25話



 乱菊が説明によると、新学期が始まってすぐに彼女はとある生徒を発見する。

 その生徒が、自分と似た存在であることを本能で察知した彼女は、先日の部活動の説明会でカメラ越しで思念を送ったそうだ。



 だが、いつまで経っても件の生徒が現れることはなく、それに伴って彼女の機嫌が徐々に悪くなっていったというものであった。



「なるほどのぅ。そういうことであったか」


「あれだけ強く念じたのに、見学にすら来なかったです……」



 自信があったのか、圭吾朗の言葉に乱菊は肩を落として意気消沈する。

 先ほどまで覇気をまき散らしていた人物とは似ても似つかない姿だ。



 文芸高校における部活の立ち位置は、基本的には生徒は自由に部活を選択することができる。

 もちろん、どの部活にも所属しないという選択もあり、すべては生徒に委ねられているのだ。



 もちろん、顧問や部活に所属している生徒が勧誘活動を行うことも認められているが、あくまでも生徒の意志を尊重したかった乱菊は、この数週間の間件の生徒との接触を断ち、勧誘活動も一切行わなかったのである。



 唯一の勧誘活動は、最初の部活紹介の時にその生徒に向けて送った思念だけであり、それ以外は何もしていない。



 その話を聞いて、圭吾朗は両極端が過ぎる乱菊に呆れたが、それもまた彼女の長所であると思い直し、ちょっとした助言を口にした。



「であれば、直接勧誘してみてはどうじゃろう?」


「ですが」


「まあ、無理強いはしないが、もしその生徒が他の部活の勧誘によって他の部に所属していたら、もはや手遅れということも――」


「……なんですって?」



 圭吾朗の言葉に、乱菊は改めてその可能性を見い出さなかったことに思い至る。



 彼女はまだ二十六歳ということもあって、実質的な教職員としての雇用期間はまだ精々数年というところだ。その短い期間の中で、彼女が何か他人に頼みごとをした際、断られることはほとんどなかった。



 絶世の美女ということもあって、異性の生徒や同僚の教職員からはもちろんのこと、同性の女子生徒や教職員からも断られた経験が皆無であったのだ。



 そのため、乱菊は自分のお願いを断る人間などいないという勘違いをしてしまっていた。そして、その件の生徒もまた同じように、自分が勧誘すれば断らないと思い違いをしていたのである。



 だが、その生徒が自分と同類であるならば、普段断られたことがない頼みも断る可能性があることに思い至った。そして、すでにその生徒がどこかの部活に所属しているという可能性も……。



「私の文豪寺治乃介が、他の部活に所属するですって……」


「君のではないぞ? 早乙女先生?」


「キッ」


「すいません、生意気言いました」


「こんなところで油を売っている場合じゃなかったわ! そうとなったら――」



 まるで、その生徒が自分の所有物であるかのように話す乱菊を諫めようとした圭吾朗であったが、すぐに睨み返され、反射的に謝ってしまう。



 先ほどまでの威厳はどこへ行ったのかという手の平返しに、校長としての尊厳もへったくれもなかったが、そんなことは意に返さないとばかりに、乱菊はどこかへ走り去ってしまった。



 乱菊が職員室を出ていくのとほぼ同時に、授業の終わりを告げるチャイムが鳴る。そして、その数秒後にピンポンパンポンという呼び出し音が鳴ったと思ったら、スピーカーから乱菊の声が聞こえてきた。



『一年F組、文豪寺治乃介君。一年F組、文豪寺治乃介君。昼休み、職員室まで来るように。繰り返します……』



 思い立ったが何とやらと言わんばかりに、乱菊はその足で放送室へと向かい、さっそく件の生徒を呼び出した。

 そのあまりのフットワークの軽さに、圭吾朗を含めた職員全員が呆然とする中、彼がぽつりと呟く。



「やれやれ。まったく、最近の若いもんは……。それにしても、文豪寺か……。ふっ、時が経つのは早いものじゃて」



 こうして、文豪寺治乃介と早乙女乱菊のリターンマッチが繰り広げられることとなったのである。





 〇×△





「失礼します」



 そして、その日の昼休み。昼食を終えた治乃介は休み時間の呼び出しに従って、職員室へとやってきた。

 そこには、昼食を食べている職員や、昼休みでも作業を行っている職員などがいたが、治乃介が職員室に入ってきた途端、その場の音が一瞬消える。



『キ、キタァー!!』



 先刻の圭吾朗と乱菊のやり取りを聞いていた職員は、彼女に呼び出された生徒が一体どんな人物であるか気になっていた。

 そして、そんな中昼休みに職員室へとやってくる生徒の数はあまりいないため、入ってきた生徒が乱菊のお目当ての生徒であることはすぐに理解できた。



 先ほどまで多少ではあるが騒がしかった職員室が、一瞬にして静寂に包まれたことに対して、治乃介は胡乱気な表情を浮かべた

 だが、すぐに元の職員室の様相を取り戻したため、気にすることなく室内へと入る。



「待っていたわよ文豪寺君」


「あ、変人先生」


『おいおいおいおいおい!!』



 治乃介が乱菊の姿を認めたその時、思わず口をついて出てしまった呟きに対し、室内全員が心の中で突っ込みを入れる。



 そんな奇妙な呼び方で乱菊を呼ぶ人間など今までおらず、彼の言動に全員が唖然とする中、一人だけその場の空気とは全く異なる反応を見せる者がいた。言わずもがな、早乙女乱菊である。



「……ふふっ」


『わ、笑ったぁぁぁぁぁあああああ!?』



 変人と呼ばれたにもかかわらず、憤慨するどころか寧ろどことなく嬉しそうな表情を浮かべる乱菊に、周囲も困惑する。

 しかしながら、職員室にやってきた治乃介を呼び出したのは乱菊であるため、二人の間に入る者は誰一人としていなかった。



「とりあえず、こっちにいらっしゃい」



 周囲が二人の様子に注目する中、乱菊はやはり自分の感性が正しかったことに歓喜する。

 どこか他の人間と異なる治乃介という存在が、まるで希少性の高い宝石を見つけたような、某国民的RPGに登場する金属質のメタルでキングなスライムに出会った時のような、特別な出来事に直面しているという感覚を乱菊は覚えた。



 その嬉しさに、治乃介の手を取ってそのまま連れて行こうとした乱菊であったが、それは彼が彼女を警戒するあまり距離を取ったことで、彼女手が空振りとなる形で失敗してしまう。



 それを見ていた職員たちも、あの早乙女先生がここまで積極的に生徒と関わろうとするというレアな場面に遭遇していることに驚きを見せていたが、そのまま隣の部屋に設置されている校長室へと連れていかれたため、その場面を見続けることは叶わなかったのである。



「よくきたのぅ、文豪寺君。さっそくじゃが、そこに座って楽にしてくれ」


「はあ」



 校長室には当然ながら圭吾朗もおり、室内にあったソファーに座るよう促してくる。



 あれから、職員室に戻ってきた乱菊を捕まえて、お目付け役として自分の眼前で部活の勧誘をするよう取り付けていたのだ。

 今の彼女が不安定な状態にあることは明白であり、それを止めることができる唯一の存在として、自ら面倒事を引き受けたのである。



(ふむ、こやつが文豪寺治乃介か。確かに、あの小僧にどことなく雰囲気が似ておる。目は母親似じゃな)



 治乃介の姿をそれとなく観察した圭吾朗は、内心で自身が若かりし頃に受け持った二人の生徒のことを思い出していた。

 しかしながら、今はそんな懐かしい気持ちに浸っている時ではないため、すぐに目の前の問題を解決するべく、彼はゆっくりと本題に入った。



「お主を呼び出したのは、ここにおる早乙女先生が、お主を部活に勧誘したいと言ったからでな」


「部活?」


「あなたには、他の人とは違う何かを感じるの。それは特別なもので、伸ばした方がいい才能だわ。だから、私が顧問をやっている文芸部に入部しない?」


「……」



 何かと思って来てみたら、ただの部活勧誘だったことに治乃介は拍子抜けする。

 てっきり、もっと何か重大な校則違反をしたとか、自分が無名玄人という作家をやっていることがバレたのかとも考えたが、どうやら違ったようで、人知れず内心で胸を撫でおろす。



 となってくればだ。次に問題となるのが、勧誘に対しての返答となるが、治乃介の答えは一択である。



「お断りします」


「なぜ? 悪い話ではないと思うのだけれど?」


「俺にとって必要がないからです」



 現在、治乃介は母親のみゆきと二人で暮らしている。そして、その住居の家事すべてを担っているのが彼であり、文豪寺家の家政婦なのだ。



 そういった意味では、彼が部活をやっている暇などはなく、必然的に帰宅部にならざるを得ない。そして、部活よりも家で家事をやっていた方が有意義だと考えてしまっているため、部活というものに魅力を感じなかったのだ。



「そんなこと言わずに、せめて見学に来てみない?」


「いえ、結構です」


「いいじゃないのー、ちょっとだけ、先っちょだけだから!」


「はい、ストーップ! そこまでじゃ!!」



 当然だが、治乃介は乱菊の勧誘を断った。だが、それでも諦めずに彼女がしつこく勧誘してきたことと、何やら言動が怪しくなり始めたタイミングで、圭吾朗が割って入る。



 執着……それは、大小様々な感情から為す想いであり、小さいものだと子供の頃から部屋に飾っているぬいぐるみから、大きなものだと人や生き物といった具合だ。



 恋愛という感情もまた一種の執着だが、乱菊のそれはさらに異質で強いものへと変化していた。



「いいから、あなたは私の言う通りにすればいいのよ!!」


「文豪寺君、話はこれで仕舞じゃ! ここはわしに任せて、お主はここから去れ!!」


「は、はい!!」


「待てぇぇぇぇぇえええええ!!」



 第三者の目線から見れば、美人が狂ったように人や物に執着する姿は一種のバラエティ性があり、シュールな笑いとして映るだろう。だが、実際に感情を向けられている相手からすれば、恐怖の対象以外の何物でもない。



 身の危険を感じ取った治乃介は、乱菊から距離を取る。それと同時に、圭吾朗は彼女を後ろから羽交い締めすると、治乃介に退室を促した。



 まるで狂った人形のように治乃介に手を伸ばしてくる。その執着心は恐るべきもので、明らかな狂気に満ちていた。



 初めて同類に出会えたことで、治乃介に対する所有欲が出てしまった乱菊は、歯止めが利かなくなってしまったようだ。



 それは、恋愛の嫉妬心とよく似た感情で、特定の人物の興味を自分だけに向けさせたい、自分だけを見てほしいという凝り固まった感情であり、ある意味では狂気染みたものだ。



 今までそのような感情を持ったことがなかったが故に、乱菊のそれは今まで栓で蓋をされていたものが勢い良く溢れ出てしまったかのような状態であった。



「私は絶対に諦めないからな!! 覚えていろ、文豪寺治乃介ぇー!!」


「やっぱ、あの先生おかしい」



 変人先生から変態先生へと治乃介の中で昇華した乱菊の声が、校長室から聞こえてくる。

 その声から逃げるように、治乃介はその場を後にした。



 その日、早乙女先生が乱心したという噂が広まり、早乙女伝説に新たな一ページが追加されることになった。



 そして、治乃介にとっては残念なことに、これで完全に乱菊に目を付けられることになってしまったのであった。





【作者の一言】



 ちなみに、この作品が書籍化された暁には、今回の話に出てきた乱心した乱菊を校長がどうやって正気に戻したかという話が書き下ろしSSになります。



 その話が読みたいという方は、まあ……書籍化されるよう祈っておいてください( ̄д ̄)ノシ

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