第4話 誰がカナリアを殺したか

 イカルは、アダムが投げ与えた駄菓子がいたく気に入ったようだった。


「もぐもぐ、これ、美味しい! ルナシティの高級菓子店、エゴイティストの”アントルメ・ケーゼ・ザーネトルテビスコッティ・イルプロッシモ”より、こっちの方がしつこくなくて、全然いいや」


「エゴイティストの”アントルメ・ケーゼ・ザーネトルテビスコッティ・イルプロッシモ”? それ、菓子の名か。食べる前に舌を噛みそうだ」


「へえっ、驚いたな。これまでで、この名を一度で覚えて言えたのは、アダムだけだよ。すごいなー、賢いなー」


 白々しい。こいつ、わざと長ったらしく、しゃべって人をからかってやがる。こんな高慢ちきな会話はさっさと止めて、部屋を出て行ってしまいたい。けれども、上司の命令が頭をよぎった。


 ”殺人の容疑がかかっている後妻 ― 彼女が転落死の前に、義理の息子にかけた電話の内容を聞きだせ”


「それは、スラム街の近くのデイブレイク駅で売ってる焼き菓子だ。お前みたいな坊ちゃんのお口には、到底合わない安物だよ」

なのは分かるけど、これは美味しいよ。でも、スラム街って、すっごく怖い所だって聞いたけど」


 相変わらずの人を食った物言いのイカルに苛立ち、アダムはわざと凄みのある声音で言った。


「ああ、奥まで入れば、生きて戻れる保証は、俺にはできない」


 少年は乾いた視線を若手刑事に向ける。

 瞳の色は、湖の底のごとく深く冷たい青。


「ふぅん、そうなの」


 その顔に、駄菓子を頬張った時の無邪気な表情はすでになく、瞳の奥に蠢いている心の揺れは少しも読み取ることができない。


 この子供は変だ。不意に感情が欠落する。

 

 すると、イカルがまた問いかけてきた。


「スラムでは、人がたくさん殺されるの?」

「どうして、そんなことを聞く」

「だって、ここでだって、人が死んでるから」


 イカルから殺人事件の話題に触れてきたことに、心がはやる。後妻からの電話の件を聞き出す好機は今なのかもしれない。

 ……が、まだ、止めておけと、理性こころが働きかけてきた。

 ぴりぴりと感じる警戒心。それが溶けぬうちは、電話の話ナイトコールを出したとたんに、この子供は心を全部閉じてしまうぞと。


 アダムは、わざと話題を変えてみた。


「鳥籠のことを聞いてもいいか」

「鳥籠? ああ、あれ、カナリアが入ってたんだ。すごく可愛がってたのに、今朝、鳥籠の中で死んでたの。だから、籠と一緒に海に捨てたんだ」

「片羽をもがれてたな。猫にでも襲われたのか」

「ううん、違うよ」


 ”あの鳥を殺したのは、イカル、お前なのだろう”

 ”羽根をもぎって。美しく鳴いていた咽喉を締め上げて”


 真っ暗な空を舞う、カナリアの黄色い羽根の軌跡が、脳裏にまだ残っている。

 声に出すのは胸糞が悪すぎる。イカルは、そんな刑事の顔を見て微かに笑った。


「僕のカナリアを殺したのは、あのひとだよ」

「あのひとって」

「僕の義母ママン

義母ママンだって、なぜ!」


 イカルはバルコニーの向こうに見える暗い海に目を向けた。深夜の海には、明かりの一つも浮かんでいない。


「最初はとても優しかった……僕のカナリアを素敵ねって言ってくれて。けどね、あのひとは……」



  ― 僕のことが、嫌いだったんだって ―



*  *


 継母が義理の息子を嫌っていたとしても、そんなことは古今東西のお約束だ。それでも、子供が可愛がっていたカナリアの羽をもぎって、死なせてしまうとは、かなりヒステリックな話じゃないか。


 アダムは上目使いに、少年の表情をうかがう。

 すると、イカルはぷいと横を向いてしまった。……が、思い直したように向き直り、耳元にかかった髪に手を触れて言った。


パパはこの銀の髪がお気に入りで、いつも優しく、ぼくの頭をなぜたくれた。そして、言うんだ。イカルは天使だ。自分が年を取って天へ召される時には、天使が傍にいて欲しいって。そしたら、パパは天国に行けるんだって。あのひとは、それをすごく怖い目をして睨みつけてたんだ」


 イカルの少しウェーブのかかった銀髪は、宗教画の中に描かれた天使のようにまろやかで美しい。義母でなくても、女性なら嫉妬してしまうのも無理はないなと、アダムは思う。それでも、疑問はまだ残る。


 二番目の妻の夫殺しの理由は、息子を溺愛しすぎる夫をうとんでのことか。それとも、自分の手にかけることによって、夫を独占するための最終手段か。


 愛用の加熱式タバコに火をつけると、アダムはそれを口にくわえた。脳裏に沁みる独特のポップコーン臭が逸る気持ちをなだめてくれる。


 違う。それだけじゃない。この事件の背景にはもっと暗い闇がある。土足で踏み込むには危険すぎる心。けれども、今を逃すともう後はない気がする。


「イカル、聞きたいことがあるんだ」

「……なに?」

「言いたくないことなのかもしれないが、俺に教えてくれないか。お前の義母ママンが、車で崖から転落する前にかけてきた電話のことを」


 ほんの一瞬の沈黙があった。


「……教えてあげてもいいけど、それなら、アダムのことも教えてよ」

「俺?」

「うん。交換条件だ。たとえば、え~と、アダムのお父さんってどんな人?」


 今度はアダムが沈黙する番だった。

 ……が、


「俺は父親なんて知らない。会ったこともない。母親がどっかで会った行きずりの男じゃねぇの」

「へ……え、そんな人の子供でも刑事になれるんだ」


 この、クソガキ!


「お前な、口に気をつけないと、いつか、ぶっ殺されるぞ」

「あはは、スラム街の中みたいだ」

「……俺はそのスラム街出身だよ」


 へえっと、イカルの瞳が好奇の色に光るのを見て、アダムは後悔した。これ以上、根掘り葉掘り聞かれるのはご免だ。


「もう俺の話はいいだろ。交換条件だ。今度は、お前の義母ママン電話ナイトコールのことを話せ」


 イカルはまた黙り込んでしまった。いや、言い淀んでいるといった方がいいのかもしれない。すると、


「ねえ、アダムのくわえてるのって、タバコ? 僕もまだ、口がさみしいんだ。もっと、あのお菓子、持ってないの。お腹が空いたよ」


 こいつ、はぐらかそうって魂胆か。しかし、ここで焦りは禁物だ。

 アダムは仕方なしに上着の内ポケットを探ってみる。

 その時だった。イカルが突然、ソファから立ち上がったのだ。


「ねえ、そのアダムの首にある赤いのって、何?」

 

 突然、襟元に伸ばされたイカルの手。それを、アダムが振り払った瞬間、はだけた彼の襟元に、赤く引きつった扼頚やっけいあとがさらけ出された。


 6歳の時に母に首を絞められ、ずっと消えない負の烙印が。


「アダム……それ、どうしたの」


「知らねえよ。交換条件じゃなかったのか。今度、質問に答えるのは俺じゃなくて、イカル、お前の番だろ」


「でも、パパの首にも、それと同じような赤い痕があったんだ」

「お前っ、父親の死体を見たのか。そんな話は聞いてないぞ」

「だって、あのひとがぼくに電話ナイトコールをかけてきたから」

「だから、教えろってんだよ。その電話の内容を!」



 *  *


― イカル


 あなたに、私の罪を伝えたくて、この電話をかけています。

 でも、後悔はしていない。

 あの人の最後を看取ったのは、”私”


 それをあなたに、伝えたかった ―



 何て母親だ。夫を殺害しただけでなく、子供に……しかも深夜に、こんな当てつけがましい電話をかけるとは。

 やはり、2番目の妻によるエバンス氏の殺害は、夫に溺愛された義理の息子に嫉妬して、夫を独占するためにやったことだったのか。


 IQOSアイコスをふかしながら、考えこむアダムを斜めに見ながら、イカルが言った。


「アダム、ぼく、そのポップコーンみたいな匂いは嫌い。タバコを吸うなら、バルコニーに出て吸ってよ」

「うるさい。慣れろ」

「ちょっと、それ、刑事が子供に言っていい台詞?」

「なら、お前がバルコニーに出ればいいだろ」

「嫌だよ。ぼくは、そのバルコニーも大嫌いなんだから。二年前にぼくのママン……本当のママンがそこから海に落ちたんだ。それでね、おまけに、もう一つ教えてあげると、。長かったぼくの銀髪を切ったのは母。可愛がっていたカナリアを殺したのは二番目の母。ひどいよ。何で、みんな、ぼくを嫌うんだろう」


 ぼく、何も悪いことなんてしてないのに……ね。


 イカルの告白めいた台詞に、アダムは少なからず、衝撃を受ける。

 

 なぜ、この子供イカルはそこまで、母親たちに疎まれた?


”イカルは父親の天使。父親はイカルの銀の髪が好き。父親は自分の死に際は、天使に傍にいて欲しいと言った。そして、前の母親はイカルの銀の髪を切り、次の母親は、夫の死を看取ったのは私と、イカルにこれ見よがしの電話をかけてきた”


 どう考えても嫉妬。


 明らかに息子イカルへの泥沼の感情が、この背景には渦巻いている。


 暗い闇の中を垣間見た気がして、アダムは気分が悪くなってきた。


「……イカル、お前、父親パパのことは好きだった?」

「……」

「イカル?」


 不意に目の光を失い、無表情になってしまった子供。新米刑事アダムは、胡散臭げに彼を見ると、もう一度、その名を呼んだ。


その瞬間、イカルの青の瞳が大きく見開かれた。


「パパからキスされた。毎晩、キスされた。銀の髪を優しく撫でながら、パパはイカルは天使だねって、いつも笑って抱きしめてくれた……でも、パパのキスは嫌い……とても嫌い」


 なぜと、聞いてしまってから、アダムはどうしようもない焦燥感に駆られる自分を抑えきれなくなってしまった。


 下衆ゲスが……父親が子供を手にかけやがって。


 イカルは言った。


「パパのキスは嫌いだった。だってね、パパが毎晩、してくれたあのキスは、パパがママにするような……」



 本当のキスだったから。



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