13話



「これ、とりあえず二巻分の原稿」


「はいはーい! 有難くちょうだいいたしまするぅ~」


「……」



 治乃介が文芸高校に入学し、特にこれといったイベントも起きることなく、何事もない学校生活が始まって一か月が経過する。



 あれから、平日学校が終わったあとの家にいる時にできた空き時間や休日などを利用して、治乃介はすでに販売されている自身の書籍の続編となる話を書き上げた。



 ちなみに、部活についてだが、あのあと美桃・健一・咲のよく話をするメンバーと一緒に見学という形でいろいろな部を連れ回されたが、結局これといった部はなく、どこの部活にも入部せず帰宅部をすることにしたようだ。



 その見学の折、文芸部にも立ち寄ろうとしたが、あの妙な教師が顧問をやっている部活ということもあって、何かに理由をつけて見学することなく、そのまま逃げるように治乃介は帰宅した。



 この一か月という期間、彼の処女作である例の作品は、その後も人気となり、新人としては異例中の異例でさらに追加の重版が決まったのだ。



「それにしても、私の目に狂いはなかったわ! 初版が五万で追加の重版で十万。そして、さらに追加の重版で二十万部よぉ~。しかも、まだ本決まりじゃないけど、さらにさらに追加の重版で十五万部を追加するって話も出ているわぁー。合計すると、五十万部になるわね。笑いが止まらないとは、まさにこのことだわさ! おほほほほほー」



 治乃介から受け取った、原稿のデータが入ったUSBメモリーを両手で掲げながら、年甲斐もなくくるくると踊り回るみゆき。

 そんな姿を見た治乃介はといえば、珍しくご機嫌な彼女の姿に冷ややかな目を向ける。



 治乃介の書いた作品は話題に話題を呼び、フォロワー数の多い有名インフルエンサーたちにも取り上げられたことで、その販売数は爆発的に増えていった。



 そして、それを読んだ人間の口コミがSNSを通じて拡散し、更なる相乗効果によって彼の作品の名は各方面に知れ渡ることになったのである。



「さっそく、校正作業を行わなくっちゃ! あと、次の挿絵の作業も考えなくちゃね! 忙しくなるぞぉー!! ということで、私は今から仕事に向かいまぁーす。ということで、おあとよろしく! 行ってきまぁーす!!」


「あーはいはい」



 小説や文章を扱う仕事でよく耳にする校正という単語だが、あまり一般では知られていない言葉である。

 校正とは、誤字脱字や英語のスペルミス、表記ゆれ、文章の構成や文法の使い方、内容に矛盾が起きていないかなどを確認して、正しく修正する作業または業務のことを指す言葉であり、主に出版社に勤める社員が行うものである。



 たまに、確認漏れで間違った文法や誤字脱字のチェック漏れが存在することもあるが、そいうのも味があって、一部の読者の間では間違い探し感覚で楽しんでいる上級者も存在するほどだ。



 浮かれる母親の姿を見送りながら、治乃介はそれほどまでに喜ぶことなのだろうかと内心では首を傾げていた。

 ある一定の才能のある人間というものは、自分にしか持ち合わせていない能力であるにもかかわらず、その能力が大したものではなく誰にでもできることであると認識する傾向にある。



 治乃介の持つ特異な文才もまた同じであり、彼自身が己の持った特別なものがオンリーワンな存在であるのかということに半信半疑であったのだ。



「今週の英雄社一押しのラノベはこちら! 美桃桜子原作【断層の一片(ひとひら)】!! そして、先週に引き続き、大型新人現る!? 無名玄人原作【勇者伝説(ブレイバーズレジェンド)】!!」


「……」



 ふとテレビの電源をオンにすると、ちょうどCMだったようで、英雄社のCMが流れてくる。

 そして、未だ慣れない呼び名である無名玄人という名前と、幼き頃――と言っても、実際は数年前だが――にかつて自分が初めて執筆した聞き覚えのある小説のタイトルがテレビから聞こえてくる。



 そのことに違和感を感じながらも、その内容を聞いて本当に自分が書いた小説が世に発表されているという事実に、治乃介の中で何とも言えない羞恥心が沸き起こってくる。



 小説家にとって自分の作品を見られるというのは、自身の尻の穴を見られるくらいに恥ずかしいことであるとよく聞くが、治乃介もその例に漏れず、羞恥心に悶えていた。



「何が、大型新人だ。母さんめ、余計なことをしてくれたものだ」



 すでにその場にいなくなった肉親に悪態を付きつつも、もはや賽は投げられた状態であるため、あとは野となれ山となれ精神でやるしかないという諦めにも似た境地に治乃介は至り、盛大な溜息を吐いた。



「……買い物に行くか」



 こういう時は現実逃避が一番とばかりに、治乃介は気分転換に外へと出掛けることにした。

 今日は、土曜日であるため学校はなく、本来であれば平日に溜まっているであろう家事を好きなだけやれるという彼にとっては素晴らしい日なのだが、件の小説の件もあってか、その気持ちはすっきりとはしていない。



 それでも、気晴らしは必要であることと、もうそろそろ家にストックしてある洗剤などの雑貨類が少なくなってきているということもあって、手早く朝食を済ませると、治乃介は外へと出掛けることにした。



 休日ということもあってか、いつもより人の往来があり、休日のひと時を楽しんでいる人々の姿があった。

 そんな人々を一瞥することもなく、ただただ目的地へと迷いなく歩みを進める治乃介だったが、その道中大きな書店が目に飛び込んでくる。



 日之国屋書店、全国人気書店ランキングで常に上位にランクインし続ける人気の書店であり、この書店で紹介された書籍は売れるという作家にとっては無視できないほどに影響力を持った書店であった。



 治乃介の住む地域にはその本店があり、その近隣には英雄社の本社もあるということもあって、彼の住む地域全体がそういった業界の巣窟となっている。



 そんな場所であるため、治乃介……特に英雄社に勤めるみゆきは、今住んでいる場所を離れるつもりは毛頭なかった。

 治乃介は治乃介で、小さな頃から寝食を共にしている自分のテリトリーといってもいい場所を手放す気はなく、そういった意味では二人が今住んでいる場所を出ていくという選択肢はなかったのだ。



「相変わらず、でっかい本屋だな」



 治乃介がその日之国屋に差し掛かった時、その建物を見上げながらそんなことを呟く。

 彼とて本屋を利用しないというわけではないため、この書店には何度か足を運んだことがあるのだが、あまりの広さに目的の本を買うためにレジに辿り着くまで迷ったという苦い経験をしていた。



 そんなとりとめのないことを治乃介が考えていたその時、突然店先が騒がしくなる。

 何事かと視線を向けてみると、そこには一人の少女が何やら声を上げているようであった。



「ちょ、ちょっと放しなさいよ! あたしを誰だと思っているのよ!!」


「申し訳ありませんが、他のお客様のご迷惑となりますので、お引き取りください」


「あたしも客よ!」


「失礼ですが、店内で騒ぎを起こすような方は、当店ではお客様ではありません。お引き取りを」



 店のロゴが入ったエプロンを身に着けた妙齢の女性が、まだ十代半ばくらいの少女を店から追い出している。

 構図的に言えば、少女が何か店で迷惑行為を行ったために店から追い出される結果となったようだが、果たして彼女は一体何をしたのだろうか?



「ちょっと、目立つ場所に本を移動させただけじゃない」


「大変申し訳ないのですが、当店ではどの場所にどんな書籍を設置するかは決まっているのです。それを勝手に動かされるのは、立派な迷惑行為です」


「そんなこと、あたしに関係ないわよ!! いいから、あの本をあそこに置きなさい!!」



 少女が店員に抗議すると、店員も事務的に淡々とした丁寧な口調で店の方針を伝え、少女の行いが迷惑行為であることを伝える。

 彼女の言い分に、少女は納得しておらず、そんなことは関係ないと大声で叫ぶ。



「これ以上、騒がれるのでしたら警察を呼ぶことになりますが、よろしいですか?」


「ぐっ、わかったわよ! こんな店二度と来るもんですか!!」



 さすがの店員も騒ぎを大きくしたくなかったようで、少女に最後通告とばかりに、警察を呼ぶことを口にする。

 少女としても、ただ抗議しただけで警察を呼ばれるのは不本意だと思ったのか、去り際に文句を言って書店から離れていった。



 だが、少女が歩き出したのは、不幸にも治乃介がいる方向であり、騒ぎの一部始終を立ち止まって見ていたため、その少女と目が合ってしまった。



「なによ? 何か文句でもあるの?」


「いや、別に」



 改めて、話し掛けてきた少女を治乃介はさり気なく観察する。

 見た目は、遠目からでも認識できたが、十代半ばくらいの少女で、背丈は百五十センチに届かないくらいだ。



 艶のあるプラチナブロンドの髪を側頭部で結わえた、俗に言うツインテールな髪形をしており、その瞳は薄紫色でまるでアメジストの宝石をはめ込んだかのようだ。



 体型に見合った慎ましやかな胸は、彼女の雰囲気と実にマッチしており、おじさんが抱く感想としては“十年後が楽しみ”な少女であった。



「あんた、見たところあたしとそれほど歳が変わらないみたいだけど、高校生?」


「そ、そうだけど」


「ふーん、そう」



 唐突な質問に治乃介は戸惑いつつも、彼女の質問に答える。

 一方で、彼女は背負っていたリュックから何かを取り出したと思ったら、その取り出したものに文字を書き始めた。そして、書き終わるとそれを治乃介に向かって突き出してきた。

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