいに具合が悪くなったりしていない。

 先生は首をふり、スマートフォンをしまおうとする。

「咲坂さん、たぶんなんでもいいから、わたしたちを脅かそうとしてる。直接じゃなくても、やっぱりこの人と話したら駄目だよ」

「ちょっと待って、有澤さん」

 賀古さんがそう言ったとき、またスマートフォンが震えた。新しいメッセージが画面にポップアップする。

『どうしてか わかったかな?』

 だれかにげらげら笑われてるような気がして、すごくいやな気分になった。(死ねばいいのに)先生がメッセージを打ち返した。

『咲坂さん、今どこにいるんですか?』

 返事はすぐに来た。

『近く』

 そのとき、コンコン、と硬い音がした。

玄関の方だ。

 わたしたちが顔を見合わせていると、またコンコン、と音がする。だれかがドアをノックしている。

 ブーン……とスマートフォンが震える。

『開けて』

 コンコン、コンコン。

 小さな音は続く。

『開けて』

『開けて』

『開けて』

 わたしたちのうち、だれも動かなかった。動けない。開けてしまったらどうなるのか、咲坂かなえという人と出会ってしまうのか――

(死ねばいいのに)

 まただ。頭の中でなにかがそう呟いている。ノックとメッセージはまだ続いている。

『開けて』

『開けて』

 同じメッセージが続いたあと、急に違う文字列が送られてきた。◯◯県××市……住所みたいだ。そのとき賀古さんが「太一」と呟いた。紙みたいに真っ白な顔をしていた。

「太一くんの?」

 先生が尋ねると、賀古さんは壊れたおもちゃみたいに何度もうなずく。そして、

「ごめん」

 そう言うと、急にどかどかと足音をたてて歩きだし、ぱっと玄関のドアを開けた。

「きゃっ」

 外から高い声が聞こえた。

 ドアのすぐ横に、幼稚園の年中さんくらいの、小さな女の子が立っていた。

 全身の力が抜けた。隣の部屋に住んでる子だ。何度も見かけたことがある。

 そういえばさっきからそのへんで子どもの声がしていたな――と私は思い出す。この辺の子たちは、小さな子でも親なしで集まって、近くの公園で遊んでいることが多い。そうか、背が低くてインターホンに手が届かなかったから、ずっとドアを叩いてたんだ。でも、何の用だろう?

 女の子はすんでのところでドアにぶつかりそうになったのを避けたみたいで、びっくりしたのと泣きそうなの、半々みたいな顔をしていた。

「……どちらさま?」

 賀古さんがけげんな顔でたずねた。

「賀古さん、その子、お隣さんとこの……」

「美鈴さんの?」

 女の子はわたしの顔を見ると、ほっとしたような顔をした。

「あのね、これさっき下でね、いずみさんとこにわたしてって」

 そう言って女の子は、わたしにビニール袋を押しつけた。なんの変哲もない、小さなサイズのレジ袋で、コンビニのロゴが入っている。

 一体なんだろう、受け取っていいものなんだろうか――そのとき、先生が「ありがとう!」と割り込んできて、女の子の手からレジ袋をひったくるように受け取った。白いビニール袋の中から、じゃらっという音がした。

「はい、泉さん」

 先生はレジ袋をわたしの手に押しつけ、女の子にはニコッと笑いかけながら「どうもありがとう」とお礼を言った。つられてニコッと笑った女の子に「もういいよ。ちゃんとお使いできてえらかったね」と言いながら、玄関のドアを閉めようとする。それを賀古さんが「ちょっと待って」と止めた。

「あの、先生……これ何ですか?」

 わたしはビニール袋を開けながらそう言った。中には百円玉が何枚も入っていた。

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