11話
時間は過ぎ去り、一森との約束から四日経過する。
放課後、誰もいなくなった教室には、治乃介と一森、そして治乃介の母みゆきの姿があった。
今日は治乃介の授業態度が悪いという名目で、保護者を交えた三者面談をすることになっている。
治乃介自身、自分の授業態度が悪いという自覚はなく、寧ろ授業に参加しているという意味においては真面目な部類であると自負しているほどだ。
だからこそ、なぜ自分が三者面談などということをしなければならないのかという理不尽さを感じており、本当に教育委員会に訴え出てやろうかと頭を過ってしまうのは無理からぬことであった。
「えー、ほ、本日はお忙しいところお呼び立てしてしまい。申し訳ないです」
「いえいえ、結構ですよー。それで、うちのおーちゃ……息子の素行が悪いとのことで三者面談をしたいとのことですが、そうなった経緯をお聞かせ願いますか?」
「は、はい。実は……」
途中普段の呼び方を口にしようとしたみゆきだったが、そこは真面目な場であるという自覚があったらしく、ちゃんとした体裁の整った言い方に直す。
普段はアレなところがあるものの、一流企業勤めのエリート社員ということもあって、こうした場でちゃんとした対応はできるのだ。
そんなことを思いながら、みゆきとともに一森の言い分を聞いていると、その内容は授業中に居眠りをしたというものであり、一見すると筋の通っているように思えるが、彼が事の経緯を説明し終えると、みゆきはここですかさず彼に問い掛ける。
「なるほど、先生は息子が授業中に居眠りをしたから授業態度が悪いと判断されたのですね?」
「え、ええ。やはり学校に登校している以上、真面目に授業を受けていただかなければと思いまして」
「では、ある例え話をしたいと思いますので、その話について相賀先生の忌憚なき意見をお伺いしたいのですが」
「はあ」
一森は内心で困惑していた。
それは、意外というかなんというか、治乃介の母親がここまでの美人であったということに対してだ。
年齢的には、一森が遥かに年下であるため、表向きは一定の態度で接しているものの、その実はそういった態度を取らざるを得ない何かを感じ取っていたのである。
そして、彼が提示した言い分にみゆきは淡々と事例を挙げて説明をし始める。もはや、当事者である治乃介は空気と化していた。
「例えば、とある会社に勤めるAとBの二人の社員がいました。Aは真面目で勤勉ですが、会社が月ごとに定めたノルマを達成できていません。一方Bは勤務態度こそ最悪ですが、会社が定めたノルマをきっちりと達成し、それに加えてさらに追加で利益を上げています。そんなある日、人員整理のため一人の社員を解雇しなければならなくなりました。候補に挙がったのは、AとBです。では、会社としてはどちらの社員を解雇するべきでしょうか? 勤務態度はいいが結果の残せないAか、勤務態度は悪いが結果を残しているBか?
この例えを生徒に当て嵌めるのなら、授業態度は良いがテストで赤点を取る生徒Aと授業態度が悪いが常に高得点を収めているBといったところでしょうか。相賀先生はどちらの生徒をより評価しますか? 赤点を取る生徒? それともテストで高得点を取る生徒? 先生の意見をお聞かせください」
「……」
まさに圧倒という言葉がこれほど似合う状況もなかった。
確かに、みゆきの言うように社会ではプロセスよりも結果がより強く求められる傾向にあり、それがすべてであるといっても過言ではない。
どれだけ真面目に働いていようとも、それが結果として伴っていなければ真面目な勤務態度が評価されることはない。
その一方で、勤務態度は悪いがしっかりと結果を残す人間は、処世術や他人とのコミュニケーション能力が高く、実質的に会社が求めているスキルを持っている場合が多分にあるのだ。
世の中数字と結果がすべてである。
結婚願望のある女性が結婚相談所に登録し結婚の相手を探す時、人柄よりも年収で見る場合が多いのと同じように、逆に男性が相手を容姿ではなく年齢で見ている場合が多いのと同じように、世の中は数字が良い方、結果が良い方を選ぶ傾向あるのだ。
先のみゆきが挙げた例で言えば、赤点を取る生徒と高得点を取る生徒の二者であれば、結果を重要視した場合、後者が評価されるのは当然のことだ。
例えそれが、普段の授業態度や素行が悪いなどの多少の問題を抱えていようとも、テストで点を取っている以上、学校側としても好成績を付けざるを得ない。
「うちの息子がテストで高得点を取れるとは言いません。ですが、授業態度が悪いからといって必ずしも不良なのかと問われれば、私は違うと思います。それぞれご家庭の事情もあるでしょうし、ご家庭の環境如何によっては、学校生活に支障をきたしてしまう可能性もあるのではないですか?」
「そ、それは……」
「では、例え話その2です。ある生徒には病気がちな母親がいました。いつも床に臥せっていて家のことはおろか働くこともままなりません。そんな母親を看病しながら、その生徒は家事や生活費を稼ぐためにバイトを掛け持ちする日々が続き、自分の睡眠時間を削って家ことや母親の看病などすべてのことをやっていました。そんな状態の生徒が、学校で授業中に居眠りをしてしまいました。相賀先生? そんな事情がある生徒が、授業中に居眠りをしてしまうことは仕方のないことだとは思いませんでしょうか? それとも、仮にそういった事情があったとしても、授業中に居眠りをしてしまうということは、先生にとって授業態度が悪いということなのでしょうか? お答えください」
「……」
まさに、オーバーキルである。
“授業中に寝てはいけない”というのは、あくまでも授業を聞き逃してしまったことで勉学に支障をきたす可能性があるかもしれないという学校側の事情であり、そこに法的拘束力は一切ない。
仮に校則で決まっていたとしても、生徒の家庭事情を鑑みない校則を守る必要性があるのかと問われれば、そんな必要はなく、端的に言えば“無用の長物”に他ならないのだ。
みゆきが挙げた事例の他にも、睡眠障害を持っている生徒もいるだろうし、それ以外の事情で睡眠時間を確保できない場合もあり、例を挙げればきりがない程に存在するだろう。
それで素行が悪いと言われてしまえばそれまでだが、学校の校則を遵守した結果、家庭が崩壊しましたでは話にならない。
学校は、あくまでも勉学する場所であって校則を守る場所ではないのだ。
「もういいよ母さん、十分だ」
「そう、これからが楽しく……じゃなくて、重要な話になってくるんだけど」
「……」
思わず本音の漏れたみゆきに、治乃介の冷たい視線が突き刺さる。
この親にしてこの子ありの逆で、この子にしてこの親ありと言わんばかりなみゆきの言動だが、一応はやり過ぎだという自覚はあったようで、ひとまずは治乃介の制止を受け入れた様子だ。
「先生、俺が何故先生の面談を拒否しなかったかわかるか? 俺に余計なことをすると、コレが黙っちゃいないっていうのを伝えたかったからだ」
「ちょっと、親に向かってコレとは何よ、コレとは」
「じゃあ、アレ」
「変わらないじゃないっ!」
みゆきが一森に再び詰め寄ろうとする中、治乃介はこれ以上は必要ないと判断する。
そして、一森に対して自分が今回の面談を断らなかった理由を話した。
遅かれ早かれこういった展開になることを治乃介は理解しており、彼がそう結論付ける出来事が中学にも起こっていたからだ。
当時、入学したばかりの治乃介のクラスを担当した教員が、巷では有名なパワハラ教師であり、男子には暴力女子にはセクハラという傍若無人の限りを尽くしていた。
そして、不運にも次のターゲットにされたのが治乃介であり、しばらくはその教師の脅威に晒される日々が続いた。
だが、ある日を境にそれがピタリと止み、高圧的だった教師が治乃介に怯えるようになっていった。
当時はなぜ教師の態度が急変したのか理解できなかったが、気付いた時にはその教師は学校を辞めており、さらには校長並びに周辺一帯の学区を担当する教育委員会の教育長も立て続けに辞任する事態にまで発展した。
あとになって知ったことだが、なぜ教師たちが立て続けに辞めていったのか?
その原因が、治乃介の母みゆきにあることが判明した。
みゆきは英雄社の副編集長という肩書を持っており、ゴシップなどを掲載するマイナーな出版社から、果てはテレビ関係者の上層部にまで顔見知りがいる。
そのコネクションを利用し、ゴシップ記事を各週刊雑誌に実名は伏せた形で掲載させ、さらには当時のワイドショーのプロデューサーと結託して、このことをテレビで報道させたのである。
SNSが普及するこの時代であっても、雑誌やテレビの情報伝達の力というものは侮れず、瞬く間に該当する学校と教師が特定されてしまい、さらにはその事実を認識していたにもかかわらず、対処を怠った教育委員会に非難の声が殺到したのである。
そうなれば、当然だが件の教師は白い目で見られ、外を歩くにも人目を憚らねばならず、それは学校の責任者である校長や教育委員会の教育長も同じであった。
一連の騒動はさらに加速し、最終的には当事者である教師並びに学校の校長と教育委員会の教育長がその責任を問われ、全員が辞任するという結末を辿ったのである。
その顛末を引き起こした犯人がみゆきであると知った治乃介は、息子ながら彼女が持つ力に恐れ慄いたと同時に、自分一人のためにそこまでするのかと呆れたが、そのことを指摘された本人は「息子が酷い目に遭っているのに、黙っている母親がいますか!!」と頬を膨らませて憤慨したというエピソードが残っている。
何にせよ、みゆきは優秀な編集マンであると同時に、業界では“絶対に敵に回してはいけないパンドラの箱”と認識されており、彼女の前では有名な政治家や芸能関係の大物VIPですらへりくだった態度を取るという都市伝説がまことしやかに語られていたのであった。
そして、今回の件で以前治乃介に対して酷い目に遭わせた教師と同じ匂いを一森から感じ取った彼は、前回と同じ轍は踏むまいと先手を打つ形で彼とみゆきを引き合わせたのである。
「ということがあったから、以前みたいなことにならないようにするために、先にうちの親を見せておこうと思ったわけだ」
「……」
治乃介から事情を聞いた一森は、治乃介と同じように恐れ慄く。
そんな相手と対峙してしまったことに対する後悔と、そんなとんでもないことを軽々とやってのける治乃介の母親は一体何者なんだという、当然の疑問の感情が浮かんだ。
一森の顔色で彼が何を考えているのか察したみゆきは、改めて自分の身分を明かすべく、彼に名刺を差し出した。
「申し遅れましたが、私はこういうものです。ある出版社のしがない編集社員をやっております」
「は、はあ……って、英雄社といえばあの天下の英雄社じゃないか!? しかも、そこの副編集長!?」
みゆきの謙遜したような物言いに治乃介と一森の心の声が重なった。“どこがしがない編集社員だ”と……。
「というわけで、先生も気が済んだだろうし、もう終わってもいいですよね? 面談」
「あ、ああ。以後気を付けるように……」
まだ言いたいことはあったが、不気味なほどに妖艶な笑顔を張り付けているみゆきの前にそう言わざるを得なかった。
治乃介の説明を聞いて、これ以上彼女の地雷を踏み抜くほど、一森は空気の読めない人間ではない。
それに、今までの教師人生で培ってきた勘が物語っていた。“これ以上、彼女に逆らってはいけない”と……。
それから、半ば強制的に面談を終了する形となったが、治乃介と一森の勝負は治乃介の母みゆきによる完全勝利という決着となった。
「母さん、言っておくけど、これ以上先生に余計なことはしないように」
「えぇー」
「えぇ、じゃない。もし、これ以上手を出すって言うなら……。例の件は、なかったことにさせてもらうよ?」
「くっ、そこでそれを持ってくるのは卑怯じゃないの。おーちゃん?」
「……」
一応念のため、治乃介はみゆきにこれ以上一森に何もするなと釘を刺す。
どうやら、その予想は当たっていたようで、みゆきは治乃介に抗議の声を上げた。
しかしながら、十数年も一緒に住んでいる相手だけあって、治乃介が小説を書かないことを仄めかすと、さらに抗議の声を上げる。
それが最も効果的であると、彼は理解しているのだ。
「わかったわよっ! これ以上、相賀先生には何もしないわ」
「校長や教育委員会の人間にも手を出すなよ?」
「ちっ」
「手を、出すなよ?」
「はあ、わかりました」
みゆきの返事に含みがあることを察知した治乃介は、さらに周囲の人間にも手を出さないことを約束させる。
これで、みゆきは完全に一森やその周囲の学校関連の人間には手を出せなくなってしまった。治乃介が許可を出さない限り……。
「それじゃあ先生。今日のところは、これで。ほら、母さん行くよ」
「ちょっと、おーちゃん。わかったから、そんなに押さないでちょうだい」
「あ、ああ」
これで今回の件は終わったと見るや、治乃介は一森に一言声を掛けると、みゆきの背中を押しながら部屋を出て行ってしまった。
嵐のような出来事が過ぎ去り、呆気にとられる一森であったが、ここで冷静さを取り戻した彼はあることを思い出す。
「待てよ、英雄社の副編集長ってことは、文豪寺の母親って、まさかあの伝説の神絵師みゆっきーさん!?」
治乃介の母、みゆきがイラストレーターとして活動していた頃【みゆっきー】というペンネームで仕事を受けていた。
その人を引き付けるイラストは、見る者を魅了し、それは現役を退き自身が担当する作品のイラストしか描かなくなった今でも、変わらない。
みゆきことみゆっきーが英雄社に就職し、編集マンとして自分が担当する作家のイラストを自らの手で描いているということは、ファンの間では有名な話であったため、一森も英雄社にみゆっきーがいることは知っていた。
そして、いつの頃からか風の噂でみゆっきーが副編集長に昇進したという噂も広まっており、この話も割と有名であったが、みゆきの追及に冷静さを欠いてしまっていたことで一森はそのことを失念していたのである。
「まさか、みゆっきーさんがあんな美人だったとは……」
治乃介の母親がみゆっきーだと知った途端、まず浮かんだ感想がその容姿の美しさである。
確かに、アラフォーという一森から見て年齢的にはかなり年上の女性だ。だが、年齢に不釣り合いなその見た目の美しさと妖艶さは、未だ若輩と称される一森のハートを鷲掴みにするには十分な魅力を多分に含んでいた。
「こりゃ、マズったな」
治乃介に喧嘩を売ったことをここで初めて一森は後悔する。
だが、後に悔いると書いて後悔と読むように、自身の行動を後になって悔いたところで遅いのだ。
「また……会いたいな」
完全なる一目惚れといっていい一森は、起こったことを悔いるよりも、これからどうすべきかを考えることに思考を傾けることにしたようだ。
それから、しばらくみゆきのことを考えていた一森だったが、気付けば辺りが暗くなっていることに焦り、急いで教室を片付けて仕事に戻るのであった。
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