61話
「いい加減にしてくださいよ。振り回されるこっちの身にもなってください」
「……ごめんなさい」
男性の言葉にシュンとなりながら、流聖が小さな声で謝罪する。今、ライトニング文庫の応接室で流聖は担当編集の男性に説教を食らっていた。
人気作家ともなれば、ある程度の我が儘が押し通るとはいえ、彼の行ったことは明らかにその許容を超えていたからである。
書籍の発売日の前倒しから始まり、所属している出版社に断りもなく関係のない出版社に出向いて営業を妨害する行為などなど、いくら人気作家だからとはいえ、ライトニング文庫としても到底許容できるものではなかった。
しかも、当然であるが流聖によって突撃された英雄社は、ライトニング文庫に対してしっかりと抗議の書面を送り付けており、その書面もご丁寧に行政書士によってしっかりと法的効力のある書面を送っていた。
ライトニング文庫としても、出版業界最大手の英雄社と揉め事を起こすのは本意ではなく、これ以上の迷惑行為を流聖にさせるわけにはいかなかった。
本人も所属する出版社にあからさまに迷惑を掛けたいわけではないため、ひとまず反省の色を見せてはいる。
だが、騙されてはいけないと男性は心を鬼にして流聖に日頃の不満を漏らすように彼に詰め寄った。
「私があなたの迷惑行為で、どれだけの人に頭を下げたと思ってるんですかっ。見てくださいこの十円ハゲを! これ以上このハゲが進行したらどう責任を取るつもりなんですか!?」
「まさかそこまでのことになっていたとは……本当にすまない」
「言葉だけの謝罪なら、誰でもできます。昨今の無能だと言われてる政治家だってできる。本当に申し訳ないと思っているなら、言葉だけではなく行動で示して欲しいものですね」
「ぐっ」
まさに、正論である。
ここまでこの男性が辛辣なのは、決して十円ハゲになった怨恨からくるだけのものではない。まあ、それも四割くらいはあるのだが、今まで流聖が取ってきた行動があまり褒められたものではなかったからなのだ。
大黒帝グループという大財閥の跡取りとして育ってきた彼にとって日常的に誰かに奉仕されるということはままあることであった。それ故なのか、流聖がライトニング文庫に所属し始めた頃は今とは比べ物にならないほどに周囲を振り回していた。
それを見かねた編集長が彼の実家である大黒帝家に連絡を入れ、父親である斎牙に泣きつき何とか取りなしてもらうことで、少しは改善されたのだ。
だが、幼少の頃より培ってきた習慣というものは、なかなか抜けることはなく、度々やらかしてしまっていた。
「あらあら、随分と騒がしいですわね」
「こ、この声は……ま、まさか」
その時、部屋の外から鈴を転がしたような女性の声が聞こえてくる。聞き覚えのあるその声に流聖は嫌な予感を覚えるも、出入り口は一つしかないため、逃げることもできない。
「はぁーい、ご機嫌麗しゅうダーリン!!」
「げぇー、美麗」
「そのリアクションは、さすがに傷つくのだけれど?」
その唯一の出入り口から入ってきたのは、見たこともない程の美貌を持った絶世の美女であった。
長くさらさらとした金髪にサファイヤのような大きくつぶらな瞳を持ち、均整の取れた体型は非の打ちどころはなく、まさに完璧(パーフェクト)の一言に尽きる。
美女の名は姫小路美麗(ひめのこうじみれい)。帝流聖こと大黒帝宗介の幼馴染であり、【ラブコメの女帝】という異名を持つ日本ラノベ界四天王が一人である。
美麗が流聖に出会ったのは彼女が五歳、彼が十歳の時であり、大黒帝グループが主催するパーティーが初めてだった。
姫小路家も大黒帝グループと同じく日本経済を支える財閥一族の家であり、昔から大黒帝家と深い関わりを持っていた。
そこの次女として生まれた彼女は、蝶よ花よとよく言われる箱入り娘として育てられてきたが、そろそろ各方面へのお披露目という名目で件のパーティーに参加をしていたのである。
そして、そのパーティーで一目彼を見た彼女は心の中でこう叫んだ。
(うわぁー、カッコイイ!!)
いわゆる一目惚れというやつで、それ以降美麗はなにかと流聖に付きまとうようになり、そして二十二歳になった今もその粘着質なストーキングまがいの付きまといは絶賛継続中だ。
幸いなことに良家のお嬢様であった美麗の器量は良く、それこそ彼の横に並んでもなんら遜色のない才能と美貌を発揮し、将来は似合いの夫婦としてうまくやっていけるだろうと周囲に思わせる状況に持って行くことに成功した。
だが、大黒帝グループを継ぐはずであった流聖が突然ラノベ作家になりたいと言い出したことで事態は急変する。
これによって大黒帝グループの次期当主の座が弟に移ってしまい、彼女との理想の夫婦という認識も当然なかったことになってしまった。
それでもへこたれないのが美麗の凄さであり「彼がラノベ作家になったのなら、私もラノベ作家になればいいじゃない」というパンがなければケーキを食べればいい理論的な解釈ですぐさまそれを実行する。
流聖と同じくどんなことでも卒なくこなす彼女にとって初めての試みであった執筆作業も難なくこなし、現在スカーレットロータス文庫の看板作家として、そして流聖と同じく日本ラノベ作家四天王の一人にまで急成長を遂げたのである。
「そんなことよりなにしにきた。部外者はとっとと出ていけ」
「ダーリンの未来の妻である私なら問題ないわ」
「誰がダーリンか! そんな昔の話は覚えていない!!」
美麗を部外者扱いする流聖であったが、自分も部外者であるはずの英雄社に何度も突撃していたではないかという男性編集のジト目に気付かず、美麗と漫才のような会話を繰り広げる。
彼もまだ美麗の本性に気付いていなかった頃は、つんけんしながらも「まあ、こいつでもいいかな」と思っていた時期があった。それほどまでに美麗の器量は彼の周囲にいた他の女性よりも秀でていたのだ。
しかし、年を重ねていくうちに彼女の異常性がどんどんと表に出てくるようになり、決定的だったのが彼女が流聖の家を訪れている際、彼の洗濯物として干してあったシャツの匂いを嗅ぐという奇行に移ったことで、その時流聖は初めて美麗の異常さを確信したのだ。
いくら見た目や能力があろうとも、そんなストーカー気質な女性を受け止められるほど流聖も度量の大きな人間ではなく、次第に美麗から距離を置くようになっていった。
だが、その程度のことで美麗が諦めるはずもなく、現在に至るまで彼への粘着は継続していたのである。
「そんなこと言わないで、私で妥協しておきなさいよ。ほら、私って見た目も美人だし、おっぱいも大きすぎず小さすぎない魅惑のDカップよ?」
「断る。お前だけは絶対にない」
「だめ断るわ」
「はぁ? なにが?」
「あなたが断ることを私が断る。あなたは私の理想の男性だから、私と結婚するの」
「俺の意志を無視するな!!」
などと、傍から見れば美男美女が仲睦まじい痴話喧嘩をしているようにしか見えない桃色の光景が広がっており、その場に居合わせた独身で恋人のいない男性編集の精神がごりごりと削られていく。
そんな状態になっている彼のことなどお構いなしに、流聖と美麗の掛け合い漫才のようなやり取りが続いたが、ここで美麗が急に話題を転換する。
「まあ、いいわ。それよりも、なにやら面白いことをしているみたいじゃない」
「はぁ?」
「新人作家に喧嘩を吹っかけてぎりぎりで勝ったとか。いくらダーリンでも弱い者いじめは感心しないわよ?」
「誰が弱い者いじめか! あの男を知れば、そんな評価を下した自分のことを見る目がない人間だと卑下することになるだろうな」
「へぇ、ダーリンがそこまで言うなんて珍しいわね。無名玄人だっけ? ……実に腹立たしい存在だわ」
美麗が急に先の無名玄人との戦いを口にしたことで、場の雰囲気が一変する。
彼女の無名玄人に対する評価が低いことに苛立ちを覚えた流聖は、珍しく彼女に反論する。
彼のその微妙な変化を敏感に感じ取った美麗は、彼をそんな風にしてしまう無名玄人に嫉妬心を覚えた。例え男であっても、自身が執着する流聖の興味を引くものは許しがたいようで、徐々に美麗の目のハイライトが失われていく。
それを見て流聖は焦りを覚えた。昔から彼女のことを知る彼にとって、この状態の美麗が危険であることはすぐに理解できた。それと同時に、美麗に釘を刺すため流聖は口を開く。
「言っておくが、やつに手を出すな。もし出したら、俺はおまえと二度と口を利かん」
「そ、それは困るわ。……はあ、仕方ないわね。そいつに手を出すのは、やめてあげる」
「それが賢明だな」
「それでその無名玄人ってどんなやつなの?」
自分の想い人である流聖の興味を引いていることは許せないが、下手に手を出して彼に嫌われることを恐れた美麗が次に取った行動は、その彼が興味を持つ無名玄人の情報収集だ。
同じラノベ作家として同業者のことを知っておくための問い掛けであると思いきや、その実態は脅威となる人物の情報を手に入れるための諜報活動である。
敵を知り己を知れば百戦危うからずという言葉もあるように、確実な勝ちなど存在しないものの、常にそれに近い状態であるためにはでき得ることはすべて行う。美麗はそういったことを常に心がけてきており、そこについては一切の妥協はない。
その部分をもう少しまともなことに使っていれば彼女とて少しはマシになるのだが、そのすべてを流聖のことに費やしているため、残念美人という名を欲しいままにしているとは彼の談である。
「とにかく、無名玄人は凄いやつだ!!」
「そう、なのね……(その男危険だ。危険過ぎる……。やはり、今のうちに潰しておかねばなるまい……)」
危険な思想を胸に抱きつつ、流聖の少年のようなきらきらとした笑顔を今晩の手慰みにしようと心に決めつつ、美麗は彼の話に耳を傾け続けた。
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