第三部2

「手伝おうか?」


「いや、気持ちはありがたいが今回は信用できる部下のみを連れていく。コーサ・ノストラに裏切り者がいる可能性もゼロではないからな」


「私は信用できない、と?」


「悪く思わないでくれ。今回は予期せぬ事態を起こせない。またミスを犯せば今度こそ命はない。こういう時、心から信用できるのは自分だけだ」


「それはその通りだが……」


「イアンにも同行してもらった方がいいわ。ジャン、イアンは親友でしょう? イアンが裏切るはずないわ」


「エステル、これはそういう問題ではないんだ。確かに、イアンがいれば心強い。だが、予期せぬ事態が起こったとはいえ、俺はコーサ・ノストラの信用を失わせてボスの信用を失った。信用を取り戻すのはコーサ・ノストラのメンバーでなければならない。イアンは部外者だ。オリガもな。コーサ・ノストラの取引に部外者を連れてくるべきではなかった。二人にはすまないがな」


 それから酒と料理が届けられて、エステルが乾杯の音頭を取った。

 内容は耳に入ってこなかったが、彼女は無理に明るく振る舞っているようだった。


 食事は静やかなムードの中で進められた。

 沈黙に耐えかねたイアンはキャロルが入ったグラスの縁を五指で支えて、足早に無人のビーチへと出向いていった。


 背後から控えめな足音がついてくる。

 オリガだろう。


 イアンは歩調を遅めてオリガが追いついてくるのを待った。


「大変なことになりましたわね」


「そうだな。親友から部外者呼ばわりされるとさすがに気分が悪い」


「イアン、ごめんなさい」


「何故謝る?」


「私が同行したいと我儘を言わなければこんなことにならなかったかもしれません」


「なんの根拠もないだろう。君がいようがいまいがきっとこうなっていた。君は何かあると自分を責める癖があるようだ」


「ごめんなさい」


「すぐに謝るのも悪い癖だ」


「ふふふっ、ごめんなさい」


 月明かりがビーチを照らす。

 砂浜が銀色を眩しく照り返す。


 一歩踏み出すごとに乾いた砂がブーツの中に入ったが、イアンは気にしなかった。


「それにしても、君の嫌な予感は当たっていたな。君には超能力があるのか?」


「とんでもありません。単なる偶然ですわ。ただ……あなたを守りたいと思ったのです。どうしてそう思ったのはわかりませんが、あなたに忠告しておかなければならないような気がしたのです」


「私を救ってくれたというわけだ。有言実行だな」


 ホテルのバーで一緒にキャロルを飲んだ夜、イアンは救いを求めてオリガは救いの手を差し伸べた。

 彼はまさか救われることになるとは予想だにしていなかった。

 救われずとも彼女さえいればいいと思っていた。


 イアンは立ち止まり、目を細めて遥か彼方の水平線を見つめた。


 どこまでいっても海が続く限り水平線は水平線だ。

 水平線が途切れることはない。

 この世界に永遠はないものと思っていたが、水平線は永遠だった。


「泳いでも泳いでも水平線には辿り着けない」


「えっ?」


「溺れてもがき苦しんでいても水平線は私を見放した。だが、君は私を救ってくれた。君の手を掴み、私は空を飛んだ。ほんの一瞬だがね。君は私に脆い翼を授けてくれた。一度羽ばたけば壊れてしまう翼をくれた」


 そう言うと、オリガは世界の終焉を見届けるかのごとく悲しそうな表情をした。


「満足していただけましたか?」


「ああ、満足したとも」


「では、私はもういりませんね」


 思わずグラスを取り落としそうになった。

 切れ味のいい刃で首を切り落とされるかのような衝撃だった。


 イアンはキャロルを一滴ほど口に含み、残りを砂の上に撒いた。

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