掛け違いのボタンのように

日和崎よしな(令和の凡夫)

第1話 花びらのように舞い込む依頼

 とある中学校、とある教室の昼休み時間中のこと。


 黒縁眼鏡をかけた三つ編みオサゲの少女は、人形のようにまっすぐな姿勢で文庫本に視線を走らせていた。

 ブックカバーをかけているため、本のタイトルは外からは見えない。


 彼女は早怜はやとき真実まみ。プリンと謎解きが好きなおとなしい少女である。


 地味で謎の多い彼女には、とりたてて懇意にしている友人はいない。

 しかし最近は、彼女の非凡な性質に気づいた同級生が頼み事をしにくることがある。


「ねえねえ、早怜さん。いまちょっと大丈夫?」


 そう、こんなふうに。


 今回、読書中の早怜真実に声をかけてきた生徒の名は夏瀬なつせたまき。ウェーブのかかったつやのある長髪が魅力的な女の子だった。


「大丈夫です。何でしょう、夏瀬さん?」


 早怜真実は読んでいたページのページ番号を確認してから本を閉じ、夏瀬環の顔を見上げた。


「あのね、実は、早怜さんがプリン探偵だという噂を聞いてね……」


 早怜真実は、彼女のことを知る者からはプリン探偵と呼ばれていた。

 依頼料としてプリンを差し出せば、探偵のように何でも解決してくれる。


 早怜真実は心の中でため息をついた。

 プリン探偵の噂というのは、いったいどの範囲まで広まっているのやら。彼女自身は自らプリン探偵などと喧伝したことはないし、依頼の募集もしていない。

 単にプリンの誘惑に負けてお願いを聞いてしまうだけなのだ。


「つまり、私に何か依頼をしたいということですか?」


「そう! 先日ね、あたしが恋のキューピットとして、とある二人の仲を取り持ったの。その二人っていうのは、うちのクラスの館池たていけさんと石葉いしば君なんだけど――」


 早怜真実は今度こそは断ろうと思っていたが、夏瀬環が依頼内容を話しはじめてしまった。

 タイミングを逸してしまった。

 話を聞きおえてから断ろうと思いなおし、とりあえず依頼人の声に耳を傾ける。


「あたしはどちらとも仲がいいんだけど、二人ともお互いに片想いしているみたいでね、もどかしいからくっつけてやろうとお膳立てをしたの。そしたら数日後、二人は喧嘩したみたいによそよそしいし、あたしにまで素っ気なくなっちゃって。それでね、納得がいかないから二人に何があったのかを早怜さんに突き止めてほしいの」


 夏瀬環が早怜真実にグッと顔を近づけた。次の瞬間には手を握ってきそうな勢いだ。


「ちょっと待ってください、夏瀬さん。私はまだ引き受けるとは言っていません。それなのに、勝手に二人の秘密を私に話さないでください」


「え、プリン探偵って依頼を断ることあるの?」


「もちろんです」


 どうやら噂が独り歩きしているらしい。

 早怜真実は必ずしも依頼を受けるわけではないという実情を知らしめるために、その実績を作るいい機会だと考えた。


 ところが、夏瀬環はそれを許すような性質をしていなかった。


「でも、もう二人の秘密を話しちゃったし、断るには遅いんじゃない?」


「正規の探偵にならい、守秘義務として個人情報は絶対に漏らしません」


 ムムッとうなるが、夏瀬環は引き下がらない。


「困っている人に手を差し伸べてはくれないの?」


「たしかに心が痛みます。でも、手を差し伸べないことより、人を困らせることのほうが罪悪感は強いと思いませんか?」


 再び唸る夏瀬環。既成事実作戦に続いて罪悪感に訴える作戦も退しりぞけられ、彼女は禁断兵器を持ち出してきた。


「デラックス・プリンパフェ」


「え?」


 早怜真実は閉じた本に落としたばかりの視線を再び上げた。

 彼女が見つめる先で、夏瀬環の口がもう一度あの甘美な誘惑の言葉を放つ。


「デラックス・プリンパフェって知ってる? 駅前のカフェにある、お高いスイーツ。引き受けてくれたら、あれをおごってあげる」


 プリン好きの早怜真実がそれを知らないはずがない。

 カフェのメニューには1000円前後のスイーツが並んでいるが、その端にひときわ異彩を放つ品が載っている。それこそが3000円もするパフェ、デラックス・プリンパフェである。


 3000円という金額は中学生にとっては大きい。いくらプリンに目がない早怜真実でも、それには手が出せないでいた。


「……わかりました」


「え?」


 早怜真実がボソッと呟いた言葉を聞き逃したようで、夏瀬環は一度外した視線と耳の向きを戻した。


「わかりました。夏瀬さんの依頼、引き受けます」


 それを聞いた夏瀬環はガッツポーズをした。そして深く静かに息を漏らす。


「なーんだ。最初に断られたときは聞いていたのと話が違うって焦ったけれど、やっぱり噂どおりじゃないの」


「あの、夏瀬さん。参考までにその噂ってどういうものか教えてもらえますか?」


「え、本人なのに知らないの? プリンを報酬として差し出せばどんな難問も解決してくれるプリン探偵って言われているんだよ、早怜さんは」


 早怜真実はやっぱり依頼拒否の実績を作っておくべきだったと少し後悔した。

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