マッドサイエンティスト

第1話 マッドサイエンティスト①

「フレデリックさん、あなたのその個性は素晴らしいものですわ」

「ありがとう。誇らしいですよ」

 満足げな表情で握手を求めた女に、フレデリック・コーウェンは車椅子に座ったままにこやかに応じた。

 だが女が立ち去ってしまうと、彼は忌々しげな表情でこう呟いた。

「くそくらえだ」

 そうして肘掛けでバランスをとりながら、膝から上まで無い両足を座り直す。

 こんなことがあった後は、彼はいつも私に愚痴を言うのが恒例だった。

「何を勘違いしているのか知らないがね。奴等はいつも、ただ自分の足で立って歩いてみたいという僕のささやかな願いを、個性なんていうくそったれな言葉で食い殺そうとするんだ。きみだって、瓶底のような眼鏡をかけてみたいと思ったことくらいあるだろう。三角に吊られて包帯でグルグル巻きにされた腕を、ロボットみたいでかっこいいと思ったことは? 杖を突いて歩く姿に憧れたことは?」

 フレデリック・コーウェンことフレッドは膝から上までの両足が欠損していた。生まれつきのことだったので、彼にとってはそれは普通のことだった。彼の両親はなんとか息子が不自由を感じないようにと務め、最大限にバックアップしてきた。そのおかげもあってか、彼にとってはこれが日常でただの特徴にすぎず、脚がないことに対して引け目を感じることも無かった。彼は家の中では両手を器用に使って移動することができたが、それでも目線が低いうえに早く移動できないのは困るという理由で、常に車椅子での生活をしていた。

 私が彼と出会ったのは大学の研究室でだった。その頃には彼はもう手を使っての移動はせず、その指先を主に細胞や遺伝子についての研究のために使っていた。研究室では既に有名人で、世間では彼のことを「脚の無い遺伝子研究者」として既に注目しはじめていたし、彼の姿は大学内でも人目を引いたからである。私が研究室に入ったときも、噂に聞いた彼の姿をはじめて見たことで驚いてしまった。だがすぐにそんなことは気にならなくなった。なにしろ彼が人を引きつけるのは欠損した脚だけではなく、その美貌にもあったからだ。端正な顔立ちに、さらりと流れる金の髪。脚が無いことにさえ気付かなければ、間違いなくその表情と少し悪戯っぽい笑い方に引きつけられたことだろう。そのうえ頭が回り、雄弁で、あらゆる趣味に精通しているようで、喋ることはなんでも面白かったからだ。友となったのもなんてことはない、私がなにげなく最近見た映画が面白かったという話をしただけだ。彼は意外なほどに食いついてきた。どうやら彼自身は、人に会うたびに脚の話をされるのでだいぶ辟易していたところだったらしい。私とのどうでもいいような話に見事にはまり込み、真面目な話であっても一生懸命に話についていこうとする私を気に入ってしまったらしい。思えば彼に気に入られたのが、私の人生を狂わせる最大の要因であったと思う。

 とにかくそれ以来、私と彼は親友のようなものとして付き合いがはじまった。他人がそこに健常者と障害者の研究者の友情とかいう美辞麗句で凝り固まったような関係を見いだしたとしても、私達はただの普通にいる友人に過ぎないと思っていた。

「でも、その女性は――、いちおうはきみの支援団体の人なんだろう?」

「支援団体と言ってもね、いろいろあるのさ。僕の何を知っているわけでもないだろうに」

 フレッドは面倒臭そうな表情をしていた。

「勘違いしないでほしいがね、僕はべつに、万人が足を取り戻したいと――否、生やしたいと願っていると思い込んでいるわけじゃない。でも、そんな方法があるならだれだって元の姿に戻りたいと思うだろう。ただね、これは僕の願いなのさ。他ならぬ僕自身のね。僕は自分の足で立って歩いてみたいというささやかな願いを持っているというだけさ」

 彼の言い分はそんな風だった。

「だいたい、人間というのは自分たちが思っている以上に、再生能力を隠し持っているのさ。トカゲの尻尾のようにね。使われる暇が無いから眠っているだけなんだ。特に顕著なのは歯だ。乳歯から生え替わるのは一度きりだが、本来は永久歯になっても生え替わらせる能力があるということさ……。昔は生え替わらなくても寿命の問題があったしね。現代の技術の進歩に、他ならぬ我々自身の真価が追いついていないんだ。ではいったいどうやったらその能力を目覚めさせられるのかって話だ」

「なるほど、トカゲの尻尾みたいにね……、そんな風に人の手も生えてくることがあるのかもね」

「いまはどちらかいうとウーパールーパーの再生能力に注目が集まっているがね。彼らには四肢の再生能力がある。もしも人にウーパールーパーの遺伝子を組み込めたら、面白いことになるかもしれないね?」

 にこりと笑う彼を、私は何も言えずに見た。

 あまりにも美しい顔だったので、ぞっとするほどだったのだ。

 私は話題を変えるように肩を竦めた。

「もういっそのこと、普段は義足に変えたらどうだい。昔は義足の訓練もしてたんだろう。それなら少なくとも見ず知らずの他人から思想を押しつけられたりはしなくなるだろうよ。いまはいい義足もあるんだろう?」

「僕の肌は繊細なんだよ。義足を付けるにしても、長いことは無理なんだ。荒れてしまうからね。ところで、きみのいういい義足ってのはどんなやつのことだい?」

「そりゃ、人の足そっくりに見えるものじゃないのか」

「遅れているなあ! 最近は義肢も色々あるんだぜ。マラソンを見た事ないのかい? それに昔は人間の体に近づけるのが主流だったが、最近じゃオシャレなんだ。スーパーヒーローの腕のような義肢もあるし、脚だって日本のロリータ風からスチームパンク風まで色々だ」

 義足は無理だという割に詳しいのは、彼の特性のせいでもある。

「キミだったら自分の足をどう飾り付けたい?」

「私かい? そうだな……、日本の話が出たから、ニンジャや刀のようなデザインだとカッコイイね」

「ほう! なるほど、デザイン案としてしかるべきところに提出しておこう。キミの趣味もついでに理解したがね」

「それはまあ、いいじゃないか」

「そうかい? 僕は知ってるぞ。キミが最近、日本の古い時代を舞台にしたアクションゲームに熱中していることもね。それから、確かヒーローものの映画も見に行ったそうじゃないか。他でもないこの僕を差し置いてだ!」

「……いや、確かにそうだけども」

「恥ずかしがるなよ! なあキミ、せっかくだから次は僕も誘いたまえよ。別にキミの見たいものがヒーローものだろうがアニメだろうが構やしないさ。映画の感想くらいは語り合ってやろうじゃないか」

 とにかくこうしたくだらない日常のことでも彼とはよく話したものだ。

 彼は私の取るに足らない話でも面白そうに聞いてくれたし、聞いてくれるだけの度量もあった。彼の存在はそれだけで魅力でもあった――そもそも彼の容貌はあらゆる人々を魅了したのだ。つまるところ、彼は頭が良くて美丈夫で、スタイルも良い――その両足が無いことを除けば。そんな彼のことを「天は二物を与えてしまったので、脚を奪ってしまった」など茶化す輩もいたが、彼は笑い飛ばすだけだった。

「はーあ。ようやく気が晴れた。僕は研究に戻るよ」

「そうか。それは良かった」

「……ああ、それと。今日は暇かい? 実は面白いものがあるんだ。見に来いよ」

「面白いもの? 今からか?」

「いや、今じゃなくていい。……もうひとつの方なんだ。帰りにでも寄ってくれ」

 フレッドはそう言うと。車椅子でカラカラと自分の研究室に戻っていった。私はいやな予感しかしなかった。


 彼は自分の研究室とは別に、「秘密の研究室」と呼ぶ場所を持っていた。

 その見た目を最大限に有効活用して得たバックアップで、表向きには研究に熱心に取り組んでいた。しかし彼はその潤沢な資金を、彼個人の研究にも突っ込んでいた。それが彼のもうひとつの研究室だった。私は仕事を終えて車に乗り込むと、真っ先に彼の秘密のラボへと向かった。大学から離れ、町からも離れ、やがて寂しい道を抜けていった先に、大きな屋敷がある。彼は屋敷をまるごとひとつ買い取り、研究所にしていたのだ。

 私の車に取り付けられたセンサーが反応し、門が自動的に開く。作動していない噴水の横を通り過ぎ、入り口の近くで車を駐めた。階段を上がって大きな扉の前に立つと、これまたセンサーがじっと私を観察したあとに作動した。自動的に鍵が開いて、私はノブを回して中に入った。既に彼は来ているようだったが、姿は見えない。屋敷の中は相変わらず不気味な気配が漂っていた。これで外に雷でも落ちていれば雰囲気は抜群なのだが、映画以外でそんな目には遭いたくない。彼が研究室にしているのは地下の一室で、そこで個人の研究に励んでいた。勝手知ったるなんとやらで、私は地下への階段を下りていった。

 灯りがついているのにどことなく暗い雰囲気の廊下を進む。一番奥の扉を開けると、微かな薬品のにおいが鼻をついた。

「やあ、よく来たね!」

 フレッドはにこにこと笑いながら私を迎え入れた。

 研究室にはまた見慣れないものが増えていた。中でも真っ先に私の目を引いたのは、テーブルの上にあるカプセル型の水槽の中で蠢く、奇妙なタコのようなヒトデのような物体だった。

「うわっ」

 それこそ思わず悲鳴をあげてしまうほどだ。中央の星形から突き出た腕がその先で複雑に分化していて、それぞれがうねうねと蠢いていたのだ。そのうえ体表は赤くイボイボがついているので、私の嫌悪感をますます刺激した。

「なんだい、これは? ヒトデの特殊個体か何かか?」

「なんだ、見たことないのか。こいつはテヅルモヅルといってね、クモヒトデ類の一種だ。こう見るとわけのわからない生物にしか見えないが、実際は明確に腕がある。このモジャモジャはほとんど腕から生えた触手だ。そうして餌を絡めとって食べるわけだ。その筋じゃ結構有名なんだぞ」

「なんでそんなものがここにあるんだ」

「そりゃ研究のためさ!」

 フレッドは断言した。

「クモヒトデ類はすべての腕を同時に切り落とした場合を除き、腕を再生できるんだ。まあでもこの見た目だけで言えば、特殊個体といえば特殊個体だな……」

「まさか、脚を生やすのにこんなものの遺伝子を使おうっていうのか!?」

「バカだなあ、まだ実験もしてないのにそんなことをするはずないじゃないか!」

 フレッドは笑いながら私の肩を叩いた。

 しかしどれほど見た目が衝撃的でも、普通に海底に生息しているものならばまだ理解の範疇だ。私は次第に落ち着きを取り戻してくると、はあっと息を吐いた。

「……見せたいものっていうのはこれか?」

「いや、違うよ。でもいまの反応を見てしまうと、これ以上の衝撃は与えられないかもしれないなあ」

 フレッドは頭を掻いて車椅子を動かした。

「本当に見せたかったのはこっちさ、どうかな?」

 そう言って、テーブルの上にあった檻の布を払いのけた。その中には小型の猫くらいの動物が横たわっていた。確かにさっきのテヅルモヅルに比べればまだマシだ。だがフレッドが、他でもないフレッドが、ただの珍しい動物を見せるためだけにここに呼ぶはずがない。私はゆっくりと檻の中を確認した。檻の中の動物は毛がまばらに生えていて、脂肪が折り重なっているのが見えた。ピクッと小さく震えている。尻尾は細く、猫というよりネズミだ。

 ――なんだ、ネズミ……?

 そのとき、とつぜん奇声を発しながらそいつが私を見た。

「う……!?」

 弱々しく、怯えた老人の顔が私を見上げていた。そのネズミの顔は、見知った動物のものではなかった。明らかに人類のそれであり、皺だらけの顔でばかみたいに口を開いて奇声を発していた。よく見れば、ネズミの手も人間のものだった。胴体から本来腕が生えている場所から、代わりに人間の手首から先が直接生えている。動かす機能は備わっていないか神経が通っていないのか、だらりと伸ばされたまま引きずられている。

「キミも知っての通り、ネズミは人の遺伝子と99%似ているだろう? だから色々と組み込んでいたんだ。ほとんどは失敗作になってしまったんだけど、こいつは見事に生き残ってくれた……。でも死ぬ前にいちどキミに見てもらいたかったんだよ! いやあ、キミが来るまでに生きていて良かった!」

「あ、あいかわらず悪趣味だな……!」

 思わず檻から後ずさり、叫んだ。

 このネズミ人間を見ているよりも、彼の顔を見ていた方がまだ精神が安定しそうだ。他ならぬこの顔の男がネズミ人間を作り出したのだが。

「悪趣味だなんて、心外だなあ」

 そうは言うものの、フレッドはあまり気にしていないようだった。

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