男裝女とヘビースモーカー

宰田

本編 ―1920― ~兄に溺愛されていた男装妹は、IF大正で軍人さんと共犯者になりました~

第1章 転移編

第1話:目覺【壱】

「次の商品は、ジャンク品! お安く提供できます!」


 きらびやかなシャンデリアが照らすホール。

 闇オークションの会場を、ガハハと品のない笑い声が包む。


「おいおい、死にかけじゃねぇか」

「こんなのどうやって使うんだよオーナー」

「薬物投与、解剖、あとは――犬の餌とかでしょうかねぇ」


 目線が集まるのは、ステージに置かれたかごの中。

 ジャンク品と呼ばれた人間――谷縣たにがたけい――は、目を覚ました。


(「俺」は……死んだはずじゃ……)


 けいは置かれた状況に、疑問符を浮かべた。


 ◇   ◇   ◇


 時は、令和。桜が舞い散る季節。

 合格発表の掲示板の前。

 制服と私服が入り乱れる中、その事件は起こった。


「きゃあああああ!」

「なにこれ撮影?」

「警察、誰か! 通り魔が!」


 悲鳴や喧騒、スマホのシャッター音が鳴り響く。

 倒れたショートカットの少女――谷縣たにがたけいには、すべての音が壁越しのように遠く聞こえた。


 地面には、真っ赤な液体が勢いよく広がっていく。


 ――痛い。

 ――熱い。


 うめく啓の視界は、どんどんと暗く閉ざされていく。

 最後に瞼の裏に浮かんだのは、愛おしそうに目を細める兄。


 兄の幻影は、手をゆっくりと伸ばしてくる。

 啓は動けず、ただ目の前の幻影を見据えていた。


「大好きだよ。僕より劣った・・・・・・、可愛い妹――」


 常に啓を見下してきた、兄。

 常に啓の自由を奪った、兄。

 それらを「愛」と言っていた、兄。


 そんな兄からの「愛」は、啓が歳を重ねるごとに歪んでいった。


 自分以外にかまうなと、世話していた猫を逃がしてしまった。

 自分以外と話すなと、幼馴染を追い込んで転校させてしまった。

 そしてついに、思い通りにならない啓へ、暴力を振るようになった――。


 この状況を変えたいと強く願い、啓が導き出した答え。


 それは「愛」を向けられないよう、男の子のフリ・・・・・・をすることだった。


 伸ばしていた髪を切った。

 お気に入りの服を全部捨てて男物に変えた。

 さらに痛いと思いながらも、一人称を「私」から「俺」にした。


 ――それでも、兄からの扱いは全く変わらなかった。


 そこでやっと、啓は気付いた。


 妹、から脱却するだけでは足りない。

 劣った・・・妹から脱却しなければいけない、と。


 それからは兄を見返すため、取り憑かれたように努力した。

 ――友達や青春を犠牲にしても。


 兄から「愛」を向けられないために。

 そして――自由になるために。


 その努力がやっと今日、実を結んだ。

 兄ができなかった「首席合格」を果たした、はずだったのに――!


 ◇   ◇   ◇


 そこまで思い出して、再び啓の意識が浮上した。


 目の前に広がるのは、映画のセットのようなオークション会場。

 啓のぼんやりとした頭は、混乱と思い出した記憶でパンク寸前だった。


 次の瞬間、再び品のない笑い声がホールを包んだ。


「目が開いたぞ!」

「オーナー、これも仕込みってやつ!?」

「いえいえ。そんな姑息な真似は一切しておりませんよ」


 オーナーと呼ばれた仮面の男は、啓の近くへ移動する。ふっと立ち止まると、演技のように仰々しく両手を上げた。


「改めて商品を紹介しましょう! こちら、我がくにで最も低い身分、ひのえの人間でございます!」


 言い終わると同時に、啓に多くの照明が当たる。あまりの眩しさに、啓は顔をしかめた。


「最上位の身分、こうをお持ちの皆さま方には、お優しい心がおありでしょう。この可哀想な奴隷へ、是非ご慈悲を賜りたいと思います!」


 オーナーが啓に手を伸ばす。そして啓の顎をがちり・・・と掴んだ。


 啓は助けを呼ぶために叫ぼうとしたが、声が出ないと気づく。

 なんとか手だけは振りほどこうともがく・・・が、それも小さく身じろぎしただけで終わった。


「皆さま、よ~~くご覧ください! この奴隷は、美しい紫水晶アメジスト色の瞳を持っております。髪も、よく整えれば艶のある黒髪になるでしょう。さらに顔も中性的ときた。奴隷としてだけでなく、育て方によっては夜のお供にも、男娼・・として稼がせるのも選択肢に入るでしょう!」


 観客から、どよめきが起こる。


 啓は夢かどうかを確かめるため、頬をつねろうとした。しかし薬かなにかの効果なのだろう、指すらも満足に動かない。


これ・・がなんと、一万円。一万円から開始します! お買い得でしょう、さぁさぁ、入札の札をお挙げください!」


 勝手に盛り上がっていく会場。


 啓の知らない、「こう」や「ひのえ」という身分。

 そして一万円という安すぎる値段――。

 混乱しきった啓は、ぼんやりと値段が吊り上がっていく声を聞いていた。


「良いですか? 良いですね! それでは十万円。十万円にてお買い上げです! こうの皆さまのお優しい御心を垣間見れて、私は非常に感動いたしました! それでは次は――」


 アナウンスが終わる前に、かごに大きな布が被せられる。

 車輪の音や振動から、どうやら移動させられているらしい。


 しばらくすると、オーナーと購入者だろうか。二人の会話が聞こえてきた。


「十万円なんて、よほど欲しい商品だったのでしょう?」

「いいや、一番欲しかったのはいくつか前に出ていた絵画さ。だが思ったよりも高くつきそうだったからな、次に欲しかったこの奴隷を買い取ることにしたんだ。遊郭で稼がせて、あの絵画を買い直すつもりさ」

「ははは、策士でいらっしゃる」


 その言葉で、啓は全身に燃え上がるような怒りが込み上げてくるのを感じた。


 この世界でも、自由を奪われ・・・・・見下される・・・・・のか。


 気づくと、かごの扉に飛びついていた。

 体が当たるたび、ガシャガシャと派手な音が鳴る。

 しかし購入者たちは「活きが良い」と笑うだけだった。


 そんな中、啓はかごの扉が大きな南京錠で留められていると気付いた。

 南京錠には、金庫でよく見るようなダイヤルが付いている。三つの文字を正しく組み合わせれば解錠される単純なつくりだ。


 最下位階級には、これを総当たりするほどの知識もないと思われているのだろう。

 随分となめられた地位になってしまったと、啓は小さくため息をついた。


 すると突然、かごの動きが止まった。


「本日はお車で持ち帰られますか?」

「ああ、そのつもりだ。オークションが終わる頃に、車を回してもらう手筈てはずになってる」

「それではあと半刻ほどありますねぇ。倉庫に置いておきましょうか」

「そうしてくれると助かるよ」

「かしこまりました」


 半刻は――そうだ、一時間だ。

 生まれて初めて古文が役に立ったと、啓は一人ひそかに感動していた。


 しばらくして、再びかごの動きが止まる。

 人の気配がなくなったのを確認し、唯一動く口で、被せられた布をずらした。


 ようやく見れた倉庫の中は、オークションの商品らしいものがごちゃごちゃと並んでいた。

 隅には大きな振り子時計が置かれており、ちょうどボーンボーンと重たい音を響かせ始める。


 次にこの音が鳴るまで、半刻一時間

 鳴るまでに解錠しないと――未来はない。


 啓は歯を使って、たどたどしくダイヤルを回し始めた。

 しばらくすると薬の効果が薄れたのだろう、手が動くようになってきた。時間が経つにつれて、作業スピードが上がっていく。


 静かな部屋に、啓の息遣いとダイヤルを回す音だけが響く。


 しばらくして――ついにガチャリと大きな音が鳴り響いた。

 南京錠は取れ、かごの扉がゆっくりと開いた。


「行こう」


 ついには声も出るようになり、足の感覚も戻っていた。

 足かせが付けられていなくてよかったと、啓は歩いて鉄格子から出る。


 近くに置かれていた大きな姿見に、啓の姿が映った。


「……これは確かに、男娼・・、かもな」


 体は確かに女性だ。

 しかし、短く切りそろえられた黒髪に華奢な体つき。

 顔は前の世界のものと似ているが、薄汚れていて、ろくに手入れもされていない。


 異世界に来ても男装か、と啓は自嘲した。


 そんな細い体躯を使って、倉庫の重くて大きな扉を開く。

 目の前に広がる景色に、啓は思わず目を奪われた。


 いわゆる「大正浪漫」と呼ばれてもてはやされるような、レトロで華のある光景。


 広々とした木造の廊下。

 天井には豪華なシャンデリアが吊るされ、白い壁と茶色の柱をつややかに照らしている。

 嵌められている窓は、上部がステンドグラス風になっており、月明かりで美しくきらめいていた。

 さらに、床には真紅の絨毯じゅうたん


 啓は恐る恐る素足で一歩を踏み出す。分厚い絨毯じゅうたんにふわりと足が沈んだ。


 一歩、一歩。

 啓は早鐘を打つ心臓を抑えながら、廊下を進んだ。


 ひとまず状況を確認しようと、廊下の中でも暗がりになっている場所へ向かった。周りを気にしながら、窓を覗き込む。


 外は停電中かと思うほど、真っ暗な闇に包まれている。

 僅かに見える建物の小ささから、ここは上階なのだろう。

 闇に慣れてきた目を凝らすと、東の方角に森が広がっているのが見えた。


「……とりあえず、あそこに逃げるか」


 まずは階段探しからだ。

 啓は人に会わないように祈りながら、絨毯じゅうたんの上を全力で走った。この体・・・が軽いのか、絨毯じゅうたんが上等だからか、足音は響かない。


 なんとか見つけた階段を降り続け、一階らしきフロアをうろつく。

 するとついに外に出られそうな、装飾の付いた木の扉を見つけた。


 啓は全体重を乗せて、扉を開く。

 生まれた隙間から、冷たい風が肌を刺した。


 ――外に出た、瞬間。

 啓は、バランスを崩した。


 どうやら、開けてすぐのところに数段の階段があったらしい。

 踏み外した啓は「うわっ!?」と声を上げながら、ぐるぐると回転して地面に背中から着地する。

 あまりの痛みにうめいた時だった。


「おいおい。大丈夫か?」


 夜の静寂に、低音が響く。

 ひゅ、と啓の喉が鳴った。


 ――連れ戻される。

 ――自由が、奪われる。


 啓の頭の中に恐怖が渦巻く。

 その場を動けないままでいると、闇の中から軍服を着た男が姿を現した。


 ――冷たい瞳が、啓を捉えた。



=======================


ここまで読んでいただきありがとうございます。

★やフォローをいただけると、執筆の励みになります!


異性装がお好きな方は、6/24(月)からの新連載もぜひ!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る