ブルー・オーシャン

神崎あきら

第1話 白い牢獄

 気がつくと、簡素なベッドに寝かされていた。見上げる天井は無機質に白く、広かった。身体を起こすと同時に、こめかみに鈍痛が走り私は眉間を寄せる。周囲を見回すと、見覚えの無い部屋だった。


 半径十メートルほどの円形で、天井まで三メートルといったところだろうか。壁に穿たれた窓にはガラスが嵌まっておらず、外の風景が見渡せた。壁は眩しいほど白く、ドアは見当たらない。

 壁に触れると、ひやりと冷たい。材質はコンクリート製だ。


 ここは一体どこなのだろう。

 昨夜、夜勤明けで自宅アパートに帰り、シャワーを浴びたあとベッドに倒れ込んで気絶するように眠った。起きてみると、この部屋だ。病院というには設備が貧相過ぎる。そもそも円形の部屋というのは異様だ。


 私は窓の外を見た。一面の霧で何も見えない。四方にある窓のどこから顔を出しても濃い霧が立ちこめる風景が広がるのみ。おそるおそる身を乗り出し、窓の下を見た。地面は見えなかった。深い霧がたゆたい、視界を遮っている。


「おおい、誰かいますか」

 私は躊躇いがちに叫んでみた。しかし、返事は無い。微かにラジオのノイズのような音が聞こえてくる。音は規則性があるように思えたが正体はわからない。

「誰か、いませんか」

 私の声は白い闇の中に虚しく消えていった。


 私は外の世界に興味を持つことはやめて、部屋の中を探索することにした。

 パイプベッドには薄い毛布が一枚、ちいさな枕がひとつ。部屋の中央には壁と同じ素材の円卓と四角い椅子が設えられている。


 窓の無い壁際に水道の蛇口と流し台があった。蛇口を捻ると水が勢い良く噴き出し、慌てて蛇口を閉める。別の壁際には床に丸い穴が開いている。穴は床を貫通しており、覗き込むと霧が流れていくのが見えた。ここはもしや、トイレだろうか。


 なぜ私はこんな場所に連れて来られたのだろうか。

 脳裏にシンプルな疑問が湧いてくる。まったく身に覚えが無い。私はストレスを抱えた動物園のサルのように部屋の中を歩き回る。

 ふと足元を見ると、白いデッキシューズを履いていた。見覚えのないブルーの無地のパジャマを着ている。私を着替えさせ、ここに連れてきた者がいるということだ。


 私は天井、そして壁を見渡す。ここはまるで牢獄だ。窓は開け放たれているが、外に出ることはできない。


 いつの間にか、部屋が薄暗くなっている。窓を覗くと、霧は相変わらず濃いものの、夜が訪れようとしていた。天井のランプが灯る。ご丁寧に電気、水道は完備らしい。

 水道の横に白いタオルが備え付けてあった。物資の少ないこの部屋でものを無駄に使わない方がいいかもしれない。


 私は水道の蛇口を調節しながら捻った。たらたらと落ちる水を口を近づけて飲んだ。水は消毒液の匂いも味もしなかった。

 トイレだと思われる穴で小用を澄ませてベッドに横になった。灰色の天井を見上げて毛布を被る。大きな窓から冷たい夜風が吹き抜けてゆく。風は微かに潮の匂いがした。


 ***


 目が覚めても状況は変わらなかった。部屋は相変わらず白く無機質で、窓の外には濃い霧が立ちこめている。ひとつ違ったのは、窓の外に食料が吊されていたことだ。屋根から垂れ下がったロープの先についた籠の中に笹の葉でくるんだ飯、サツマイモにバナナ、干し肉が入っていた。


 そういえば、昨日から何も食べていない。食料を目にすると、胃に刺すような痛みを感じた。

 私は手軽に食べられるバナナを食べた。糖分が染み渡り、体温が戻ってくるような感覚に安堵する。

 この食料はどのタイミングで届くのだろう。昨日は無かったはずだ。一日三度届くのだろうか。もしかしてこれで一週間を凌げというつもりかもしれない。

 私は不安にかられ、届けられた食料は大切に使おうと決めた。


 昼が過ぎ、夜がやってきた。窓の外はまだ霧が立ちこめている。

「おおい、誰かいませんか」

 もう一度声を張り上げてみるが、返事はない。


 水道で顔を洗い、トイレ穴で小便をした。小便は床の下の濃い霧の中に消えていく。地面に到着した感触はない。ここは一体どれほどの高さなのだろう。いや、考えるのはやめよう。

 私はベッドに転がって毛布を被り、目を閉じた。

 


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