第38話


「満月の夜に飛ぶ!?」


 想像したのは、ひょろっとしたおじいさんが、屋根の上で蝶のような翅で飛び回る姿だ。

 満月の光を浴びて、嬉しそうに……。


 って、そうか!


「ああああ、妖精族! 三十歳までに次代に血を継いでないと、血が発現するって、え!? まさか血の発現って、翅生えて飛ぶんですか!?」


 少しだけ聞いたことがあった。

 妖精族という亜人種の血を引く人たちがいるのだが、優秀だけで村の外にはほとんど出て来ないらしい。

 それは時々、妖精族の血が発現する人がいるのだが、そうなると、ものすごく大変な状況になるからだと聞いた。


 というか、私を助けてくれていたハンナの亡き旦那さんが、そんな妖精族の血を引いた人だったそうで。

 私はハンナから聞いたのだ。

 ハンナが逃げた先は妖精族の村だ。

 妖精族とその家族だけが暮らす村なので、よそ者が近づけばすぐにわかる。

 隠れ住むのにはうってつけだからと、ハンナは以前から旦那さんの親族に連絡して、住まわせてもらう約束をしていたと聞いている。


 びっくりする私に対し、バーゲル先生は少しほっとしているようだった。


「少しは知っておったようだな。良かった……」


「妖精族の血のこと、お詳しいの?」


 ご領主様は意外だったようで、私に尋ねる。


「知り合いの旦那様が妖精族の血を引いていた方で、どうやらそうらしいというふわっとしたお話だけ聞いていたんです。その、黒魔術師が必要だという話は知らないのですが……」

「教えてくれてありがとう。少しでも知識があるのはありがたいわ」


 私の説明に、ご領主様は少しほっとした様子を見せた。


「このバーゲルには妖精の血が流れているようなのだけど、知らずに暮らしていたらしいの。けれど結婚をせずに三十歳を超えたところで、満月の日になると異常行動を起こすようになって。調べた末に、次代に血を受け継いでいなくても、抑えられる方法を知ったのよ。それが、黒魔術師の魔力なの」


「魔力……というと、抑える魔法があるということですか?」


 答えたのはバーゲル先生だった。


「いや、少し黒魔術師から魔力を分けてもらうだけなのだ。たいしたことはないのだが、もらう量にも問題があってな。調節が効かない奴では難しいのだぞ。そして人が黒魔術師の魔力を欲しいと頼むのも珍しすぎるのだよ。説明しなければならないのだが、まさか満月の夜に飛ぶなどとは……」


 それはまぁ、説明しにくいだろう。


「今まではどうされていたんですか?」


「耐えきれない時は領主に願いでて、真夜中の城の塔の上を貸し切っておった」


 続きをご領主様が明かす。


「月の光を浴びて、妖精の翅が出た姿で飛び回っていたというわけなの。そのせいで、領主の城には月夜に悪魔が出ると言われるようになってしまって……」

「うぐっ」


 笑いはこらえた。

 ついついリアルに想像してしまって、あわてて他の想像でごまかす。

 蝶々。

 そう蝶が飛んでいる図なら大丈夫。


 しばらくして落ち着いたところで、ちらっとバーゲル先生を見ると、こちらをじとっとした目で見ていた。

 何も言わないのに『今、想像したなお前!?』と問い詰められている気になって、あわててふるふると首を横に振った。


「そういうわけで、このバーゲルに魔力を分けてほしいのだけど……できる?」


 ご領主様が尋ねる。


「ええと、本当に私、黒魔術をまともに使えないほどかすかな魔力しかないんですが、それでも大丈夫ですか?」


 ろくに魔法が使えないのに、役立つだろうか?

 期待どおりの結果が出なかったら、二人ともがっかりするだろうから、私は念押しのために聞いておく。


「問題ない。弱いなら、普通に魔力を渡そうとするだけで、十分に役立つ。むしろ妙に魔力が多すぎると困るのだ。さぁ早く頼む。今日は満月だからな」


 バーゲル先生が手を出せというので、言われた通りにして先生と手をつなぐ。

 そこではた、と気づく。


「魔力ってどう渡せばいいんでしょう?」

「魔力を手に集めることはできんのか?」

「……やったことがなかったです」


 以前、黒魔女のところへ訪問した時も、言われたとおりに魔法を使えるかどうか試しただけなので。魔力だけを手に集めるなんて、したことがない。

 バーゲル先生がそれを聞いて、他の手段を教えてくれる。


「ふーむ。では想像してみるがよい。お前の指先に傷がついたところを、最大限現実的に傷を負ったと思って想像するのだ」


「傷……ですか」


「そう。痛みはどうだ? 切り傷か? 刺し傷か? 植物のとげが刺さったのでもかまわん。突き指の方が経験があって想像しやすいのならそれでもいい。指の状態はどうだ? 赤い血が見えるか? 傷がつけば、痛いと感じた後は、ひりひりしてくるだろう?」


 バーゲル先生が静かな声で、私の想像を補助しようとしてくれる。

 誘導されるように私は目を閉じ、じっと指先に怪我をした想像をしようとした。

 傷は、刺した傷の方がたやすいかもしれない。

 薔薇のトゲが刺さって痛かったことを思い出す。

 刺す痛みは、目に見えないぐらいの傷なのに、やたらと痛かった。

 その後はじわじわと火傷みたいに痛みが続く。

 血はぷっくりと、一滴浮かんでくるような感じ。


 そこまできたところで、ふっと指先が何かを覆うような感覚があった。


「おお、成功だ」


 目を開けると、バーゲル先生とつないだ手に、黒い靄があらわれていた。

 寒い時の白くなった吐息ぐらいの、儚い靄だ。

 それがすっとバーゲル先生の手に吸い込まれる。


「よし、これで大丈夫じゃろう」


 うんうんと嬉し気にうなずくバーゲル先生。

 それを見ていたご領主様は、うきうきだった。


「ああよかった! これで悪魔の城と呼ばれることはなくなるわ! 夜に使用人たちが出入りしないようにしても、こっそりあいびきをする子がどうしてもバーゲルを見かけてしまって、困っていたのよね」


 胸をなでおろしたご領主様は、感謝でいっぱいの表情で、私に歩み寄って抱きしめた。


「本当にありがとう。感謝するわ」


 そう言われて、私は不思議な気持ちになる。

 黒魔女としての力を使っても、この国では感謝されるのか……と。


「隣の部屋に、寝泊りできる用意はしていますからね。そのほかはバーゲルに聞いてちょうだい」


 じゃあね、とご領主様は部屋を出て行った。

 バーゲル先生は、楽しそうにその場でくるくると回って喜んでいる。

 一瞬、その背中に蝶の翅が生えていたんだろうな……と想像してしまい、すぐに打ち消す。

 いけないいけない。


「それにしても、どうして黒魔術師の魔力だと……妖精化が止まるんでしょうか」


「さてなぁ。妖精族の村にある古い文献に書いてあったことを実行したら、事実妖精化が止まったわけだからの。研究はしておるのだが、なにせ実験例がわし一人しかおらぬ」


 それでは研究も難しいだろう。

 複数の事例で、それぞれ違いがないかとか、比べるものがないと、まぐれなのか再現性がある事象なのかも区別がつかない。


 妖精族って不思議だな、と私は思ったのだった。

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