ウェザーカレンダー(Ⅱ)

 六月二日、天気は晴れ。都内某所、日本気象制御センター中央局・制御管理室。

 管制塔を模した円形のフロア内には、無数の大型AIRRディスプレイが浮かび上がり、窓から覗く空の青色を透かしている。常であれば二十余名の職員が忙しく働いているのだが、昼休憩中の現在は大半が食事に出払っているため、人影はまばらだ。

 デスクで急速冷却再加熱クックチルランチボックスを広げ、美霞お手製の野菜の肉巻きを咀嚼しながら、僕は個人業務用ディスプレイを凝視していた。

 中央局管轄エリアの向こう一週間分の気圧配置予想図を早送りで再生すると、等圧線の動きは事前シミュレーションと完全な一致を示した。制御装置は現在のプログラムのままで問題無いだろう。

 今週も天気はカレンダーどおり。相好を崩し、口におかずを含んだまま首肯して呟く。

「よしよし、いいぞ」

「何がだ?」

 突然背後から声をかけられ、僕は危うくゴボウの塊を喉に詰まらせるところである。目を白黒させ、むせ込みながら振り返れば、同僚にして同期の望月もちづきあきらが、意地の悪い笑みを浮かべて立っていた。

「昼休みまで気圧配置と睨めっことは、仕事熱心だねぇ」

「別に仕事してたわけじゃ……って、おい、ドロボー!」

 僕の隙を突いて手を伸ばし、ランチボックスから卵焼きを掠め盗った望月は、止める間もなく一口でぱくりと頬張った。局内でも頭抜けて優秀なシステムエンジニアなのだが、悪童のような振る舞いはとても四十路前とは思えない。僕の非難がましい目つきと口調を意に介した風も無く、望月はディスプレイを覗き込むと、「お」と楽しげな声を出した。

「土曜は快晴だなぁ。久々にコレでも行くか?」

 腰を捻り、透明なクラブでスイングして見せる望月。本物の青空の下で白球を飛ばすことが、複合現実ミクスドリアリティでのラウンドとは比べものにならないほど爽快であることは僕も認める。だが。

「行かない」

「えー? 競空艇エアボートレースでもいいぜ」

「行き先の問題じゃなくて。土曜は家族で遊園地に行くんだ。晴希の誕生日だから」

 僕がそう告げると、望月は目をぱちくりとさせた。そしてすぐに、まるで親戚のおじさんのようなしみじみとした面持ちになる。

「そうか。あいつも、もう九歳になるんだなぁ」

「十歳だよ。カレンダーが発表された時から約束してたからな」

 訂正と補足をしつつ、僕はディスプレイ上にテーマパークの公式サイトを呼び出した。3D映像の中では、晴れ渡った青空を背景にして、カラフルなスカイコースターやフライングゴーカートが楽しげに飛び回っている。気圧配置がシミュレーションどおりであれば、土曜日にはこれと全く同じ光景が見られることだろう。望月が頭を振って大仰に肩をすくめ、両手を挙げて降参を示す。

「オーケー。せいぜい家族サービスに励んでくれ」

「元より、そのつもりだよ」 

 心の底からそう返すと、独り身の望月は「ごちそうさん」と皮肉っぽく口の端を持ち上げた。卵焼きの話ではないだろう。僕も同じ表情を浮かべて笑う。

 気付けば休憩時間は残り十五分。望月を追い払ってから弁当の残りを腹に収め、ランチボックスを片付ける。

 午後の仕事に備えてコーヒーを確保しようと席を立った、ちょうどそのとき、オフィスと廊下を隔てる自動扉が左右へ開いた。

 その一瞬の足止めすら腹立たしいといった様子で足早に室内へ踏み込んできたのは、僕たちの上司である管理室長だ。荒っぽい足音を聞きつけて視線を向けた局員たちが、そして僕と望月も、室長の憤然とした表情にぎょっとした。

「悪いが休憩は終わりだ、すぐにみんなを集めてくれ。五分後にミーティング。十七時から記者発表だ」

 日頃は温厚な室長が、逼迫した口調で矢継ぎ早に告げる指示に、僕たちは戸惑いを隠せないまま顔を見合わせる。

 続けて室長の口から発された言葉は、僕の思考を硬直させるのに十分な威力を持っていた。

「『気象制御調整』命令が出された。六月五日を雨から晴れに、六日を晴れから雨に変更する」




 ウェザーカレンダーの突発的な「変更」は、決して珍しいことではない。法制定以降の十余年間において、年に一日ないし二日ほどの頻度で天気が覆されてきた。

 一例として、重要な催事の日程を直前に変えざるを得なくなったケースが挙げられる。計画の甘さが露呈するため非難は避けられないが、理由として分かりやすくはある。

 そして、それ以外の理由――実際にはこのケースが大多数を占める――が、「気象制御調整」と呼ばれるものだ。

 例えば、制御機械の不具合などで修理やメンテナンスが必要になり、カレンダーに沿った制御が難しくなった場合。例えば、気圧や湿度が著しく偏っており、無理に気象を制御することで災害をもたらす恐れがある場合。

 機械・システムトラブルと、危険回避。これらの理由を挙げられれば、国民も表向きには「仕方がない」と納得するしかない。渋々ながら唯々諾々と、予定や行事を中止・延期したり、規模を縮小したりといった対応に回るのである。


 だが、「気象制御調整」など真っ赤な嘘であることを、僕たち気象制御士は知っている。


 革新的に進歩した気象制御技術は、もはや気圧や湿度など問題にしない水準に達した。そしてこの十余年間、制御機能が働かなくなるような故障・不具合は、事実として、ただの一度も発生していない。

 つまり「気象制御調整」とは、体のいい名目に他ならないのだ。

 国か、あるいは、それに匹敵する強大な権力者が、一度は決定した天気を都合よく改変するための。

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