第18話 四百年の遺恨とこれからの希望

 墓熊は依然として元気そのものだ。おれは立ち上がってもう一度立ち向かっていく。奴の剛腕による攻撃をバックラーで受け流して腹に向かって剣を突き刺した。頑丈な体表を貫くようにガンガンと剣の先や柄の部分で奴の右脇腹に叩きつける。ほんの少しだが傷がつき始めてきた。もう一度攻撃しようとしたところを墓熊に身体を掴まれてしまった。


 おれを握る力が次第に強くなっていく。骨が軋むような音まで聞こえてきた。


「こんな所で喰われてたまるか……グワーッァァ⁉」


 激痛で意識が飛びそうだ。墓熊がおれを高く持ち上げてから口を大きく開いて食事の態勢に入った。もうダメかもしれない……そう思ったが、おれは墓熊の手からこぼれ落ちて地面に落下した。おれは地面に落ちていた剣を拾ってから体勢を立て直すとそこには目を抑えて狼狽えている墓熊がいた。


 いったい何が起きたんだ?すると墓熊の近くを隠れていたはずのバサンが飛んでいた。まさかバサンが奴の目を潰したのか!


「お前は最高の精霊だ」


 おれがそう言うとバサンは返事をしてから再び岩陰に隠れた。一方の墓熊は残った片目でおれを睨みつけており息が荒くなって興奮状態だ。


「そろそろ終わりにしようぜ。おれを喰おうとした罰を受けてもらうぞ!”グリンド”【衝撃波】」


 グリンドで天井を崩すと岩が墓熊の脳天に直撃した。奴がよろけている隙におれはさっき傷つけた右の脇腹に向かって剣を突き刺す。これだけじゃまだ足りない。突き刺した剣の柄に向かってグリンドを唱える。1回……2回、3回と回数を増すごとに剣はどんどん深く奴の身体に刺さっていく。


 一度、剣を抜いてから左手を傷口に突っ込む。奴を外から攻撃できないんだったら内側から倒せばいいんだ。おれは墓熊の内部からグリンドを何発も撃ちこむ。その度に墓熊は悲鳴を上げていく。


「だあァァッ――‼吹き飛べええぇ!」


 墓熊は腹を破裂させて完全に絶命した。しかし、おれ自身も最後のグリンドを撃ちこんだ瞬間に反動で腕を痛めてしまった。ギリギリ倒すことができたが傷が痛む。ポカラは外傷をある程度治すことが出来るが内側の傷を癒すことは出来ない。それが出来たところでどっちみち今は魔力切れで魔法は使えないんだけど。


 おれが足を引きずりながら荷物と魔法の燭台を取りに行くとバサンが何かを口にくわえながらこちらに飛んできた。


「バサン、ありがとうな助けてくれて。ん?それ手帳か」


 おれはバサンから古びた手帳を受け取ると右手で開いて中身を確認する。その手帳はどうやらリヒモー・プールネンという名前の四肢長族の男の手記のようだった。月日が経ってしまっているのか所々文字が潰れたり消えたりしている。


『私にはどうにも理解できないことがある。それは我々四肢長族が何故ここまで人間を嫌っているのかということだ。確かに約400年前に人間は四肢長族を迫害して住む土地と尊厳を奪った。これは許せない行為だがそれにしても人間を嫌いすぎている』


『私は何度か人間に出会ったが善良な人間が多かった。人間には悪いのもいるが良いのもいる。それは我々だけではないすべての種族がそうなはずだ』


『我々はもう一度人間との交流関係を築くべきだ。1000年前に英雄……が分断した世界を繋ぎなおすべきなのだ。四肢長族と人間は仲良くなれるはずだ』


 後は日記のような形で書かれていたが最後の部分だけ内容が他とは違っていた。


『どうやら私は嵌められてしまったようだ。私が人間との交流を持とうと声を上げてから私のことをよく思わない同族や他の亜人族の連中が私をこの洞窟に追い込んだ。ここには恐ろしい墓熊が生息していた。このままではもう助からないだろう。恐らく連中の背後には人間との繋がりを恐れている何者かがいる』


『願わくばこの目で世界が再び一つになるところを見たかった……。すまない息子たちよ、ふがいない父を許しておくれ。――歴史学者リヒモー・プールネン』


 この人は命尽きる最期の瞬間まで心の底から人々が変われることを信じて願っていたんだ。この世界における差別や偏見は根深いもので失くすには時間がかかるかもしれないがこの人の見たかった世界はとても崇高なものだ。


 おれはネクロベートの街に戻ることにした。街の入り口に来た頃には痛みで頭がガンガンとするし全身も傷ついて今にもぶっ倒れそうだ。だけどおれにはやらないといけない事がある。薬屋に入ると店主はとても驚いていた。


「……戻って来たんだな」

「ちょっとだけデカい怪物もついでにぶっ倒してきたぞ」


 そう言ってから机の上に氷蛾の鱗粉とリヒモーの手記を置いた。


「まさか本当に採って来るとは思わなかった」

「魔物がいるってこと知ってておれを送り出したのか?」


 店主は口をつぐんでしまった。図星だったからだろう。しばらく黙ったままだったがようやく口を開いて手記について聞いてきた。


「この汚い手帳はいったい何だ?こんなものは頼んでいないぞ」

「この街にプールネンという名前の一家はいるか?」

「ああ、プールネンさんなら知っているが」

「ならそれをその人たちに届けてくれ」


 おれは店をあとにしようと歩き出す。


「その手記は最期の最期まで人間を信じて歴史を変えようとした勇敢な男の生きた証だよ」

「…………分かった、届けておこう」

「それと、薬をくれてありがとうな!」


 おれは店を出てレイたちの待つ宿屋に向かった。宿屋の受付にレイたちのいる部屋を聞いてからその部屋に入るとそこには元気に回復した親友の姿があった。


 レイはおれに気づくなり駆け寄ってきて身体を支えてくれた。


「ディール、傷だらけじゃないか⁉何があったんだい」

「おつかいしてきただけだよ。死んでないから別にいいだろ」

「そういう問題じゃないよ。僕のせいでこんなことになって本当にごめん」


 レイは頭を深く下げた。


「謝ることじゃないだろ。それにおれだってきっと同じことをしたしレイもおれみたいに無茶するだろ」

「それはそうだけど……」


「何があったらそこまで傷つくのかしら、治療した方がいいわよディール。ほら、早く座って」


 おれはエルに出来る限りの治療をしてもらってからレイと一緒にその日は横になって過ごした。


 翌朝、目が覚めるとエルが薬を持ってきた。


「これ、薬屋の人が飲むようにって渡してきたわよ」

「あの人が?毒とか入ってないだろうな」

「よく分からないけど随分と反省してるような感じだったわ。それに調べてみたけど毒とかは入ってなかったわよ」


 おれは恐る恐る薬を飲んでみたが薬特有の苦み以外は特に感じず、身体の痛みが段々と引いていくのが分かった。おれもレイもだいぶ回復してきたところで再び仙郷の大図書館を目指して出発することにした。宿から出ると四肢長族から奇怪な目で見られたがもう慣れた。


 街から出ようとした時に薬屋の店主に呼び止められた。


「お前、具合は良くなったみたいだな」

「アンタにもらった薬のおかげでな」


 おれは手を広げて身体の傷がふさがっているのを見せる。それを見た店主の表情はどこか和らいだ感じがした。


「僕の薬もくださったんですよね。ありがとうございました!」

「気にするな、仕事をしただけだ」


「呼び止めてまで何の用だよ。世間話しに来たわけじゃないだろ」

「あの手記は届けた、家族はとても感謝していた。それと……私は人間を少しだけ誤解していたようだ。しかし、忘れるな少しだけだからな。先祖代々の怨恨は簡単には消えはしない」

「そんなこと分かってるよ。じゃあな、また会おう」


 おれが手を振って別れを告げると店主は恥ずかしそうにしながらもその長い手を振って送り出してくれた。


「今度こそ仙郷の大図書館に向かうわよ!」

「なんだか僕ワクワクしてきたよ。着いたら何の本から読もうかな~」


「レイはやっぱり歴史の本じゃないか?」

「そう言うディールは魔物の図鑑でしょ」

「正解!」


 レイはエルに感謝の言葉を伝えた。


「エル、看病してくれてありがとう」

「仲間が倒れてるんだから面倒見るのは年長者の務めでしょ。それに私が油断していたせいでもあるし」


 この一件でほんの僅かにこの世界が抱えている問題と歴史の闇に葬られた真実が見えてきた気がした。だけど同時におれたちの絆がより一層深まったような気もした。

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