死体処理

第1話 死体処理①

 それは知事選の始まる少し前のことだった。

 あんな事さえなければと何度も思った。

 いままでの人生で一度きりとて、サンライズ・ストリートになんか来たいとも思わなかった。いまだってそうだ。ここは良い噂などひとつとして聞かない、社会の底辺だ。この国の掃きだめだ。そう思っていた自分がここに来る羽目になるなんて。

 国家に仕える公務員として順調にキャリアを積んでいたはずの私は、仕事で大きなミスをし、ほぼ左遷同然で異動を命じられた。住んでいた寮も追い出され、ほとんど一文無しでだ。私はほんの僅かな荷物をトランクに詰めると、おんぼろのバスに乗り込んだ。唯一の救いは、元同僚たちは今度の知事選の結果に気を揉んでいて、私のことなどついぞ気に掛けなかった事だ。そうしてこれから始まるであろう惨めで辛い人生に思いを馳せた。

 やがて目的地に近づくと、窓から見える光景は聞きしに勝る有様だった。停留所でとぼとぼと下りる私を乗客のだれもが嘲笑っているように思えた。

 サンライズ・ストリート。

 サンライズ(夜明け)なんていう名前の癖に、人々の顔に明るさはこれっぽっちも無い。せいぜいその日差しに照らし出されるのは、ゴミと汚物にまみれた汚い町だけだ。アルコール中毒のホームレスが寝転がってうなり声をあげているならまだマシな方で、それはやがてハエのたかった死体となってあちこちに散在することになる。治安は最悪に等しく、いつからかサンライズ・ストリートはこうしたホームレスと犯罪のたまり場になっていた。私の人生はこのゴミ溜めに放り込まれたのだ。

 この町がこうなったのは、二、三十年ほど前に現知事と政府が共同で行った移民政策の失敗からだ。ほんの僅かな同情心と驕りから移民の受け入れを行った結果、条件を満たせない人々が正規の手続きを得ず越境し、一部の区域に溢れたのだ。ここにいる移民はそうした不法滞在者がほとんどで、その一人一人を検挙するのは生半可なことではない。おまけに人々の大半は仕事にもありつくことができず、犯罪に走ることも多かった。サンライズ・ストリートはそうしたあおりを一身に受け、スラム化が進んだ。こうしてただでさえ昼間でも薄暗く治安の悪かった区画は、たちまち移民と家を失った者たちであふれかえった。

 それでもサンライズ・ストリートに集う人々をどうにかすべく、行政とやらは手を打った。住む場所の無い人々に、ささやかな仕事と賃金を供給することに決めたのだ。支援という形で僅かばかりの改善をはかろうとしたのである。私が働くことになるのは、その仕事斡旋事務所だった。

 新たな仕事場である事務所は、ほぼ町の中央で陰鬱に聳えたっていた。灰色のビルは決して越えることのできない巨大な壁のようだった。はたしてこれほどの規模が必要なのかと思うほどだ。大きさに比べて小さな裏口を探し、おもむろに中へ入る。煙草の臭いがむっと強くなった。

「そっちから入らないで」

 どことなく高圧的な声がした。カウンターの中で、スーツを着た中年の白髪の女が、まじまじと私を見た。

「ここは職員専用よ、気軽に入っていい場所じゃないの。ちゃんと十時になってから、入り口の方から回ってちょうだい」

「ええと、待ってください。私はロベルト・ロートシルトといいます。今日からこの事務所で働くことになる……」

「ロベルト? ……ちょっと待ってて」

 女は立ち上がってなにやら書類をいくつか確認していた。その表情は硬いものから少し柔らかくなった気がした。こんなところでホームレスばかり相手にしているとあんな態度にもなるのだろうか。女はやがて書類を持ったまま、私の顔と照らし合わせた。

「失礼。ロベルト・ロートシルトさんね。話は聞いてる、歓迎するわ。あなたの仕事場は西棟の方になるはずだから、案内しましょう」

「あ、ありがとう」

 女は軽く自己紹介を済ませると、奥へ向かった。階段を上がって二階に向かうと、渡り廊下を通って西棟へと赴いた。何故一階が繋がっていないのか不思議に思ったが、戸惑いながらもついていくしかなかった。西棟へと着くとまた階段を下がって一階に下りる。陰鬱な廊下が目の前に現れた。ちゃんと電気がついているのにも関わらず、妙に薄暗く感じる。

 女はあるドアの前で止まった。

「この部屋にアルガー・ブラントっていう男がいるはずよ。それがあなたの同僚で上司。あとはその人に聞けばいいわ」

「はい。ありがとうございます」

「それじゃあね」

 そう言って立ち去る女の目が、妙に同情的に見えたのは気のせいだろうか。こんなところに左遷してきた人間に対する目線なんて、同情か侮蔑のどちらかしかないだろう。私は仕方なくため息をつき、ドアをノックした。

「失礼します」

 そこには廊下とは打って変わって明るい室内が見えた。建物の古くささは拭えないが、廊下よりはマシだった。椅子に座っていたひげ面で太った男が振り向き、憮然とした表情で私を見た。

「おい、だれだ。ここは職員専用だぞ」

 やはり声は高圧的だった。このままではさっきの二の舞になりそうだ。

「ええと、待ってください。今日からここで働くことになった、ロベルト・ロートシルトと申しまして……」

「ロベルト? ……ああ、待て。思い出したぞ。確か今日から一人新人が入るってな。お前さんがそうかい」

 男は私をまじまじと見ると、立ち上がって近寄ってきた。まじまじと私の上から下までを見る。ふうん、と少しだけ鼻で笑ったあと、片手を差し出してきた。

「アルガー・ブラントだ。あんたの同僚で上司になる」

「改めて、ロベルト・ロートシルトです。よろしくお願いします」

「ふん。大層な名前だ」

 アルガーは握手に応じた私の手を強く握りしめた。あまりの力強さに叫ぶ寸前だったが、耐えた。彼は手を離して引き返すと、ぞんざいに「離席中」の札を対面カウンターに置いた。それから部屋の隅にある古くさいアルミ製のキャビネットを開けて、中を漁りながら言った。

「あのう、ところで今日からすぐ来いと言われたんですが……」

「わかってる、わかってる。寮の部屋からなにから最初から教えてやるからよ。あの女、ぜんぶ俺に押しつけていったんだろう」

 アルガーは何かを探しているようだった。

「あんたも災難だったな。こんなところに来ちまうなんてな。なにをやらかしたんだ?」

「それは……」

「いや、別にいいか。ここに来たからにはここの仕事を覚えてもらう。ここの仕事さえできれば何だっていい。そうだろ?」

 そう言って箱のひとつを開けて鍵を取り出すと、振り返って私に差し出した。

「ほらよ、あんたの部屋の鍵だ。寮の部屋は三階になってる」

 私は少しだけホッとした。目の前の男は無愛想で威圧的だが、少なくとも同僚に対するそれなりの扱いは持ち合わせているらしかった。

「……ありがとうございます」

「敬語は要らないぞ。ついてきな」

 私は彼に連れられ、トイレや休憩室、それからロッカーの場所を次々に教えられていった。

「三階が職員寮だ。個人の寝室の他に食堂とシャワー室、トイレ、それから給湯室。冷蔵庫は小さいが一つ兼用のがあるから、入れたいものがあれば入れておけ」

 職員寮は仕事場に比べてやや柔らかい印象があった。といっても、安いホテル程度の装飾だったが、それでも一階に比べればずいぶんとマシだった。割り当てられた部屋の前まで連れてこられると、アルガーは振り返って肩を竦めた。

「あとはおいおい覚えとけばいい。仕事を辞めるんでなきゃな」

「わかった」

「それと、こいつがお前の作業着だ。午後の仕事が始まるまでに、部屋の整理と着替えを済ませておけ。サイズが合わなきゃ俺にクレーム入れてくれ」

 紙袋を渡されると、私は頷いた。とうとうここに来てしまったという実感がどっと出てきた。


 午後になると、アルガーはここでの仕事を一通り教えてくれた。

「斡旋事務所って名前の通り、ここではやってきた家無しどもに仕事を斡旋するのが主な仕事になる。例えば、こんなのだ」

 渡された仕事の一覧を見ると、報酬はほとんど雀の涙ほどだった。それでもなんだかんだいいながら――選り好みしなければ――仕事はあった。

 寮住まいもある道路工事や倉庫作業は、まだ体力がありあまり、不運にも家を失った若者たちに優先的に回されているらしかった。政府主導である以上、ある程度身分がわかっていて、これから立ち直る可能性のある自国民が優先されるのは当然のことだ。

 だが問題は、身分証を持たない移民と、既に若くはない中年以上の、もっといえば高齢の男達だった。彼らにありつける仕事といえば、町の清掃くらいだった。それでも捨てられたゴミが金になるというのなら、暇を持て余したホームレス達がそれとなく小遣い稼ぎに動いていた。例えその小遣いがすべて酒と食べ物に消えるだけだったとしても、無いよりはマシだろう。

「ここでの問題は山積みだが、ひとまずゴミ掃除は奴等がやってくれる。そうすることで景観だけはなんとかしようって寸法だ」

「……あのう、他の方々は?」

 昨日、東棟の方に入ったときは、案内してくれた女や、他にも職員がいたはずだ。

 アルガーはなんともいえない目をした。

「この町にゃあはいま教えたもの以上に、もっと重要な問題がある。なんだと思う?」

「景観以上に、ですか。……ええと、不法滞在者の問題がありますよね。越境移民の……」

「違う。そんなことじゃねぇんだ」

「他にあるんですか?」

「死体の回収だ」

「死体……」

 私は顔を顰めたが、アルガーは表情を変えなかった。その目線はどこか同情的に変わっていた。

「それが、ここでのあんたと俺の仕事だ」

「まさか」

「本当だ、そんな顔するんじゃねぇよ」

 そのときの私はいったいどんな顔をしていたというのだろう。

「ここじゃ毎日のように死体が出る。どこかで誰かが必ず死ぬ。飢餓と貧困に勝てなかった奴等がな。そいつらを放っておくと、ただでさえ汚い町が感染症の温床になっちまう。そこでだ、死体を回収して運ぶ奴等が必要だ」

「そんな……」

「もちろん、死体を見つけてここまで運んでをやってもらうのは家無しの皆さんだ。だが、回収した死体袋を運ぶのは俺達の仕事になる……」

 私は愕然とした。

 ただでさえこんな町に左遷されてきて、死体処理をさせられる事になるなんて思わなかった。

「死体回収の報酬は破格だ」

 見せられた書類によると、確かに他の仕事よりも報酬が桁一つ違った。

 死体を進んで触りたい人なんて、どれほど堕ちてもいないだろう。

「だがどれだけ報酬を貰おうと、やりたくないもんはやりたくない。いくら葬儀みたいなもんだといっても、家族や医者に囲まれて死んだような奴ならともかく、相手は悪臭とゴミにまみれて、骨が出てるような奴もいるからな」

「……」

 生唾を飲み込んだ。リアルに連想してしまって少しだけ気分が悪くなる。

 葬儀をすると言えば聞こえはいい。けれどまともな奴なら、心の底から死体を触りたいなんて思う奴はいない――特に、垢とゴミにまみれたホームレスの死体なんか。アルガーはそう付け加えた。それでもここでは必要な仕事らしい。故に、死体回収の仕事については専門の職員がいる。少し煙たがられながらも死体を運ぶ職員が。私はそんな場所に左遷されてしまったのだ。私がしでかしたミスはそれほど大きなものだっただろうか。あるいはちょうどいいとばかりに追い立てられたのか。おそらくは後者だろうと思う。

 もっともこれは当の請負人たちにとっても同じだった。この仕事のあとはしばらく他人から拒絶されるし、最後の砦のような教会からでさえ嫌な顔をされることもあるという。それでも死体を見つければ、他の仕事よりもずっといい報酬が貰える。ただし検分は行うから、犯罪行為が行われるとなればそれは身の拘束を意味する。

 私が愕然としている間に、アルガーはガサゴソとキャビネットを漁って何枚かの紙切れを出してきた。

「こんな仕事だが、無いと大変なんだ。わかるだろう?」

 目の前に出されたのは契約書だった。長い長い、だれも読むことを想定していないと思われる規定の書かれた契約書。それが何枚もあった。

「ここで守らなきゃいけないのはたったひとつ。『何があっても口外無用』だ。もしそれが破られるようなことがあれば、けれどもあんたはその代わりに破格の報酬を手に入れられるし、断ればクビだ。いまならまだ引き返せる」

 思えばこのとき、引き返せば良かったのだ。

 私はため息をついて何枚もの契約書と誓、誓約書にもサインした。この後起きることに思いを馳せることもなく。

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