第3話 メイド同士の内緒話
サイラのところで話し込んでいたせいで、ティアが食器を下げに厨房に行ったのは、いつもより遅い時間だった。
料理人も皿洗いもみんな片付けを終えていなくなっている。
そんなガランとした厨房の片隅で、一人のメイドが夕食の残り物をつまみにワインを飲んでいた。
「お疲れ様」と、ティアに気づいて笑顔を向けてくる。
アリーシア第二王女付きのメイド、ノーラだった。
「お疲れ様です」と、ティアも笑顔を返した。
ノーラは十年以上メイドとして働いている大ベテランで、主人は違うものの、新人のティアをいつも気にかけてくれる。悩みや相談にも乗ってくれて、やさしく頼りがいのある先輩だ。
このところ主人のアリーシア王女が長い遠征に出かけているので、留守番になっているノーラはだいぶ時間に余裕があるらしい。おかげでさりげなくティアの仕事を手伝ってくれる。
特にサイラの世話を押し付けられてからは、とにかく近寄るのも怖いし、自分でもどうしていいのかわからず、何度もノーラに泣きついては助けてもらっていた。
「仕事は終わったの?」
「はい、今日のところは。これを片付けたら終わりです」
ティアは食器を流しに入れながら答えた。
「よかったらこっちに来て、一杯飲まない? 蜂蜜酒があるわよ」
蜂蜜酒はほとんどお酒が入っていないので、未成年のティアでも飲めるものだ。
「では、いただきます」
ティアはノーラに出してもらった蜂蜜酒のマグを受け取って一口飲んだ。甘い味が口に広がってほっとした息が漏れる。
「どうしたの? 今日は珍しくいい顔しているみたいだけれど」
ノーラが興味津々に見つめてくるので、ティアは自分の顔をこすった。
「そうですか?」
「何かいいことでもあったの?」
「そういうわけではないんですけれど……。今、サイラのところに寄ってきて、少し話をしていたんです。あの子、無邪気な話し方をするし、見た目からしても年下だと思っていたのに、今年十六になるんですって」
「十六? 前にチラッと見かけたけれど、それには背も小さいし細いし、凹凸もなかったわよね」
「だから、絶対に年の数え方が間違っているんですよ。でも、違うって言い張るんです」
「でも、あんなまっすぐで黒い髪をしているくらいだから、私たちとは種族が違って、体型も違うのかもしれないわ」
「あ、そうか。それは考えてもみなかったです」
ノーラの慧眼にティアはただただ感心した。
「他には何か話をしたの? 歳の話だけ?」
「もともとは市民権について聞きたがっていたので、説明したんですよ。そうしたら――」
思い出して、ティアはクスッと笑ってしまった。
「そうしたら?」
「養護院に入れる特別な才能があるって言うから、聞いてみたら『猛獣使い』だって言うんです。あまりに自信満々に言うのがおかしくて。普通、特別な才能と言ったら、学問とか芸術とかでしょう?」
「猛獣使いって、動物に見世物芸を教え込むとかそういうの?」
「いえ。どんな動物とでも仲良くなれるって言っていましたけれど」
ノーラは言葉を失ったように急に黙り込み、ティアを通り越してどこか遠くを見つめていた。
「ノーラさん? どうかしましたか?」
声をかけると、はっとしたようにノーラはティアに視線を合わせた。
「ねえ、ティア。そのこと、ジェニール様はご存じなの?」
「どうでしょう。こちらに来てからサイラとは一度も顔を合わせていませんが」
「知っていて放置するとは考えられないから知らないのかも……ということは、まだ間に合うか……」
ノーラがブツブツと独り言のようにつぶやいているので、ティアはもう一度声をかけた。
「あの、何か問題でも?」
ノーラはそれからようやく真剣な眼差しを向けてきた。
「ティア、よく考えて。その子、魔物のいる森の中で生きていたんでしょう? 『猛獣使い』というのが魔物相手でも通用する才能だったとしたら、これはすごいことよ」
ノーラの言葉にティアはコクンと息を飲んだ。
「つまり、あの子は魔物とも仲良くなれるということで……」
「それが本当なら、この先、魔物討伐に出かけて行っても、あの子を連れて行けば、誰も傷つくことがないということになるわ」
「ええ、そうですよね」と、ティアも興奮が隠せなかった。
「この場合、その子が必要なのは、ジェニール様よりアリーシア様の方だということ、ティアもわかるでしょう?」
「はい、それはもちろん。討伐に行かれるのはいつもアリーシア様ですから」
「今の王宮の情勢はあなたも知っているわね?」
ノーラは他に誰もいないというのに声を落とした。
「次期王位についてですか?」
「そう。だから、そんな子がジェニール様の手の内にあるというのは、アリーシア様にとって不利になるの」
「……はい」と、ティアは頷いた。
「だから、私としてはアリーシア様にあの子を引き取らせて差し上げたいと思うのよ。ティア、協力してもらえないかしら? これはあなたにとってもいい話だと思うんだけれど」
そう言って、ノーラはずいっとティアの方に身を乗り出してきた。
「私にとっても?」
「あなたがあの子の世話係としてしっかり手なずけることができていたら、あの子を引き取る時にティアもその世話係としてアリーシア様の元へ来られるわ。あなたにとっては願ってもいないことではないの?」
ティアは突然目の前がぱあっと開けたような気がした。
「もちろんです! ぜひ協力させてください!」と、迷わず答えていた。
(あのジェニール様から離れて、ついにアリーシア様のおそばで仕事ができる――)
ティアの母親はアリーシア王女の兄――フィリス第一王子が生まれた時から、そのメイドとして働いていた。
その母親と一緒に王宮で生活していたティアは、フィリス王子に妹のアリーシア王女と同じようにかわいがってもらっていた。
ティアが十歳の時に母親が病で早世してしまった時も、フィリス王子が身元保証人になってくれたおかげで、学校に通い続けることができた。
ところが、卒業間近の去年の秋、魔物討伐に行ったフィリス王子が負傷。『魔物の呪い』にかかって、生涯幽閉の身となってしまった。
フィリス王子は賢く、心身ともに健康。名君と誉れ高い前国王によく似ていると言われていた。国や民のことをいつも考え、大事にするやさしい人だった。
側室腹とはいえ、フィリス王子を次期国王にと望む人が多かっただけに、その悲報を皆悼んだ。ティアももちろんその一人だった。
ティアはもともと学校を卒業したらフィリス王子付きのメイドとして働くことになっていたのだ。
その日を心待ちにしていたのに、その事件によって未来の主人を失い、同時に職も失ってしまった。
当時、王宮内でメイドを募集していたのは、唯一ジェニール王子だけだった。
ティアはとりあえずそこで働きながら、アリーシア王女のメイドに空きが出るのを待つことにしたのだが――
ジェニール王子はティアが王位争いで敵対していたフィリス王子に仕える予定だったことを知ると、それからは何かにつけてティアに罰を与えるようになった。
何度も鞭打たれるうちにジェニール王子の前に立つだけでその痛みを思い出し、手や身体が震えるようになってしまった。余計に粗相も増えるので役立たずの烙印が押される。
そうでなくても、主人に気に入られていない使用人は、同僚たちからもつらく当たられるのが現実だ。
働き始めて半年ほど経つが、とにかく地獄のような毎日で、ただただ自分の不運を呪っていた。
それがここに来て、自分にもようやく運が巡ってきたのだ。
「ティア、このことはジェニール様には内緒よ? 大丈夫?」
ノーラが改めて念を押してきた。
「ジェニール様がまだご存じなければ、の話ですけれど……」
「知っていても、あの子に利用価値があることまでは気づいていないはずよ。わかっていたら、今頃とっくに陛下に奏上している頃でしょう? この時期、自分の手柄になるようなことを黙っているとは思えないわ」
「そうですね。サイラを放って、毎日恋人のところに通っているくらいですから」
「でしょう? だから、あの子にも理解してもらって、ジェニール様には黙っておいてもらわなくてはいけないわ。できる?」
「やってみます」と、ティアは大きく頷いた。
「まあ、普通に話ができる子みたいだから、上手に持っていけばジェニール様のところにいるよりいいって、すぐに納得してくれるでしょう。お願いね」
「わかりました」
その夜、ティアは久しぶりに幸福な気分でベッドに入った。
いつもはズキズキと痛む手のせいでなかなか寝付けなかったが、今夜はうれしさに興奮して目が冴えてしまっていた。
翌朝、ティアは朝食を運んでいった時に、早速サイラに聞いてみた。
「一つ聞いてもいいかしら?」
「なに?」と、パンを食べながらサイラは顔を上げる。
「昨夜、どんな動物とでも仲良くなれる才能があるって言っていたけれど、魔物とも仲良くなれるの?」
「は? 魔物って、退治するものでしょ? 違うの?」
サイラは驚いたような顔でティアを見つめてくる。
期待が大きかった分、落胆も激しく、ティアは変な笑みを浮かべていた。
「……いいえ、間違っていないわ。魔物は退治しなくてはいけないものよ」
普通の動物と仲良くなれるだけでは『才能』とは言わない。
よって、アリーシア王女にサイラが必要とされることはなく、ティアもまたアリーシア王女付きの使用人になることはないと決まった。
(私の幸せな夢はたった一晩で終わったんだわ……)
今夜にでもノーラに報告しなくてはと思いながら、ティアは力の抜けた足でヨロヨロとサイラの部屋を後にした。
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