第5話 聖女の初仕事は!?

(とにかく、あたしが聖女だっていうのなら、すぐにでもフィリスを助けてあげられるってことじゃないの)


 わめくだけわめいた後、彩良はすっきりさっぱり開き直っていた。


「それじゃあ、早速フィリスのところに行って、呪いから解放してあげましょう」


『これぞ、聖女の初仕事よ!』と、彩良は勢い込んだが、アリーシアに断られてしまった。


「いや、そのような心配は無用だ」と、かなりあっさり。


「な、なぜに?」


 彩良は急ブレーキをかけられた気分で、目を瞬かせた。


「兄は昨夜のうちに呪いから回復したんだ。君のおかげだ。兄はもちろん、国王である父や母も感謝している。私からもお礼を申し上げる」


 そう言って、アリーシアは丁寧に頭を下げてくれたが、彩良は理解不能だった。


「あのう? あたし、フィリスに血をあげた記憶がないんですけど?」


「どうも呪いは聖女の血を口にしなくても消せるものだったらしい。狭い部屋の中で何日も君の魔力を浴びていたからではないかと思うが――」


 アリーシアの言葉を遮るように、今まで黙って座っていたウルがバカにしたようにフンと鼻を鳴らした。


「その程度で呪いが解けるか。それが本当だったら、今頃森の仲間たちは魔物扱いされてない」


「そういえばそうよね」と、彩良も同意した。


「毎日一緒に寝てたクマ子のツノはずっと生えてたし。ツノが取れたのって、血を舐めたウルとモン太だけでしょ?」


 膝の上で抱っこしていたモン太を持ち上げてその瞳を見ると、アメジストのような明るい紫色になっていた。


 気づかなかったけど、目の色も変わってたんじゃないの。


「しかし、兄のツノも取れたし、瞳の色も元に戻っていた。検査でも呪いは検出されなかった。兄が呪いから回復したのは間違いない」


 アリーシアは毅然とした態度で反論する。


「……サイラ?」と、ウルがどこか嫌そうな顔で彩良をジロッと見つめてきた。


「なに?」


「まさかと思うが……その人間のオスにペロしたのか?」


 図らずもぶわっと顔が赤くなってしまったので、見事に肯定してしまった。


(色々あってすっかり忘れてたけど――いや、頭が勝手になかったことにしようとしてたみたいだけど、あたし、フィリスとキスしたんだったー!!)


 おまけに愛の告白まで思い出して、頭が噴火したかのようにカッカと燃えてしまう。


 そんな彩良を見て、ウルは愕然としたように口をパクパクさせていた。


「オ、オレだって、一度もしてもらったことがないのにー!!」


 ウルが泣きそうな顔で叫びながら、ベッドにバタッと倒れ込んだ。


「取り込み中悪いが、『ペロ』とは何だ?」と、アリーシアが聞いてくる。


「これだ」


 ウルがシャキッと姿勢を正し、再び実地で説明しようとするので、彩良は寄せられてくるウルの顔を慌てて押しやった。


「毎回やって見せなくていいの! ほっぺをペロッと舐めるだけのことでしょ!?」


「違う! 呪いが解けたってことは、サイラがそのオスの口の中にペロしたんだ!」


「あ、あたしからしたんじゃないからね! フィリスの方からしてきたの!」


「オレの時は一度も口を開けてくれなかったくせにー!!」と、ウルは不満そうに口を尖らせる。


「唇はともかく、動物に舌を入れられるのはねぇ……」


「ふむ。人間ならいいということだな。今度からは遠慮なくサイラの口の中にペロさせてもらおう」


 満足そうに頷いているウルの頬をむにっと引っ張った。


「ダメです。そういうのは人間同士ではキスとか口付けって言って、好き合ってる男女がすることなの。特別なことで、誰とでもすることじゃないの」


「オレはサイラが大好きだ。サイラもオレのことが好きだろ?」


「好きだけど、それは友情みたいなものであって、恋とは違うのよ」


「どう違うのかわからん」


「あたしも恋とかしたことないから、説明を求めないでよ!」


 彩良は軽くキレてしまった。


「――ほう。兄上が言っていた『大事な人』とはそちらの意味だったんだな」


 アリーシアの感心したような声が突然聞こえ、彩良はそこにもう一人いたことを思い出した。


「あ、すみません……」と、彩良はアリーシアに向き直った。


「なかなか興味深い話だったので謝る必要はないが。つまり、兄の呪いが解けたのは、君と濃厚な口付けをしたからということか?」


「の、濃厚な口付けって……そういうこと、真顔で聞きます!?」


 彩良は再び真っ赤になって叫んでいた。


「いや、興味本位で聞いているのではない。今後のことを考えると大事なことだろう。どうなんだ?」


 アリーシアが淡々とした調子で聞いたのはウルの方だった。


(……なんかこういうところ、フィリスに似てるかも。さすがきょうだいだわ)


「濃厚な口付けがどういうものなのかはわからんが、サイラのヨダレを舐めれば呪いは消える」


「ヨダレ!?」と、彩良は目を剥いてしまった。


(それ、血よりひどい響きに聞こえるんだけどー!?)


「うむ。だから、みんな、サイラのヨダレを舐めたがるんだが、サイラはちっとも自分の方からはペロしてくれないし、口も開けてくれない。おかげで見かけが魔物のままになってる」と、ウルは続けた。


「その理由はさっき説明したよねー」という彩良の言葉は、他の二人には聞こえていないようだった。


「見かけが魔物ということは、中身はただの獣に戻っているということか?」


「うむ。サイラと出会ってからは、みんな本来のエサを喰うようになってる」


「聖女の近くにいるだけで、完全とまではいかなくても、脳が正常化するのは確からしいな」


 アリーシアは感慨深げにつぶやいた。


(……結局、なに? 『魔物使い』だから仲間になってくれたんじゃなくて、みんなあたしのヨダレが目当てで寄ってきたってこと?)


 そういうことかと、彩良もようやくすべてが納得できた気がした。


 魔物化した動物たちが貢ぎ物の代わりに欲しかったのは、呪いから回復できる魔力の入った彩良の唾液。


 顔や唇を舐めてきたのは、言葉の通じない動物たちが、同じことをしてくれと訴えていたのかもしれない。


(ごめん、みんな。気づいてあげられなくて……)


 それでも仲良くしてくれていたのは、彩良自身はわからないが、身体から漏れ出している聖女の魔力があったからなのだろう。


 魔物化した動物たちは、彩良のそばにいるだけで脳が正常化する。普通のエサを食べられるようになるし、エサ以外の動物を襲うこともなくなったので、同種族間ではカップルにもなれたということだ。


(……じゃあ、フィリスは? 実はあたしのヨダレを舐めたいとか思ってたのかしら?)


 『舐めさせてくれ』などと言われたら、『この変態!』と大騒ぎになっていたことが予想される。


 あの平和な同居生活が一気に冷え切ったものになっていたに違いない。


(フィリスが理性的な人でよかったわー……)


「サイラ」と、アリーシアに呼ばれて、彩良は我に返った。


「詳しい話も聞けたし、君が聖女とわかった今、改めて王宮に迎えたいのだが――」


「王宮はダメだ」と、ウルが遮った。


「またサイラを鎖につないで閉じ込める。傷つけて無理やり血を搾り取る。そんなところには行かせられない」


「え、そんなひどいことされるの!?」


 彩良はぎょっとしてアリーシアを見てしまった。


「サイラ、忘れたのか? ピッピが様子を見に行った時、そういう扱いを受けてるのを見たって言ってたぞ」


「あ、うん、確かに……。でも、血までは奪われてないわよ」と、彩良は訂正しておく。


 そんな二人の間にアリーシアが慌てたように入ってきた。


「誤解しないでくれ。私はジェニールとは違う。サイラを丁重に迎えると言っただろう。ここより広くて快適な部屋を用意させよう。使用人も何人か見繕っておく。君が一緒に来て、問題があると思った時は私に言えばいい。善処しよう」


「うむ。それならいい」と、ウルはどこか偉そうに頷く。


「……ウル? なんでウルが仕切ってるの?」と、彩良は聞いた。


「オレはサイラを守るんだ。サイラが人間と一緒にいてひどい目に遭わされるようなら、すぐにでも森に連れて帰る」


「……うん、ありがとう。もしもの時にはお願いね」


 ウルの気持ちはありがたいが、森でサバイバルする方がマシだと思うような事態は二度と起こりませんように、と願うばかりだ。


 そうして、彩良はウルとモン太と共に、アリーシアの用意してくれた馬車で王宮に向かうこととなった。

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