02

 おばあちゃん家に来てよかったのは、前いたところよりちょっと涼しいところだ。「一昨年ようやくエアコンをつけたのよ」なんておばあちゃんが言うくらいで、朝や夜なんか半袖のTシャツ一枚だと肌寒いくらいだった。こんな気温ひさしぶりだ。

 それでも書斎は暑い。書斎というかおじいちゃんが生前使っていた部屋らしいけど、亡くなった後ももう何十年も片付けず、そのままになっているらしかった。古いけど小説がたくさんあって、暇をつぶすにはここに来るのが一番よかった。

 なにしろ、おばあちゃんの家って異様に電波状況が悪い。一応パソコンはあるけど、インターネットには有線でつながっていて、Wi-Fiもない。だから家でやってたみたいに、ダラダラ動画を見るみたいなことはなかなかできない。まぁでも、そうでなきゃ勉強なんて全然やらなくなっちゃったかもしれない。

(学校、どうなるんだろう)

 今は八月だけど、ちゃんと夏休み中に元の家に戻れるんだろうか? もしもお母さんが「ずっとここに住もう」って言い出したら、わたしはこっちの学校に通うことになるんだろう。

 そしたらもう、賀古さんには会えなくなる。連絡先も知らない、住所もわからないのに、住んでいる場所も遠くなってしまったら、本当にもう一生会えないかもしれない。

 でも「いつあっちに戻るの」なんて、とてもお母さんに聞ける感じじゃなかった。


 その日の昼、書斎から古い推理小説を持ちだしていると、玄関の引き戸がガラガラっと開くところに出くわした。おばあちゃんの家があるあたりではよくあることで、お客さんが勝手にドアを開けて、それから「こんにちはー!」なんて声をかけてきたりする。

 今、玄関に立っているのは叔母さん――お母さんの妹だ。

「あら、あきちゃん。お母さんいるぅ?」

 この場合「お母さん」というのは、叔母さんのお母さん(つまりおばあちゃん)のことではなく、わたしのお母さんのことだ。

「います。奥の部屋に」

「ちょっと様子見にきたのよ。ねぇ聞いたよあきちゃん、大変ねぇ。あたし、お義兄さんがそんなことする人だと思わなかった」

 ははは、とわたしはつい曖昧に笑ってしまう。こういう適当なリアクションってよくない気もするけど、でもほかに返し方がわからない。お父さんのことを悪く言ってもいいのか、わたしはまだよくわかっていない。頭ではひどいことをされたってわかっているけど、心の方が、なんていうかストンと来ていない。

「困ったことがあったら、叔母ちゃんやお祖母ちゃんに言いなさいよ。お母さんはまだおつかれだと思うからさぁ……ああ、あと颯太そうたも心配してたよ」

 颯太――一個上の従兄だ。お母さんの方が結婚は早かったけど、妊娠したのは叔母さんの方が早かったって、お母さんが言ってたっけ。

 颯ちゃんか。そういえばいつから会っていなかったっけ。明るくて得意なことがいっぱいあって、悪いやつじゃないんだけどちょっと苦手なタイプで、だから小さい頃のまま「颯ちゃん」なんて呼びつつ、あえて連絡をとったりはしていない。

「颯ちゃん、家ですか」

「ううん、学校。あいつ陸上部なんだけど、ほとんど毎日部活に行ってんのよ」

 叔母さんはそう言いながら、不思議そうな顔でわたしを見る。

「いつからあたしに敬語使うようになったんだっけねぇ、あきちゃんは」

「だめですか?」

「ううん、大人になったのねーって思っただけ。背も伸びたし、きれいになったよねぇ。うちは美人の家系じゃないけど――」

 叔母がふっと黙った。きっと「あきちゃんはお父さん似だから」って言いそうになったんだろう。自分ではよくわからないけど、叔母さんやおばあちゃんに会うと、よくそう言われるから覚えている。

 わたしの顔がお父さんに似ているのだとしたら、お母さんはわたしの顔を見るたびに、お父さんのことを思い出してしまうのかもしれない。それがいやで、部屋に引きこもっているのかもしれない――

 そんなことを考えたけど、叔母には言えなかった。


「姉さん、引きこもりっぱなしはよくないよ。あきちゃんが心配するじゃない」

 そんなことを言いながら、叔母さんはお母さんを部屋から引っぱりだしてしまう。

「ちょっとショッピングセンターに行ってくるわ。あきちゃんにも何か買ってきてあげる」

 そんなことを言いながら玄関を出て行った。わたしはそれを見送りながら、悪いけどちょっとほっとした気分になっていた。

 だれもいなくなった廊下で、ふとハーフパンツのポケットに手を入れてみた。

 ネチョッという感触がした。

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