第31話 天使の羽根【エンジェリック・フェザー】



「痴漢です、この人に痴漢されましたっ!」

 そんな声が響き渡った瞬間。俺を指さされる。


(痴漢って……トレイを持っているけど、どうやってさ?)


 しかも――お前を?

 思わず、面食らい――でも、その余裕すら与えてもらえなかった。


「おいっ! ふざけんな!」

「こんなトコで、痴漢とかって最低すぎん?」


「え? 痴漢って、誰が?」

「下河君?!」

下河シモ?!」


 調理班で一緒の、本馬さんと矢淵さんが、気にかけてくれる声が聞こえるが――それどころじゃない。


 ぐぃっ、と俺の手が引かれたかと思えば――トレイと、コーヒーカップが派手な音をあげて転がった。


 真っ黒な飛沫が飛ぶのが、まるでスローモーションのように見えて。


 悲鳴。

 ぐるんぐるんと、視界が回る。

 酷いことをするって思う。コーヒー豆も拘って、Cafe Hasegawaのマスターにブレンドしてもらったというのに。


 そんなぼやきも呟けないくらい、混乱した群衆にもまれて。そして無理矢理、引っ張られる。俺は乱暴に教室の外へと連れ出されたのだった。






■■■






「文化祭に便乗して、最低じゃねぇ?」


 階段の踊り場。その数8人に取り囲まれたら、それなりの圧迫感がある。そのウチの何人かに見覚えがあった。


 忘れるはずがない。

 だって、姉ちゃんにちょっかいを出してきたヤツだから。



 ――ごめん、花の水やりをしていたら、間違っちゃったわ。


 この9月。

 そう言って、ホースで姉ちゃんに水を撒いたヤツら。


 今と同じように、ニヤニヤと笑みを浮かべて。

 だから、あの時――俺は迷いなく、ホースを奪った。


 因果応報。

 同じように、あいつらに散水してやったことを、後悔していない。


「あの時はよくもやってくれたな」

「痴漢するようなヤツだもんな。流石は、病原菌の弟だ――」


 最後まで言わせない。片付け用にと、エプロンにしのばせていたタオルを口に突っ込む。こぼしたコーヒーを拭いて、使用済みだから堪能してくれたら良い。


「んがっ……てめぇっ!」

「お前、この人数でどうにかなると思っているのかよ?」

「……」


 俺は奴らを無言で、見やる。流石にどうにかなるなんて、思わい。ただ、姉ちゃんをバカにされて、平然とできるほど大人でもない。だったら、抵抗ぐらいしてやると拳を固めて――。


「下河、君のおかげで文化祭が台無しだよ」


 喧騒のなか。

 階段を登ってくる音が聞こえた。どことなく、楽し気に。そして、薄ら笑いを浮かべながら。COLORSカラーズの蒼司にふんした火花だった。


「……火花?」

「ガッカリだよ、下河。みんなで、協力して文化祭の模擬店を作り上げようとしたのに。まさか、本番当日に痴漢なんて。今なら、まだ引き返せる。相手にしっかり謝罪して。ココは俺が取り持つか――ら?」



 火花まで絶句するのは、どうしてか。

 でも――だよなって思う。


 姉ちゃんと同じ高校の制服。まぁ、そこは良い。1990年代後半から2000年代前半に流行したという、ルーズソックス。ムダ毛処理されていないすね毛。脂ぎった二重顎。そこから生えた髭。真っ黒に日焼けしたガテン系の人特有の肌。肩周りの筋肉――特に三角筋、僧帽筋が今にも、制服をはち切らんばかりで。


 痴漢は絶対にダメだって思けれど。この人に手を出したいって、思う人は皆無じゃないだろうか。


「……バ、バカ。峰村みねむら! お前、何やって。協力してくれる女子高生はどうしたんだ!」


「それが坊ちゃん。あいつ、アイドル喫茶のライブは絶対に観たいとか抜かしやがってですね。何でも、彩音ちゃんの振り付けはマジだから、って。意味不明っすよね? それで、急遽、ワシがメイクしたわけでして。へぃ」


「他に誰か、代役を頼めって……あ?」


 火花が俺の視線に気付く。なるほどね、って思った。冤罪を俺になすりつけようって、魂胆か。


「……火花。お前が俺のことを嫌いなコトを知っていたけど。でも、文化祭をメチャクチャにしてまで?」


 俺が投げかけた言葉にギリリと、唇を噛みしめる。


「どうして下河は……僕の邪魔ばかりするんだ?」


 憎々し気に、火花は俺を見る。邪魔? いつも? まったく、意味が分からない。


「どういうこと?」

「それだよ! その顔! 何食わぬ顔でさ、全部、僕のことを邪魔してくるクセに。脇役が、主役の舞台を邪魔して! バスケ部の時からそうだ。次期キャプテンって言われて調子に乗って。お前、本当にウザイんだよ――」


 くだらない。

 何だ、火花はそんなくだらないコトに囚われていたのか。


 バスケ部で火花と一緒になった時期もあった。すぐに火花は退部して。惜しいと思っていたけれど……そんなことが理由? それなら、くだらない。あまりに――。


「……くだらねぇ」

「は?」

「主役って言うのなら、もっと真剣に考えろよ」


 何を言っているだって顔しているけれど。それ、こっちの台詞だから。


「この際だから、はっきり言うよ。主役もキャプテンも、一番の裏方だから。ステージを成功させる以上の目的なんかない。バスケの試合だって、そうだよ。勝つことが目的で、目立つことが目的じゃない。そんなことも分からないの?」

「何を偉そうに――」


 火花が、ぐっと俺の胸倉を掴んでくるが、怖くもなんともない。なんなら、徹底的にお話し合いしても良い。文化祭は――というより、うちのクラスの模擬店はもう無理かもしれないけれど。


「坊ちゃん、ここは俺に任せてくだせぇ」


 と似非女子高生筋肉ダルマが、小太刀を抜いて肉迫してくる。


「お前、バカ。僕は下河にそこまでしろなんて――」

「分かってやす! 徹底的に、ぶちのめせってヤツっすよね!」

「ぜ、全然、分かってないだろ?!」


 火花の狼狽する声。

 こんな密集したなかで、刃物を振り回したらどうなるか。俺は体を捻るけど、間に合わな――。


下河シモっ!」

「下河君」

「「空!?」」


 矢淵さんと本馬さん、それから彩翔あやとみなとの声が聞こえる。いや、むしろ今は来ないで欲しい。みんなを巻き込みたくな――。


っ!」


 天音さんの声が聞こえた。

 俺が体を捻って。階段から足が滑らせた、その瞬間だった。


 羽根だ。

 無数の真っ白い羽根を見た――そんな気がしたんだ。


(なに……?)

 何が――?


 駆けてきた天音さんが、俺に手をのばす。

 ふわりと風に包まれるような、錯覚。


 見れば、天音さんがCOLORSの翠の衣装を身に纏ったまま、俺を抱きしめる。


 ようやく、ここで我に返る。

 このままじゃ、二人とも一緒に落ちてしまう。


(スカイウォーカーなら、どうする?)


 NBA――プロバスケの伝説レジェンド、通称【スカイウォーカー】


 ダンクシュートの名手だが、【空を駆る者スカイウォーカー】と言われる所以ゆえんは別にある。


 ダンクシュートが動作の途中でカットされても。跳んだボールを再びスカイウォーカーは、再び掴む。そこから無理な姿勢でのシュートで、得点をもぎ取ったのだ。故に、彼は【空中戦を制する者スカイウォーカー】として、その名を馳せる。


 彼は、どんな苦境でも試合を諦めなかった。

 もちろん、ダンクは格好良い。バスケをしていたら、憧れない選手ヤツはいないと思う。


 でも、スカイウォーカーの格好良さはソコじゃないんだ。絶体絶命のゲーム。チームも観客も諦めムードのなかで。


 彼のダンクシュートが、試合の流れを変えたんだ。


 俺は自分の短気から、高校生とトラブルを起こした。バスケ部に迷惑をかけない為に、退部を選択したけれど――。


 今でも、この選択チョイスは間違っていないと思う。


(でもスカイウォーカーなら……?)


 もっと違う立ち回り方があったのではと思う。でも、俺は子供クソガキだから。姉ちゃんを穢されて、黙っていられる程、大人じゃない。


 だから、今は――。


 天音さんを抱き寄せる。と、彼女がふんわりと微笑むのが見えた。俺の首に手を回す。全幅の信頼を俺に寄せてくれたのが、分かった。


 それは刹那、一瞬、一呼吸の出来事だった。


 火花と、似非女子高生モンスターが、階段から転げ落ちるのが視界の端に見えたけれど、構ってなんかいられない。


 階段の手すりに、足底を滑らせる。絶対に天音さんを落とさないという決意をこめて、彼女をしっかり支える。


「嬉しい。お姫様抱っこだね」


 この土壇場で、何を言い出すんだらう、この子。慌てた俺に、さらに密着して体幹を調整する。咄嗟の判断で行動できるのは、選手プレイヤーとしてのポテンシャルの高さか。


 そういえば、って思う。ゲームがでも似たようなことがあった気がする。二人デュオモード、限定のアイテム【天使の羽根エンジェリック・フェザー】をエンジェルさんが使った時だ。


 このアイテム、相方をお姫様抱っこするスキンが適用されるため、特に男性スキン同士のデュオプレイ時は、忌避される。しかし、このアイテム、敵に包囲された時に、ゼロタイムで離脱し任意の地形に移動できるから、メリットしかない。


 たん、と。

 下の踊り場に着地した瞬間だった。


 どすんっ、と音がして。


 火花と似非女子高生モンスターが転げ落ちて――小太刀が、俺の頬をかすめて壁に突き刺さる。


(あっぶねぇ……)


 思わず、背筋が凍りつく。ちょっと、頬が痛い。どうやら、掠めたらしい。


君?! 大丈夫? ち、血が――」

「へ?」


 俺は目をパチクリさせる。いや、確かに頬は痛いけれど。そこまでじゃ――。

 そう思いながら、見やれば。


 足下が、血でいっぱいに広がっていた。

 これ――だ。


 火花と似非女子高校生モンスターの二人分。

 鼻からの出血って、毛細血管が集中している。出血すると割と量が多かったりするんだ。湊にバスケットボールを投げつけられた時の、あの痛みは忘れない。


 うん、あの時は反省した。安易に、胸のサイズについて触れちゃダメだと。死にたくなかったら、触れるな。さわるな、危険! ノータッチバスト!


「痛い、痛い! 痛いよ! 痛いっ! 痛いよ!」


 火花が鼻血を流しながら、のたうち回る姿はカオスだと思う。どうやら、足を捻ったらしい。骨折してなければ良いけれど――。







■■■






「「ねぇ、いつまで、そうしているつもり?(なんですか?)?」」


 ゾワリと、背筋に冷たいモノが走る。

 何故か、本馬さんは不機嫌で。矢淵さんまで、鬼の形相だった。


「あ、いや……別に、そういうワケじゃ……」

「む、無理。こ、腰が抜けちゃった✨」


 天音さんが、腕に力をこめる。腰が抜けた人は、そんな器用に体幹を移動させないし、自ら密着しないと思いますが? 時々、湊に見せるイタズラっ子を垣間見せる笑顔。これが、きっと天音翼の本質だんだと思う。

 時と場所を選んで欲しいけれど……。


「腰が抜けた人はそんあ器用に――」


 さらに天音さんの腕に力が入り――首が絞まる。


「ぐ、あっ、ん……ちょ、ちょっと。湊、助けて!」

「いやぁ、助けに来たんだけどさ。何だか、その必要ないよね。彩翔あー君?」

「だね。みー?」


「ちょっと? 彩翔? 湊?」


「ねぇ、美紀ティー。これ、狡いよね。私達も同じことしてもらおうよ?」

「恥ずかしいけれど、私も同感です! 天音さんばかり、ズルいです!」


 いや、ズルいの意味が分からない。それと、ちょっと? バランスが崩れるから。そんな引っ張らないで――。


「白と、黒。眼福でっ……って、ふんぎゃっ」


 足元に変な感触。

 それから似非女子高生モンスターが何かを呟いた気がしたが、それどころじゃなかった。


 天音さんに拘束されたまま、俺は校内を駆け出して――。








 まるで、フォーリンナイトで弾幕をくぐり抜るような既視感デジャブを感じて――どうしてだろう。やけに、可笑しくて。


 笑いがこみあげて、止まらない。

 エンジェルさんが、すぐ傍にいる。そんな錯覚に抱き締められている俺がいた。








■■■




 後日。階段に赤黒く残った足跡が、新七不思議として語り継がれるのは、また別の物語――。




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