処女作を母に勝手に書籍化された

こばやん2号

プロローグ


 神旧暦705年、世界の覇権を握ろうと魔王が人類圏に軍勢を差し向け、侵攻を開始する。

 事態を重く見た各国は魔王に抵抗するべく、史上類を見ない大規模な連合軍を編制する。



 一進一退の攻防が続いたが、その軍配は辛うじて人類側の勝利という形で決着した。

 だが、魔王の侵攻によって世界の三分の一にも及ぶ人類が死滅してしまう事態となり、世界は未曽有の危機に瀕していた。



 戦いに勝利したものの、魔王そのものを倒したわけではなく、あくまでも魔王軍を退けたに過ぎない。

 魔王が軍を再編し、再び侵攻すれば人類側はひとたまりもないだろう。



 そんな中、人類側に希望とも言うべき神からの神託が降ろされる。



“魔を統べる王が猛威を振るう時、かの王を討つ勇者現る……勇者は七が重なる神旧の年、水にまつわる国に生まれるであろう。勇者はその手の甲に神の証である丸い聖紋を持つ”



 人々はその神託に一筋の光を見いだす。

 そして、神旧暦707年。とある国のとある村に、元気な男の子が誕生する。

 手の甲に丸い痣を持つ少年はすくすくと成長し、成人となる十五になった。



 国王は少年を呼び出し、自身が選ばれし神託の勇者であることを告げる。

 少年は神託に従い、魔王討伐の旅へと赴くことになった。



「さあ、勇者よ。見事魔王を討ち果たしてみせよ!」


「……」



 少年は国王の言葉にただ一つ頷くと、故郷の家族と別れを惜しんだのち、旅立っていったのだった。



 この物語は、世界の命運を懸けられた勇者が数多くの困難に立ち向かい、魔王討伐を果たすまでの長ーい長ーいお話である。






 〇×△






「ふう、こんなもんかな」



 そう言いながら、少年は座っていた椅子の背もたれに体を預ける。

 少年の目の前にある机には、数百枚の原稿用紙があり、そこにはびっしりと文字が書かれている。



 どうやら、小説を書いていたらしく、よくよく見てみると、その内容は勇者が魔王を討伐するまでのサクセスストーリーであることが見て取れる。



 彼の名は、文豪寺治之介(ぶんごうじおさのすけ)といい、地元の小学校を卒業したばかりの十二歳だ。

 この春から、新たに中学生として実家から通える近場の学校に入学することになっているのだが、それまでの間彼はどう過ごすか悩んでいた。



 特にこれといってやりたいこともなかったため、治之介はなんとなしに鉛筆を手に取り、頭に思い浮かんだ話を原稿用紙に書き殴り始める。



 初めてにしては、特に思い悩むこともなくスラスラと原稿用紙が文字で埋まっていき、気が付いた時には書籍一冊分となる十万文字を超えていた。



 かなり集中して書いていたのか、体に火照りを感じる。

 窓から入ってくるそよ風が、ひんやりとして心地良い。



 治之介は、寂れたアパートの一室で母親と二人暮らしをしているのだが、今やっている仕事が佳境に入っているらしく、毎晩遅くに帰ってくる。

 そんな生活にすっかり慣れ切ってしまった治之介は、いつしか家のことを一人でやり始めるようになっていた。



 まだ小学生ということもあり、できることは少ないが、それでも自分しか家の管理をする者がいないということで、溜まっているゴミ出しや母親がいない時などの食事など、自分でもできそうなことを見つけて動いている。



 父親は治之介が生まれる前、母親のお腹の中にいた時に交通事故で他界しており、今は母一人子一人の二人三脚で生活をしている。



「俺も中学生か」



 誰にともなく呟いた治之介は、椅子にもたれながらぼーっと天井を見上げて物思いに耽る。

 先ほどまで小説を書いていたこともあって、すっきりとした頭でこれからの生活のことを考えていた。



 それは具体的なものではなく、ただただ漠然としたものでしかなかったが、この間まで小学生だった治乃介がそんな現実的なことを考えるのはどこか日常とはかけ離れた不自然さがある。

 それだけ、日々彼が送ってきた生活が特殊であったということの裏返しだろう。



「小説家か……いやいや、そんな甘い世界じゃない」



 先ほど一段落着いた原稿用紙に目を落とすと、ありもしない非現実的なことを口にしかけ途中でやめる。



 小説家……それは自らの手で物語を作り上げる創作物の担い手であり、人気の作家ともなれば数十万、数百万部という途方もない数の書籍が飛ぶように売れる。

 ただ物語を書くだけだと思いがちだが、無から有を作り出すことがどれだけ難しいことであるかを考えれば、決して楽な仕事ではない。



 治乃介もそれを小学生ながらも何となくは理解しており、すぐに現実的に考えて無理な話であると結論付け、今夜の夕飯のメニューは何にするかという思考に切り替える。



「うどんかそばか……。うん、ここはそばだな」



 夕飯のメニューが決まったことで、治乃介は椅子から立ち上がり台所へと向かった。



 その後、机に置いてあった原稿用紙は、彼の手によって押し入れの奥深くへと封印され、長い間誰の目にも触れることはなかった。

 だが、運命の神が悪戯でもしたのだろうか、よりにもよってそれを母親に見られてしまったのだ。



「あらあら、おーちゃんたら。まさか、こんなものを書いていたなんて」



 それが母親の目に入ったのは偶然だったが、この時治乃介が人生で書いた初めての小説を執筆してからすでに三年の時が経過していた。



 彼の小説を目にした母親は、穏やかな笑みを浮かべながらも遠い目をしてぽつりと呟いた。



「血は争えないとかよく言うけど、いずれこうなることになったのかしらね。ねえ、あなた?」



 そこには彼女一人しかいないので、その呟きを誰かに聞かれることはなかった。



 そして、遠い目をしていた彼女が急に艶めかしい唇を吊り上げると、まるで新しいおもちゃを見つけたかのように喜びながら意味深なことを口にする。



「こうしちゃいられないわ! あの人の息子が書いた小説……しかも他にはなさそうだから、処女作ってことになるわね。急いで編集長のところに行って然るべき手続きをしなければ。たぶんごねるとは思うけど、そこはいつもの肉体裁判……いえ、O・HA・NA・SHIをしなくちゃならないわね。ふふふ、楽しくなってきたわ!」



 そう口にしながら、彼女が片手の指をポキポキと鳴らす。

 どうやら、肉体裁判とは暴りょ……もとい、実力行使のことらしい。



 その数か月後、治乃介は中学を卒業し、春から高校へ通うこととなった。

 それと同時に一つの出版社からとあるライトノベルが発表され、その単純だが引き込まれるストーリーが話題となり、出版業界、小説家、読書家たちの間で密かに話題になり始めた。



 昔書いた小説が、母親によって勝手に書籍化されているとも知らず、治乃介は春から始まる高校生活に不安と期待を抱きつつも、新生活を迎えることになった。



 まさか、高校生になった途端、目まぐるしい日々が待っていようとは、この時の彼は知らなかったのである。

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