第10話 心の棲家

 アダムは泣きじゃくるイカルを抱えながら、ワーカーが手配した自動運転車が待つ大通りへと急いだ。彼は、意図的に林の中の暗い道を選んだ。ルナシティの至る所に設置された監視カメラから身を隠すためだ。


 それにしても……と、アダムは思う。


 被害者の少年が命を落とす直前、イカルは彼と何をしていたんだ?


 あの少年の殺人現場が、監視カメラのない林の中だったのは不幸中の幸いだった。

 だが、カーニバル会場のすべての監視カメラを確認すれば、被害者の少年とイカルの姿がどこかに映っているかもしれない。イカルに帽子を深くかぶらせていたのは正解だった。それでも不安は残る。


 現場の状況や、イカルの手にはなかった硝煙反応から考えれば、イカルが犯人である確率は薄い。……が、彼女の中にいる別人格のハーヴィという少年に関しては、未だによく分からない。


 大通りに停められた自動運転車が視界に入ると、アダムは自分のジャケットを脱ぎ、イカルに着せた。人目につく場所では、イカルの姿を目立たせたくなかったからだ。


「イカル、今だけでいいから泣き止んで、普通にしていてくれ。せめて、俺たちが車に乗りこむまで」


 すると、イカルがぴたりと泣くのを止めた。


 自分の声が、イカルの中の誰に届いたのだろうか。

 イカル本人か。カナリアか、ワーカーか? ハーヴィではないだろう。ならば、小さな子どもか?

 けれども、アダムは彼女と一緒に落ち着いた様子で車に乗り込んだ。彼らがカーニバルから帰る二人連れのように見えるふりをしながら。


*  *


 車に乗り込むと、アダムはカーナビも含め、すべての自動運転をオフにして、ハンドルを握りしめた。

 デジタル化が進んだルナシティ警察の追跡網は、アナログには意外に弱い。

 そして、高速道路を避け、山中の隠れ家であるホテルへと続く人気ひとけのない裏道を選んだ。


 山道に入ると、ルナシティの眩い光から逃れるように、アダムはスピードを上げた。

 曲がりくねった暗い道をひたすら進む。雑木林が消え去り、イカルの継母が命を落とした崖に差しかかった時、遠くにルナシティの摩天楼の夜景が見えてきた。

 すると、今まで静かだった後部座席のイカルがまた泣き始めた。


 しかし、アダムは車を止めることなく、走り続けた。



*  *


「イカルさま、どうされました? もしかして、カーニバルで起きたことが怖かったの?」


 ホテルの通用口から中に入ると、泣いているイカルを見つけた若いメイドが慌てて駆け寄ってきた。彼女たちは情報通だ。ルナシティのカーニバル会場で起きた殺人事件のニュースは、とっくに耳に入っていた。

 好奇心と同時に、動揺している顔つきのメイド。アダムは、彼女に肩をすくめて見せた。


「そうなんだ。警察とマスコミが押し寄せて、カーニバルはめちゃくちゃだ。イカルが怖がってしまって、泣き出して……仕方ないので早めに連れて帰ってきたんだ」


「まぁ、あんなに楽しみにしていたのに……可哀想に。一緒に付いていったマネージャーも大変だったでしょう。お部屋に暖かい飲み物をお持ちしましょうか?」


「ああ、頼むよ。とりあえず、二階の俺の執務室に持ってきてくれ。イカルの好きな焼き菓子を置いてあるはずだから」


 普段はクールな彼に微笑まれて、若いメイドは舞い上がった。

 

 デビッド・ラカムと名乗る、この青年の詳しいプロフィールは分からなかった。ただ、彼はスラムに詳しく、このメイドも含め、働きたくても職が見つからなかったスラム街の若者をこのホテルで雇ってくれた。

 彼は、このホテルのオーナーであるイカルの親からの依頼で、両親が不在の間、このホテルの経営を任されているらしい。

 だが、マネージャーというわりには、年も若く、切れ者で、浅黒い肌と甘いマスク。少し危うげな雰囲気を持つ青年は、メイドたちの心を妙に引きつけていた。


「は、はいっ、すぐにお持ちしますねっ」


 そう言うと、メイドは張り切って、キッチンへ入って行った。


* * 


 一方、イカルを連れて二階へと階段を上がっていったアダムは、ソファに座ったイカルを見て、どうすればいいかと顔をしかめた。


 おそらく、今、イカルの心を支配しているのは、恐怖や悲しみを引き受けてくれる小さな子供だ。そうでなければ、あんな凄惨な殺人現場に居合わせた彼女の精神は壊れてしまっていただろう。


 しかし、イカルの全ての痛みを引き受けて泣いている小さな女の子……か。膝を抱えて泣いている子どもの姿を想像すると、アダムは居たたまれない気分になってしまった。

 アダムは自分もソファに座り、イカルを膝の上に乗せると、背中から彼女をそっと抱きしめた。

 震える肩に手を触れた時、連続殺人犯リア・バリモアを捕まえた時のジュリエットの言葉がふとアダムの頭をよぎる。『私の指にあなたの心が伝わるのよ』と。


 あの夜、歌った歌をアダムは思い出し、静かにそれを口ずさんだ。



 What my finger touches

(私の指が触れるのは)


 The secret home of her heart.

(彼女の心の秘密の棲家)



 すると、イカルが、アダムの手の上に、そっと頬を寄せてきた。手のひらに少女の涙が落ちた時、アダムは再び静かに歌い始めた。



What my finger touches

(私の指が触れるのは)


The secret home of her heart.

(彼女の心の秘密の棲家)


My song is soft

(私の歌がやわらかに)


Continue to sing her life

(彼女の人生を歌い続ける)


(inviting to a friendly house

 (優しい住家に誘いながら)


 Heal her heart

 (彼女の心を癒してゆく)



 アダムがそっと銀の髪を撫でると、イカルは泣き止み、やがて穏やかな寝息をたてだした。


 しんと静まり返った部屋に、波の音にまぎれた夜鴎よるかもめの声が響いている。

 イカルを膝に抱えたまま、しばらくそうしていると、突然、イカルが目を開いて、アダムに言った。


「ねぇ、アダム、私の話を聞いてくれる?」


「……カナリアか。分かってる。俺もそうしないといけないと、思っていたんだ」



 

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