46話



(こ、この感覚……どこかで)


(あいつ……やっぱり)



 一人の男子生徒の背中に、二つの視線が突き刺さる。その視線の正体は、美桃と零の二人だ。



 治乃介が大吾との小説対決を初めてしばらくして、ある変化が起こった。それは二人にとってどこか既視感のある感覚であり、どこかで感じたことのあるものであったのだ。



 まるで磁石に吸い寄せられる鉄球のように、二人の興味は彼に向けられていた。



 二つの若き才能は、新たに覚醒した若き才能に惹かれ、自身の内に秘めし才能と共鳴する。



(文豪寺君、あなたは一体何者なの?)


(こいつの正体、必ず突き止めてやるわ)



 どこかで感じたことのある感覚に襲われながら、その正体を未だ掴んでいない二人は、それぞれの思惑を抱きながら、彼の執筆を見守っている。



 その場を完全に支配する圧倒的空気感は、美桃や零だけではなく、その場にいるすべての人間に伝播し、身動き一つできないほどに彼に引き込まれていく。



 そして、一時間という時間があっという間に過ぎ去り、勝負の決着がつく。治乃介の勝利であった。



 しかし、彼にとっては終わりではなく、ここからが苦難の始まりでしかなかったのである。




 〇×△




 治乃介が大吾との小説対決を行っている同時刻、文芸高校の棟内にある多目的室にある人物がいた。



「ん? これは……」



 それを見つけた人物は、画面に映し出された名前を見て、その口端を吊り上げる。

 そこにあった名前こそ【文豪寺治乃介】という名であり、それを見てにやりと笑った人物といえば、彼の正体を知る数少ない人間である早乙女乱菊である。



「先生も、この学校の勢力闘争に巻き込まれ始めたみたいね」



 誰にともなく呟くように乱菊が口にする。それは、学校内にあるレインボークリエイターズのことを指しており、校内にある七つのグループ派閥に目を付けられたことを意味する。



 しかしながら、乱菊がそれを憂うことはない。なぜならば、その七つの派閥の上位に位置する存在として文芸部があり、彼女はそこの実権を握っている顧問であるからだ。



「オレンジパンサーとやり合ってるってことは、彼は今理科準備室にいるのかしら?」



 治乃介の直接的な勧誘に失敗した彼女だが、十回や二十回断られた程度で諦めるような人間ではなく、彼をなんとか文芸部に引っ張ってこれないかと画策する日々を過ごしていた。



 特に、彼が新進気鋭のラノベ作家【無名玄人】だと知ってからは、ますます彼に対する執着が強くなっており、それを校長がなんとか押さえ込んでいる状態なのだ。



 本来なら、今すぐにでも彼の元に行って彼を応援したいが、彼女の立場上一人の生徒を贔屓にすることは教師としてはあまり褒められた行為ではないことも理解している。



「嗚呼、これが先生の書いた作品……」



 そう言いながら、乱菊はパソコンの画面を指先でそっと撫でるように這わせる。まるで愛しいものを愛でるかのようなその行為は、傍から見れば美しい所作ではあるものの、内に秘めたる邪な思想は、実にどす黒いもので支配していた。



 物語に登場する人間は、見目の美しい者ほど心に闇を抱えていることが多く、乱菊もまたその内にとんでもない野望を持っていた。



「いけないわ。中立な立場の顧問として、ここは公平な判断をしなければ」



 個人的な感情と教師としての中立を貫かなければならないという義務感がぶつかり合った結果、辛うじて後者が勝ったようで、まずは対戦相手の牙山大吾の小説を読むことにする。



 さすがの序列第七位ということもあって、その表現力は見事なものであり、その文章についても輝くものがあった。



 しかしながら、ある箇所を境に何やら乱れが生じており、一体何があったのだろうと疑問に思わせる部分があったが、特に大きな違和感にはなっていない。



「次は、先生の小説を……」



 大吾の作品を読み終えた乱菊は、掲示板のリンクをマウスでクリックする。その瞬間、まるで幻覚に襲われたかのような光景が目の前に広がっていた。



「こ、これは!?」



 その光景は、ある一定の才能ある者しか見ることができない光景であり、その基準をクリアしている乱菊の目の前には、いくつもの桜の木が並ぶ大地が目に飛び込んできた。



 その並木道のようになっている桜木のアーチを抜けると、桜の木に囲まれた広場があり、そこにはチューリップ・ツツジ・スズラン・ナデシコといった春の花が咲き誇っており、それは春の訪れを祝福するかのような光景だった。



「す、素晴らしい……これが、あの人の世界」



 治乃介の小説を読み終えた乱菊の頬を一滴の涙が伝う。彼の小説を読んだ彼女が、あまりの光景に感動し涙を流したのだ。



“人の心を感動させることができるのは、人の心だけである”ある漫画に登場する美食家が口にした台詞であり、まさに今の乱菊は治乃介の小説によって感動を覚えていた。



「やっぱり、私には先生しかいない」



 涙を拭いながら、乱菊は改めて自分にとって治乃介という人物が特別な存在であることを再認識すると共に、彼に対する執着心がますます強くなっていくのを感じた。



 第三者から見れば完全にこじらせてしまっているのだが、人間とは得てして自分が異常であるという自覚のないまま行動する生物であり、時には他者の意見の方が間違っていると暴論を振りかざすこともある。



「先生……先生……先生、先生っ、先生先生、先生ぇー!!」



 先生という言葉を連呼しながら、投票するボタンを連打する姿は異常以外の何物でもないが、本人は至って自分が正常であると思っており、周囲の人間もそれを指摘するということをしないため、彼女が自分の異常性を理解することはない。



「こうしちゃいられないわ。急いであの人のところに!」



 高ぶった気持ちを一旦落ち着けると、まだ校内に残っているだろう治乃介のもとへ向けて、乱菊は進撃を開始したのであった。

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