第2話 死体処理②

 翌日になると、さっそく荷物が運ばれてきた。

 まず最初にやってきたのは、ぶかぶかのジャケットを羽織って帽子をかぶったまだ若い黒い肌の男だった。器用に梱包された遺体袋を手早く運び込んで荷車の上に乗せる。金を貰うとホッとした表情で手をあげて去っていった。意外に普通の人間が運んできた事に安堵する。金が必要だからとこういう仕事に手を出す若者もいるんだろう。

 だが、次にやってきたのは陰鬱な男で、顔は髭だらけ、髪はボサボサでお互いに絡まり合い、見た限り白人ではあるのに、汚れた肌はもはや人種がどうこう言えるレベルではなかった。妙に真新しいくせにあちこち汚れたスーツの上にジャケットを重ね着し、すり切れた女物のマフラーを巻いていた。彼はヤニで染まった黄色いガタガタした歯を見せつけてニヤニヤ笑い、乱暴に荷物をその場に置くと、黒い爪で金の袋をひったくって行った。

 あまりの違いに衝撃を受けた。だが何にせよここは住む世界が違いすぎる。真正面から殴られたような気分になった。

 運ばれてきた荷物は四つになった。木製の荷車の上には、ちょうど人の大きさの袋が四つ。袋の下から盛り上がっているものの中身を想像すると、なんともいえない気分になる。

「こいつを車に積んで運ぶんだ」

 アルガーの指示で、荷車ごと荷物を小型トラックの後ろに乗せると、運転席に乗り込んで出発した。

「道を覚えとけよ」

「はい」

 地図やスマホを見ても良かったが、実際の道を見た方が覚えがいい。私はトラックの窓から見える道に目を走らせた。風景は次第に町から少し離れた郊外の場所へと移り変わり、広い墓地へとたどり着いた。

「共同墓地ですか?」

「まあな」

 だが見たところ、墓は古そうなものばかりだった。長いあいだ、だれも墓参りに来ているような気配がない。そのくせ、中央に突っ立っている地下墓地の入り口の建物だけは綺麗に清掃されていた。妙な違和感があったが、うまく言い表せない。

「それじゃ、墓穴は……」

「いや、……死体は埋めるわけじゃない」

「でも葬儀のようなものだと……、もしかして、火葬ということですか?」

「少なくとも土葬じゃない」

 火葬があることは知っていた。でもそれはよその国の文化としてだ。私はそれほど熱心なキリスト教徒ではないと思っているが、遺体を焼くことには抵抗はあった。戻ってこれないとまでは言わないが、自分の常識の外にあるような気がするのだ。それでも、この死体の出所を――生前の状況を鑑みると、仕方のないことなのか。だからこそ、この仕事は報酬が高いのか。

「こっちだ」

 トラックの中から荷車ごと遺体を下ろす。痩せ衰えた死体ばかりとはいえ、これを運ぶのはずいぶんと骨が折れた。アルガーは中央にそびえる地下墓地の入り口まで行くと、妙に厳重な鍵を外して扉を開けた。アルガーが早く来いとばかりに手招く。階段から下ろすのかと少しげんなりしたが、中に入ると意外な事にエレベーターになっていた。こんなもの見たことなかった。それこそ近代的でさえあるシステムに面食らっていると、エレベーターが地下に向かって動き出した。

 戸惑いながらエレベーターが移動するのを待つ。

 地下二階までたどり着くと、中は通路になっていた。灰色の通路が左右に続き、灯りもついている。ごうごうとどこからともなく音がしている。エレベーター入り口からまっすぐ進んだところに、老人が一人いた。

「今日の死体は四つだ」

 アルガーが老人に話しかけた。老人は頷き、書類を取り出してなにごとか書き付けると、右側の通路を指示した。これではまるで実験施設だ。私はなにか、とんでもない所にきたのではないか。私が呆然としていると、アルガーが何かを差し出してきた。渡されたのはガスマスクか防塵マスクのようなごついマスクだった。

「……」

 私はアルガーを見返したが、彼は何も言わぬまま私にマスクを押しつけた。

 正直に言えば、いったい何が起きているのかわからなかった。私は促されるままにマスクをするしかなかった。

「……火葬、なんですよね?」

 そうだと頷いてほしかった。アルガーは、黙ったまま廊下を歩き続けた。

 その先には妙に厳重な扉があり、それをくぐると、銀行の金庫もかくやという円形の扉があった。天井にはいくつも監視カメラがついている。いくらなんでもこんな火葬場があるものか。しかし、いま入ってきた扉は閉められ、私は――私たちはもはや逃れられないところに来てしまった。心臓が高鳴る。これから炉に入れて燃やすのだと言ってほしかった。ガチャンと音がして、ひとりでに巨大な扉の鍵が開いていく。とたんに、生臭いにおいが辺りにたちこめた。

「……うっ……!?」

 マスクをしてなおほんのわずかに入ってくる臭いに、思わず顔を顰める。

 アルガーは死体のひとつを引きずりだして、私を見た。

「そっちを持て」

 それでも私はほんの僅かな好奇心にかられ、死体の片側を持ち、薄暗い光に照らされた扉の向こうを見た。私はまだ、かつての気質を捨てられていなかった。母国から逃げ、政府からも見捨てられ、見知らぬ土地で飢餓と貧困に苦しんで死んだ哀れで不様な死体がどうなるのか見たかった。

 そして、とうとう目の前にそれは現れた。

 薄暗い光に照らされた穴にあるのは、煉獄のごとき熱波でも業火でもなかった。その代わりに、地獄よりもなお暗い底から這い出てきたような巨大な肉塊がそこにあった。やや紫がかった灰色の体表にはそれよりも濃い紫色の線が幾つもついていて、手足は無かった。ぶよぶよとした脂肪だけでできたような体は、大きく膨らんでは縮んでを繰り返している。膨らんで隆起するのにあわせて、巨大な口のような真っ暗な空間が開いては閉じていた。動くたびに皺になった肉が引き延ばされ、閉じると再び皺ができるのを繰り返す。何度も見える口の中には牙も歯も見当たらず、それがいっそう不気味に思えた。目はほとんど退化しているか元々存在しないようで、ただ口らしき場所の上に、六つの小さな穴が見えるばかりだった。体表はぬめぬめとした液体が覆っていて、口さえ開かなければ、出来損ないのナメクジのようにも見えた。

 異様なのは、それが人を飲み込めそうなほどに巨大であるということだ。

「あんまり見るな」

 アルガーが眉間に皺を寄せながら言った。

 それでも私は身動きひとつできなかった。アルガーはため息をつくと、私の手から死体を下ろさせ、一気に抱え上げて化け物めがけて投げ込んだ。

 人が。

 人であったものが。

 あっけなく空中に放り出される。

 死体は何度も口を開けるそいつめがけて落ちていった。巨大な奈落の底に吸い込まれていくと、ばくんと口が閉じられ、それまで呼吸のように繰り返されていた開閉が止まった。もごもごと肉塊が波打ち、咀嚼でもするように鳴動する。中から小さな音がする。

 強烈な吐き気がした。胃の中から激しくこみ上げてくる。よろよろと離れて壁に手をついただけマシだろう。それでも止めることができず、私は防塵マスクを剥ぎ取り、片隅で胃の中のものを吐き出した。途端に、いままでよりも強い臭気が鼻の中へと飛び込んできた。あまりの臭いに、吐き気は止まらなかった。アルガーが近寄ってきたとき、私もあの穴へ投げ入れられるのではないかと思った。

「ひ……」

 だがアルガーは、急いで私の鼻と口を防塵マスクで覆うと、頭の後ろでしっかりと留めた。

 口の中に酸っぱい味が広がり、涙目のまま彼を見る。

「マスクだけはしとけ。せめてこの臭気はマシになる」

 腰が抜けた私を無視して、アルガーが苦労しながら死体を投げ込む声がした。

 なんだ。なんだあれは。いったい私はなんの悪夢を見ているんだ。私は……。

「外すなっ」

 朦朧としながら、またマスクを外そうとしていたらしい。私は発作のように時折びくりと震える体をどうすることもできなかった。

 そこからどうやって戻ってきたのか覚えていない。引きずられながら、いつの間にかトラックで事務所まで戻ってきたのは覚えている。部屋に戻ってからも吐き気は止まらず、あれが夢だったのではないかと思えるまでずいぶんと時間が掛かった。

 アルガーは部屋にやってくると、吐き止めの薬と胃薬を置いていった。

「……アルガー、あれは……」

「俺も知らない。だけど、死体を食わせることでなんとかあそこに留めているらしい」

「死体を……」

「たとえ死体でも、腹が一杯になれば大人しくしててくれるからな」

「そうじゃなければ……?」

 アルガーは何も言わずに首を振った。

 あいつはいずれ地上へ出てくるのだろうか。そのとき、いったいなにが起きるのだろうか。

「三十年くらい前の、移民政策の失敗があるだろ。あれは、失敗なんかじゃなかったんだ」

 その声は、どこかやりきれない色を含んでいた。


 それからしばらくすると、テレビでは知事選に向けた最後の舌戦が始まっていた。

『サンライズ・ストリートでは、いまもたくさんの方々が貧困に苦しんでいます。そのなかには移民、避難移民、そしてなにより自国の民がいます。サンライズ・ストリートに光を。夜明けを取り戻しましょう!』

 にこやかに笑う中年の白髪女が腕を振り上げていた。

 現職の知事と、スラムに問題を絞った女の一騎打ち。

 現知事は既に老齢で、時代に見合わないと言われていた。対して女は順調に、何も知らない奴等の指示を集めていた。何も知らないままの人々が、サンライズ・ストリートを貧困と移民から解放するべく握りこぶしを挙げている。愚民どもが。だったらあの化け物を引き取ってもらいたいものだ。自分達で死体を用意できるというのか。あの化け物が微睡みから目覚めて動き出したとき、どうなるのか。空腹のまま外に出て、死体だけを片付けてくれるとは限らない。そのときはきっと……。

 あの女が引き継いで、正気を保ったままでいられるならいいんだが。





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